否も応もない。三上寛の歌を聴いてみろ!

putchees2005-03-12


今回のCD

ひらく夢などあるじゃなし
三上寛怨歌集
(原盤:URC 1972/CD:エイベックス イオ ASIN: B00006C1OW)

ミュージシャン

三上寛(ギター・歌)ほか

曲目

1.あなたもスターになれる
2.ひびけ電気釜!!
3.痴漢になった少年
4.股の下を通りすぎるとそこは紅い海だった 
5.パンティストッキングのような空
6.一人の女のフィナーレ
7.昭和の大飢餓予告編
8.誰を怨めばいいのでございましょうか
9.夢は夜ひらく
10.故郷へ帰ったら
11.気狂い
12.夜中の2時
13.五所川原の日々
14.青森北津軽郡東京村
15.葬式


ボルヘス三上寛


「芸術は 自分の顔をわたしたちに教える あの鏡のようなものにちがいないのだ」


と、アルゼンチンの小説家・詩人J.L.ボルヘスJorge Luis Borgesは、
「詩法」という文章で言っています。


…かっこいい言葉ですねぇ。


さて、三上寛(みかみ・かん)というシンガーがいます。
個性的な自作の歌を70年代初頭から歌い続けています。


ボルヘスの言葉を適用すれば、
三上寛の歌を聴いてぼくが思い知るのは、
要するに自分が田舎者であるということです。


…いきなりかっこ悪くなりましたねぇ。


どんなにかっこつけて東京人のふりをしても、
所詮、田舎育ちの貧乏人の小せがれであるという現実を、
三上寛の歌声は鏡のように映し出します。


三上寛の歌は、たいへんかっこ悪い。
アクが強いと言うよりは、いっそ泥臭くて、ありていにいえば下品です。


場末のゴミ溜めやストリップ小屋、
あるいは寒村の荒寥たる風景が浮かぶような歌詞ばかりです。


しかも三上寛の歌声は、耳障りで、ねちっこくて、いやらしくて、
それはもう耳をふさぎたくなるほど。


もちろん三上寛自身も、美男とは対極にある外見です。


どう考えても、女の子にもてる音楽ではありません。

なんと残酷な歌!


だれでも、自分の否定したい部分を持っているはずです。
田舎者だとか、醜男だとか、背が低いとか、バカだとか、デブだとか、童貞だとか。


そういう現実を忘れるために、かっこいい音楽を聴くのではありませんか。


こんなセンスのいい音楽を聴いてる自分ってかっこいいなあって、
そう思いたいのではありませんか。


ところが、三上寛は、そういう幻想をいっさい許しません。
「お前は世界の涯の、世界中からバカにされる日本国民で、
あまつさえ田舎者で、貧乏で、顔も頭も悪くて、なんの取り柄もない童貞なのだ」


という現実を暴力的にあばいて見せます。
もう否応なしです。


なんと残酷な歌声でしょう。

歌詞の鮮烈なイメージに圧倒される


さて、このアルバムですが、
曲名を見ただけで、うんざりしそうです。
「パンティストッキング」で「五所川原」で「青森県北津軽郡」です。


歌詞のフレーズも最悪です。
「♪村の火葬場の煙突」で
「♪風呂屋に続く暗い道」で
「♪気狂いだからそれでいい」で
「♪連れ込み旅館でヒーッヒーッ」です。
お花畑やセレブパーティーなどとは異次元空間です。
こんなものを、進んで聴きたいと思う人は、そういないでしょう。


ぼくが三上寛の歌を初めて聴いたのは1992年ごろでした。
荻窪の「グッドマン」という小さなライブハウスで
三上寛がギターひとつ抱えて、いきなり


「塔〜〜 塔が立っていた〜〜〜!」


と歌い始めたときは、心底驚きました。


歌はうまいのかヘタなのかさっぱりわかりませんが、
歌詞のイメージはたいへん鮮烈でした。

たくましい庶民の生命力


ぼくが学生の時、文学の先生が言っていたのですが、
すべての芸術は、覚醒的なものと、陶酔的なものとに分けられるそうです。


なるほどなと思ったのですが、
それからいうと、三上寛の歌は、明らかに覚醒的(≒現実的)といえるでしょう。


陶酔的(≒逃避的)なもののほうが、多くの人にとっては心地よいはずです。


覚醒的なものは、しばしば不快だったり、直面したくなかったりします。


ところが、覚醒的なものの持つ、ぎゅっと心を捕まえて放さないパワーたるや、
たいへんなものです。


まるで魅入られたように、そこから逃れられなくなるのです。
三上寛の歌は、そのようなものです。


ビジュアル系バンドの、裏声で夢みる歌と、
三上寛の歌を比べてみれば、どちらに生命力があるかは明白です*1


三上寛の歌は、土方巽の舞踏や寺山修司の映画や横尾忠則のイラストのような、
日本土着のパワーに満ち満ちています。


この狭い島国でウジウジと、しかしたくましく生きてきた庶民の血が流れる音楽なのです。


オイラは田舎者だよ、貧乏人だよ、なにが悪い!
というパワーをストレートに噴出させた音楽なのです。


しかし、それがすばらしいのです。

自分の感性に忠実であれ!


ぼくがこのレビューで繰り返し書いてきたように、
自分の感性に正直であることが、いいものを作る条件です。
日本人なら日本人らしく、田舎者なら田舎者らしく、
自分の感性で作品を作ればよいではないですか。


それを偽っても、いいものは作れないのです。


自分の育った大地をしっかりと踏みしめる人が、
いちばん高く跳ぶことができるのです。


三上寛のもとには、山下洋輔や片山広明、遠藤ミチロウ灰野敬二
さらにはジョン・ゾーンJohn Zornといったミュージシャンが集い、共演しています。


三上寛の歌がはらむ豊かな生命力に引き寄せられた人たちです


このCDは、三上寛のキャリアのごく初期である1972年に発表されたアルバムです。
歌詞は単に下品なようでいて、実はイメージを強く喚起する力を持っています。
まったく同じ方向性をもった画家・佐伯俊男によるジャケットもすばらしい。


夢うつつでいたい人は、聴かないほうがいいでしょう。
しかし、ほんとうにいいものを聴きたいという人には、ぜったいにおすすめします。


これほどのバイタリティに満ちた歌というのは、そうそうないはずですから。


ただいうまでもなく、こんなのを聴いていたら、女の子にはぜったいにもてません。

*1:お金をかせぐ力は圧倒的に前者のほうが強いのですが