古代アジア神秘の楽器、笙のサウンドに酔う!(後編)

putchees2005-07-17


雅楽のコンサート報告です


(前編よりつづき)


雅楽演奏グループ、伶楽舎によるレクチャーコンサートの
レポートを書いています。


1200年前から伝わる神秘的な音色の楽器・
笙(しょう)にスポットライトを当てたコンサートです。


よかったら前編から読んでみてください。
(前編はこちら→http://d.hatena.ne.jp/putchees/20050714

今回の曲目


第1部 壱越調調子、迦陵頻急 (笙ソロ) 
    佐藤聡明「時の静寂」 
    東野珠実「まばゆい陽射しを仰ぎ見て」
第2部 平調音取 鶏徳 陪臚 (管絃)
    平調調子(笙と竿(う)/8人編成)

今回のミュージシャン


宮田まゆみ(笙)ほか


今回のコンサートは、雅楽の古典曲と、
現代の作曲家による作品とを組み合わせたプログラムでした。


いずれも、笙の魅力をたっぷりと楽しめる
工夫が凝らされており、笙奏者の宮田まゆみによる
解説と合わせ、この楽器の美質が深く理解できる仕掛けになっていました。


パンフレットもたいへん詳細で、読み物としても楽しめました。
なかなか、いい催しだったのではないでしょうか。


さて、以下に順を追って、当日の模様を記していきます。
雅楽に関心のない人でも、音楽が好きな人なら、
少なからず興味深い内容が含まれていると思いますよ。

1曲目:壱越調調子、迦陵頻急(笙ソロ)


今回のコンサートは、おおむねクラシックのコンサートの
作法に従った進行でした。


雅楽のコンサートなのに妙な感じですが、
日本には音楽会の伝統がありませんから、
作法が西洋式になるのはやむをえないことです*1


1曲目は、伝統曲の笙パートを、
ソロで演奏するという試みでした。


笙は、ふだんは旋律(メロディ)や律動(リズム)の
背景となる和音を担当するため、
単独で演奏するということがありません。


今回は笙にスポットを当てたコンサートですから、
いつもは他の楽器にかき消されて聞こえない微妙な音を
たっぷり聞かせてくれるというわけです。


ホワー、という、おごそかな和音がホールに響きます。
ほんとうに不思議な和音です。
小さな楽器ですから、かなりの高音です。


神秘的な音というのは、
こういうのをいうのでしょう。
東洋人の考える和音は、
西洋のそれとはまるでちがうということがわかります。


合奏曲の笙パートだけの演奏ですから、
さすがにいささか退屈ではありますが、
それでも、笙の音色を堪能することができました。

笙という楽器


さて、演奏が終わって、宮田まゆみによるレクチャーです。
笙という楽器についての解説です。
プロの奏者として、たいへん興味深い話を聞かせてくれました。


ここで、ぼくも笙という楽器について
簡単にご説明しましょう。
資料は、当日のパンフレット、それに
三木稔の書いた「日本楽器法」(音楽之友社)そのほかです。


この笙は、フリーリード(自由簧)楽器の一種です。
西洋式の分類では、
マウス・オルガンmouth organと呼ばれます。


複数のパイプを組み合わせて吹くという点で、
オルガンやパンフルートの仲間というわけです*2


西洋のフリーリードの楽器というと、
ハーモニカHarmonicaとその仲間たち、
そしてコンサーティナConcertina、
バンドネオンBandoneonやアコーディオンAccordionなどの
蛇腹楽器があります。
これら西洋のフリーリード楽器は、極東の笙をヒントに、
1800〜1830年代にかけて開発されたものです。
笙とアコーディオンは似ても似つかないのですが、
意外な接点があったのですね*3

インドシナ半島から中国、そして日本へ


さて、この笙という楽器の発祥の地はインドシナ半島です。
たとえばタイの東北地方(イサーン)には、
ケーンという、笙によく似た楽器がいまも残っています。


紀元前にインドシナ半島から中国へ伝わって発達した
笙(シェン)が、唐の時代(8世紀)に
日本に伝わったのです。


その後、日本で独自の改良が加えられ、
笙は日本の楽器になります。


笙は17本の細い竹でできています。
そのうち15本が音の出る管です*4


15本の管には、下部に合金製のリードが取り付けられています。
これを簧(「こう」あるいは「した」)といいます*5


息が通ると、このリードがふるえて、
管の長さに応じた音が出るわけです。


竹の管には穴が開いており、そこを指で押さえると
音が出るようになっています。


竹の管は匏(ほう)という空気室につながっています。
吹口からの空気が、15本すべての管に
均等に流れ込むようになっているわけです。


この楽器は、息を吹き込んでも、吸い込んでも音が出ます。
吸っても吹いても、同じ高さの音が出るところが、
ハーモニカやバンドネオンなどと違うところです。


通常の管楽器のように息継ぎのときに音が途切れませんから、
持続して和音を奏でることができるというわけです。
このように、複数の持続音を奏でることができる楽器は、
日本の伝統音楽で笙が唯一の存在です。


ちなみに、リードに湿気がたまると音が出なくなってしまうので、
奏者は演奏の休み時間に、笙をヒーターで暖めて、
湿気を取っています。
笙を片手で転がすようにする動作は、
笙の神秘性をさらに高めています。

15個しか音は出せないのですが…


笙の音の配列は、以下のようになっています。


A B C# D E F# G G# A B C C# D E F#


(英語音名で表記。音高の低いものから順に表記)


こんな感じで、2オクターブたらずの音域です。


なんとも、マカフシギな音の配列です。
西洋音楽に毒された頭では、永遠に思いつかない組み合わせです。
これこそ、東洋人が幾世代にもわたって蓄積してきた
音感覚の結晶なのです。


いうまでもなく、全音階diatonic scale的な
配列ではありませんし、ましてや
12音が揃っているわけではありません。
しかし、これらの音を組み合わせると、
単純なペンタトニックスケール*6から作るより、
はるかに複雑な和音を演奏することができます。


そして笙がユニークなのは、
管の配列が、音高とまるで関係なく、
見かけの美しさを優先して並べられているということです。


つまり、楽器の機能性が無視されているわけです。
当然、スムーズな演奏が妨げられます。


しかし、笙は、そういった不自由さを前提として、
1200年間、演奏されてきたのです。
西洋的な観点からすると、まるで合理性に欠ける楽器ですが、
そうした機能的な不完全さこそが、笙という楽器を規定し、
世界の楽器の中でも唯一無二の存在にしてきたのです。

この神秘的な和音を聴け!


笙が奏でる和音のことを合竹(あいたけ)といいます。
この合竹の作り出すマカフシギなムードこそ、
笙という楽器が人の心を惹き付けてやまない秘密の核心です。


古典曲では、6つの音を使って和音を作ります。
そうして作られる合竹の種類は、全部で11あります。
音域が2オクターブ近くにわたる和音から、
密集したものまで、たいへん多彩な組み合わせです。


そのうちもっとも密集した和音をご紹介しましょう。
「比」と呼ばれる和音です。
(低い音から順に並べていきます)


A B C D E F#


…なんじゃこりゃですね。
ピアノの白鍵をグジャーと押さえたようなものです。


もうひとつご紹介しましょう。
「乙」という和音です。


E A B D E F#


…うーん、長2度と4度ばかりですね。


ついでにもうひとつ。
「工」という和音です。


C# D E G# A B


…なんと、短2度がふたつも入っています。


これらの和音を見ると、
和音は3度を基調として作られるという、
西洋音楽のもっとも基礎的な常識が
ガラガラと音を立てて崩れ去ります。

どこが「不協和音」なのか?


これらの和音は、西洋的な基準からすると、
完全に不協和音です。


しかし、それは西洋の基準にすぎません。
ためしに、上記の音の組み合わせをピアノや、
できればピアニカやアコーディオンで弾いてみてください。
たちどころに、日本的としかいいようがない、
典雅で神秘的なムードがたちのぼってくることでしょう。


これらの合竹を耳にして、はたしてどこの誰が
不協和音などと言うことができるでしょうか。


これこそが、ぼくたちにとっての和音なのです。
この響きこそがぼくたちの文化なのであり、
ひいては人類の財産なのではないでしょうか。


笙の合竹は、日本的な和音のありようを端的に示してくれます。
だからこそ魅力的なのでしょう。


音楽評論家の片山杜秀(かたやま・もりひで)は、
雅楽における笙の役割について、以下のように記しています。

雅楽のオケは西洋管弦楽と違い、低音の持続楽器を持たぬ。
かわりにあるのは笙のような高音の持続楽器だ。つまり
西洋オケの音響が低音楽器の作る土台の上にゴシック建築の如く
どっしり建立されるとすれば、雅楽オケの音響は笙の作る高音域の
天蓋の下にふわふわした夢の如くぶら下がる。
(「邦楽ディスク・ガイド」(音楽之友社2000))


雅楽の特質と笙の役割、そして西洋オーケストラとの違いを
わずかな言葉で的確に言い表しています。

2曲目:佐藤聡明「時の静寂」


つづいて、現代の作曲家による作品がふたつ演奏されました。
そのうち最初の曲は、佐藤聡明(さとう・そうめい)による
笙3本の合奏曲です。


笙だけの現代曲です。


おごそかな和音が少しずつ動いていくという音楽です。


運動性には欠けていますが、笙の特性を生かした曲だったと思います。
3本の笙が奏でる和音はなかなか現代的で、現代の楽器としての
可能性を感じさせました。


しかし、あまりに単調な曲だったので、
さすがに退屈してしまいました。


演奏時間は15分以上だったでしょうか。
ちょっと長すぎです。


3分から5分くらいなら、集中力が続いたと思うのですが。


聴き手に忍耐を要求するような音楽は、
娯楽としてあまり優れているとは言えません。

3曲目:東野珠実「まばゆい陽射しを仰ぎ見て」


次は、伶楽舎のメンバーである笙奏者、
東野珠実によるオリジナル曲です。


この曲は、2本の笙と、2本の「ウ」、
そしてもう1本の笙または「ウ」によって演奏されます。


はて、「ウ」とはどんな楽器でしょう。
それは、大型の笙です。


広辞苑には、以下のように書いてあります。

古代に雅楽で用いられた竹製の管楽器の一。
笙の大型のもの。古代中国のものは36管と伝え、
正倉院に中国から伝来したものは17管で、
各管の調子は笙よりそれぞれ8度低い。
平安時代の中頃から絶えたが、現在復活、
演奏されることもある。「ウ」の笛。
(広辞苑第五版)


この解説にあるとおり、「ウ」は、笙と同じ音の配列で、
ちょうど1オクターブ低い楽器だということです。


笙よりも低い音が日本人の好みに合わなかったらしく、
雅楽の改革があった9世紀に、低音の篳篥などと一緒に追放され、
使われなくなってしまったのです。


奈良の正倉院には「ウ」が残されています。
それをもとに、1940年の「紀元2600年」式典のときに、
演奏可能な「ウ」が復元されました*7


伶楽舎では、古代曲の復元などを
試みていますから、「ウ」の演奏も、
その流れを汲んだものといえるでしょう。


ちなみに、「ウ」という漢字は「竿」に
たいへんよく似ていますが、別の字です。
「干」の部分、縦線をはねるようです。
残念ながら、パソコンで表示することができません。


今回演奏された現代曲は、その笙と「ウ」の合奏曲でした。
ぼくは「ウ」の音を聞くのは初めてでしたから、わくわくしました。


この曲は、スタティックな佐藤聡明の作品とはうってかわって、
たいへんダイナミックな曲でした。


初めて耳にする「ウ」の響きは、ちょっとオルガンぽく聞こえました。
あるいは、アコーディオンのようでした。


東野珠実は、タンギングや極端なダイナミクスなどの
伝統曲にない奏法を駆使して、たいへん現代的な音楽を作っていました。


雅楽よりは、それこそ電子楽器による
ミニマルミュージックを思わせました。
ぼくが思い出したのは、スティーブ・ライヒSteve Reichによる
「マレット楽器、声およびオルガンのための音楽
Music for Mallet Instruments, Voices and Organ」(1973)でした。


傑作とはいえませんが、
なかなか楽しい曲でした。
このようにして、笙という楽器の可能性が
高められていくのでしょう。


ただ、舞台に一輪のひまわりが置かれていたり、
独奏の笙奏者が舞台の上を歩き回ったりといった要素が、
音楽と無関係で、無意味に感じられました。

4〜6曲目:平調音取 鶏徳 陪臚 (管絃)


休憩が終わって、第2部です。
第2部では、通常の雅楽の編成で古典曲が演奏されます。
ここでは、舞台が雅楽式にしつらえられます。
奏者は和装で、あぐら(?)をかいて座り、
演奏します。


舞台に琵琶や筝、楽太鼓といった楽器が並び、
烏帽子を着けた奏者が舞台に現れただけで、
なにやら平安時代の儀式が始まるようで、ぞくぞくします。


最初は音取り(ねとり)といって、ある種の前奏曲です。
それにつづいて、古典曲が2曲演奏されました。
鶏徳(けいとく)と陪臚(ばいろ)という曲です。
いずれも、笙が前面に出るように編曲されていました。


複数の笙によって合竹(和音)が演奏されます。
ホワー、という不可思議な和音が堂内に満ちたころ、
琵琶(楽琵琶)がベロリン、とかき鳴らされます。


なんと満ち足りた音楽でしょうか。
その瞬間、ぼくはあまりの美しさに、涙がこぼれてしまいました。


1000年前の音楽が、これほど魅力的だとは、
まったく驚くべきことではありませんか。


時を超えて受け継がれてきたものの美しさに、
ぼくはしばし身を震わせていました。


やがて楽器がつぎつぎに加わり、
典雅なメロディとハーモニーが重層的に奏でられます。


さながら、極東の古代オーケストラによる
荘厳なシンフォニーのようです。


これらの古典曲を聴いて驚くのは、
その現代性です。


まるで西欧の現代音楽のような音響です。
それこそ、ヴェーベルンAnton Webernなどの点描的な
音楽と近しいものを、雅楽からは感じ取ることができるのです。


ジョン・ケージなど西欧の作曲家たちが、
雅楽に関心を寄せるのがわかる気がします。


そして松平頼則早坂文雄武満徹といった日本の作曲家たちが
雅楽に魅了されてしまったのも、すんなりと理解することができます。


アジアには、これほど豊かな大規模アンサンブルの伝統があるのです。
雅楽を知らないで、アジアの音楽の後進性を語るのは、
あまりに愚かなことです。


そして、これほど魅力的な音楽を知らないで過ごすのは、
音楽好きにとってたいへんな損失ではないでしょうか。

7曲目:平調調子(笙と竿(う)/8人編成)


最後は、平調調子(へいじょうのちょうし)です。
古典曲を、笙だけの編成で演奏しようという試みです。


「ウ」が3本に、笙が5本です。
「ウ」は舞台の上にいますが、笙は、客席に降りて、
ホールの四辺に散らばるように配置されました。


笙の音で、客席を包んでしまおうという試みのようです。


曲自体は古典曲ですから、たいへんスタティックなものです。
音楽を演奏すると言うよりは、
ある種のアンビエントな音響といった印象です。


奏者たちのねらい通り、ホール内は、
笙と「ウ」の和音に満たされてしまいました。


メロディもリズムもありませんが、
これまで体験したことのない美しい音響でした。
まるで、夢の中で聞こえる、思い出せない音楽のようです。


最後は、笙の奏者たちがゆっくりと舞台に移動していき、
演奏が終了しました。


最初から最後まで笙の音色を堪能できる、
良質のコンサートだったのではないでしょうか。

実際に吹いてみよう!?


ちなみにこの笙という楽器ですが、
実際にどこで手に入るのか、気になるところです。
もちろんオーダーメイドで、何十万もするんだろうなあという気がします。
ところが、ネットで検索すると「楽天」で、
笙の「普及品」という品が売っていることがわかりました。
以下のURLです。


http://www.rakuten.co.jp/suganami/442342/443127/443142/


普及品といっても10万円以上の値段ですが、
もし興味のある方は、実物に挑戦するのも悪くないかもしれません。


もちろん、楽器を買うところまでいかなくても、
各地のカルチャーセンターでは、
笙をはじめ、雅楽の楽器を教えてくれる講座があるようです。


また、伶楽舎では、雅楽の楽器にふれるワークショップなども
開いているようです。


このレビューを読んで雅楽や笙に興味を持った方は、
そういったところで実際に楽器に触れてみてはいかがでしょうか。


ひょっとすると、あなたにとってギターやピアノよりも
エキサイティングな楽器かもしれませんよ。


ただ、ひとつだけはっきり言えるのは、
こんな楽器をやっていても、
女の子にはぜったいにもてないということです。


そりゃあもう、ピアノやギターのほうが、
女の子にもてるに決まってますからね。

*1:ちなみに拍手という習慣は、古代ギリシャの劇場から始まったそうです。

*2:ただし、笙のパイプにはオルガンと違ってリードが付いています

*3:その後アコーディオンなどのフリーリード楽器はアジアへ「逆輸入」され、インドなどで独自の発展を遂げています。

*4:残りの2本は、ある種の飾りだそうです。

*5:なんとこのリードは、銅鑼(ドラ)を細長く切って作るのだそうです。

*6:5音音階のこと。

*7:ちなみに皇紀2600年奉祝の式典については、以下の記事で少し触れています。→http://d.hatena.ne.jp/putchees/20050607