あがた森魚の傑作「バンドネオンの豹」を聴こう!

putchees2005-12-12


オレは下流なのか!


最近話題の本「下流社会
三浦展著 光文社新書)を読みました。
扇情的な、広告やオビの惹句と違って、
ごく穏健なマーケティングの本でした。


ぼくはこの本をたいへん面白く読みました*1
ぼんやりそうだろうと思っていたことが、
やはりそうか、と納得させられました。


この手の本にありがちの
著者の思いこみではなくて、
統計をもとに書かれているので、
説得力があります*2


これを読むと、明らかに自分は「上流」になれそうにないので
暗い気持ちになりました

「上流」になるには?


上流になるためには、計画的意欲的かつ
果断に生きなければならないそうです。


なるほど。


上流の人には例外なく、高い「コミュニケーション能力」が
あって、その多くがアウトドア派なのだそうです。


なるほど。


お金なんて二の次、個性がいちばん、なんて
言っているとヤバいそうです。


なるほど!


趣味志向・文化志向の人は、しばしば競争社会から脱落して
フリーター化し、下流になりやすいのだそうです。


なるほどー!!

「プチ自己表現」で自己満足


そこまで知ると、自分に思い当たるフシがあります。
ぼくには「高いコミュニケーション能力」はありませんし、
少しも「アウトドア派」ではありません。
フリーターではありませんが、将来性豊かな企業で
出世コースに乗っているわけでもありません。


明らかに下流になりそうな性格です。
しょんぼりしちゃいます。


カルチャー志向だけど、
その趣味を仕事にできるような才覚のない人間は、
ネット上で「プチ自己表現」をして、
自己満足にひたるしかないのだそうです。


なるほど!!!


まさにぼく自身のことではありませんか。


あはは。


まいったなー。


とほほ…

「上流」=「モテ男」


上流に共通する要素は、
コミュニケーション能力
アウトドア派」そして当然「


なんだよ、これ、モテ男の条件じゃないですか!


女にもてる男は、お金にももてるようです。


なるほどー。


要するに、もてない男
決して上流になれないということのようです。


ちっくしょう


考えてみれば当たり前のことです。
でも、ああくやしい


休日に部屋にとじこもって、こんなもてないブログの原稿なんて
書いていちゃいけないようです。


それより、株の勉強でもしたり、
河原で愉快な仲間とバーベキューでもして、
人脈を広げたほうがよさそうです。


非モテデフレスパイラルから脱出しなければなりません。

どうせ下流なので…


しかし正直なところ、これからあがいて、
どうかなるとも思えません。
ぼくが30年以上続けてきた「もてない習慣」が、
そう簡単に変えられるとも思えません。


それに、このレビューも、いちど始めたことですから、
中途半端なところでやめないほうがいいように思います。
下流男」にも意地というものがあります。


それで、きょうご紹介するのはあがた森魚(あがた・もりお1948〜)の
1987年のアルバム「バンドネオンの豹ジャガー)」です。
サブカル下流はこういう古いポップスが好きなのです。


愚痴はこの辺にしていつものやつを始めます。

今回のCD


【タイトル】


あがた森魚バンドネオンの豹」(1987)
(COCA-11108)


【曲目】


1.男爵のおかえり
2.バンドネオンの豹(ジャガー
3.パリで死んだ虎
4.SP「月光の盤吐熱音」
5.ブエノス・アイレスの冬休み
6.博愛(目賀田博士の異常な愛情)
7.夢のルナロード
8.タンゴ超特急
9.誰が悲しみのバンドネオン
10.小さな喫茶店
11.夜のレクエルド
12.組曲「海底十字軍」
13.シフィリスの真珠採り
14.パール・デコレーションの庭
15.月光のバンドネオン

すばらしき個性派シンガー


あがた森魚は1970年代初頭から活躍している
個性的なシンガーです。


独特の歌声と歌唱法は、いちど聴いたら忘れません。


彼のことは、ぼくが説明するまでもないでしょう。
ぼくはポップスに関してまったくの門外漢ですから。
もっとずっと詳しい人が、わんさといるはずです*3


とにかく、すばらしいシンガーです。


もっとも、あがた森魚といえど、最近の若い子には
知名度が低いようです*4


そりゃそうでしょう。
若い子は、同時代のミュージシャンにしか
興味ないですからね。


古いポップスを聴くのは、
オッサンオバサンと一部の物好きだけです。


要するにもてない連中が、もてない音楽を聴いてるわけです。


…あ、スミマセン。
愚痴をこぼしてもしょうがないので、話を進めます。

あがた森魚タンゴを歌う


このアルバムは、タンゴtangoというテーマで
まとめられたコンセプトアルバムです。


とはいえ、ひとつひとつの曲のつながりはゆるやかで、
一部を除いて、おたがいの曲に関連はあまりなさそうです。


アルバム全体で、ひとつの物語を想像させるような
タイプのコンセプトアルバムではなくて、
「タンゴ」というジャンルが持つ独特の気分を核にして、
自由にイメージされた曲を集めたアルバムという感じです。


わりとちゃらんぽらんです。


しかしそうした自由さが、このアルバムが喚起する
イメージを豊かにしているように思われます。

華麗なオーケストラアレンジに酔う!


このアルバムで印象的なのは、なんといっても
タイトル曲の「バンドネオンの豹」です。
激しいロックとタンゴが巧みにアレンジされ、
あがた森魚の特異な歌唱と溶け合っています。


また、古くさいSPレコードサウンドを模した
月光の盤吐熱音バンドネオン)」も味わい深い歌です。


しかしぼくは、このアルバムの隠れたクライマックスは、
9曲目に収められた「誰が悲しみのバンドネオン
ではないかと思っています。


ポップスとしては異例なほど、豪華で流麗な
オーケストラによる伴奏がつけられています。
ちょうど、コンチネンタルタンゴ*5ふうのアレンジです。


原曲は1943年に作られたタンゴの名曲「UNO*6です。
自由に作られた日本語の歌詞が見事で、
まるで一遍の物語を読むようです。


戦乱のヨーロッパを旅して回ったタンギスツtanguistsの
切ない物語が歌われています。


曲、歌詞、歌唱、そしてアレンジという、
4つの要素がすべてうまくハマって、
歌のイメージをどこまでも広げていきます。


何度でも聴き返したくなるような名曲です。

上野耕路による名アレンジ


この曲のアレンジを担当したのは、
作曲家の上野耕路(うえの・こうじ1960〜)です。


上野耕路は、現代音楽、映画音楽、ジャズ、ポップスの
各ジャンルを横断して活躍しています。


現在は、東京・江古田の日大芸術学部
映画音楽を講義しているそうです*7


オーケストラをうまく操るのは、お手のものです。


このアルバムには、矢野顕子(やの・あきこ)や
鈴木慶一(すずき・けいいち)、斉藤ネコ(さいとう・ねこ)
といったミュージシャンも参加しています。


またポップス畑以外にも、
マース・カニンガム舞踏団Merce Cunningham Dance Companyの
音楽監督として知られる作曲家・小杉武久(こすぎ・たけひさ)が
ヴァイオリンで加わったり、
フリージャズグループ「緑化計画」のチェリスト
翠川敬基(みどりかわ・けいき)が加わったりと、
たいへん多彩なミュージシャンが参加しています。


あがた森魚の豊富な人脈がフルに活かされています。


買って聴いても、損はしないのではないでしょうか。

アカシアの雨がやむとき


タンゴとあがた森魚というと、
フリージャズのアルトサックス奏者・
阿部薫(あべ・かおる1949〜1978)のことについて
触れなければならないでしょう。


阿部薫については、過去のレビューで紹介しています。
id:putchees:20041222


あがた森魚は、一枚のレコードを、
阿部薫に捧げています。


1970年代前半、ジャズの世界で
天才の名をほしいままにした阿部薫は、
破滅的な生活で身も心もボロボロになった晩年、
タンゴなどを好んで聴いていたといいます。


レコードを作りたいから
タンゴを歌える人に会いたい、と言う阿部薫に、
友人の長尾達夫という人物は、歌い手として
あがた森魚を紹介しようとします。


ところが、約束当日の阿部の気まぐれで、
ふたりの対面はなしえませんでした*8


1978年9月9日、阿部薫は東京・中野区の中野病院で
29年の生涯を閉じてしまいます。


あがた森魚はその翌年、
生前会うことのなかったミュージシャンに、
一枚のレコードを捧げます。


シングル盤のB面には「花嫁人形」が、
A面には「アカシアの雨がやむとき」が収められていました。


A面の曲は、阿部薫あがた森魚に歌ってもらうはずの曲でした。


レコードジャケットには、
副題として「亡きAに捧げるタンゴアカシアーノ
という言葉がありました。


ふたりの傑出したミュージシャンの、
一種の「友情」(あるいは共感)から生まれたレコードでした。


そのタンゴの響きが、ひょっとすると
バンドネオンの豹」にも反響しているかもしれません。

下流男」の心に沁みる歌声


ぼくにこのアルバムを教えてくれたのは、
スウィングガールズ」などで知られる
映画監督の矢口史靖(やぐち・しのぶ1967〜)さんでした。


かれこれ13年ほど前のことになりますが、
ぼくが学生のころ一緒にアルバイトをしていて、
単調な仕事場で彼が掛けてくれたのがこのアルバムでした。


当時、矢口さんはまだデビュー前でしたが、
なにを話しても面白くてセンスのいい人でした。


このアルバムを紹介してくれたことに、
大いに感謝しています。


彼はいまでは日本を代表する映画監督です。
同じカルチャー志向でも、
才能のある人はやはり違います。


ぼくのようになんの才覚もない男は、
こんなところで「プチ自己表現」でも
しているほかはありません。


当たり前のことです。
世の中そんなに甘かありません。


下流」には、部屋でウジウジと、
あがた森魚の歌でも聴いているのがお似合いです。
心にじんわり沁みる、すてきな歌声です。
みなさんもぜひ一度、おためしください。


もちろん、こんな音楽を聴いていたら、
女の子にはぜったいにもてませんし、
ましてや上流になんてなれないと思いますけど。


(次回からは、黒澤明溝口健二などの映画音楽で知られる作曲家・
早坂文雄のオーケストラ作品集をご紹介します)

*1:ちょっとヘンだと感じるところはあります。たとえば、まるで週刊誌のようなイメージ写真の使い方が、この本の品位を著しく落としています。

*2:統計としてはサンプルが少ないのですが、それでも思い込みよりはるかに説得力があるでしょう。

*3:あがた森魚公式ウェブサイトはこちらです→http://www.morioagata.com/home.asp

*4:ここ数年内にぼくが会った中で、あがた森魚のことを知ってた若い女の子は、岸田森江戸川乱歩が好きな、レズビアンの女子高生だけでした。

*5:ヨーロッパのタンゴは、ストリングスが加わる独特のアレンジで、日本ではこう呼ばれています。

*6:ピアニストのマリアーノ・モーレスMariano Mores作曲。

*7:上野耕路は映画音楽の手法について、伊福部昭(いふくべ・あきら1914〜)から多くを学んでいます。

*8:阿部薫1949-1978」(文游社刊)所収の文章「阿部薫の宿題」(長尾達夫)より。