スティーブ・レイシー&ギル・エヴァンス珠玉のデュオを聴け!

putchees2006-11-28


ジャズといえば即興でしょ


ジャズの魅力とは何でしょう?


それはなんといっても即興演奏の面白さでしょう。


ジャズボーカルやビッグバンドがお好きな方は
別の魅力を挙げるかもしれませんが、
「これを取り去ったらジャズではなくなる」という
不可欠な要素といえば、
やはり即興演奏ということになるでしょう*1


よく訓練されたミュージシャンが、
瞬時に繰り出す名人芸的な即興演奏は、
見せ物としても音楽としても一級品です。


とりわけ、少人数のコンボによる即興演奏の応酬は、
ジャズを聴く最高の楽しみと言えます。


いわゆるインタープレイというやつです。


ミュージシャン同士が相手の音に反応することで、
音楽が予想外の展開を見せます。
これこそ、即興演奏の醍醐味と言えましょう。

デュオの魅力


さて、その「インタープレイ」に必要な
最低限の人数はふたりです。


つまりデュオduoです。


プレイヤーふたりのぶつかりあい。
どちらかが一瞬でも気を抜いたら、
たちまち音楽が崩壊してしまいます。


一流のミュージシャンにだけ許される、まさに真剣勝負


あたかもサムライ同士が剣を交える姿を思わせます。


一対一の対決というのは、
ぼくたち日本人の美意識に強く訴えるのではないでしょうか。


さて、世にデュオによるジャズの名盤は数多いのですが、
今回ご紹介するのは、その中の極めつけです。


女の子に聴かせてうっとりさせることはできないと思いますが、
男の魂の琴線にビンビン触れまくります。


これぞもてないジャズの真骨頂
ぜひ一度お試しください。

今回はCD紹介です


【今回のCD】
「パリ・ブルースParis Blues」
ギル・エヴァンス&スティーブ・レイシーGil Evans and Steve Lacy
(OWL/1988)(UCCM-3016)ASIN:B000APVDR


【曲目】
1.Reincarnation of a Lovebird
2.Paris Blues
3.Esteem
4.Orange Was the Color of Her Dress, Then Blue Silk
5.Goodbye Pork-Pie Hat
6.Jelly Roll
7.Esteem


【ミュージシャン】
スティーヴ・レイシーSteve Lacy(ソプラノサックスss)
ギル・エヴァンスGil Evans(ピアノ&エレクトリック・ピアノp,el-p)
(録音:1987年11月30日・12月1日、パリ)

ソプラノサックス専業のプレイヤー


このCDに登場するふたりのサムライをご紹介しましょう。


まず、ティーブ・レイシー
彼はジャズ界でたいへん稀な、
ソプラノサックス専門のミュージシャンでした。


(スティーブ・レイシー)


ソプラノサックスというのは、まっすぐで、
クラリネットによく似たかっこうの楽器です。
ちょっととぼけたような音がします。


ティーブ・レイシーは、
ジャズの世界における、ソロ楽器としての
ソプラノサックス奏者として、おそらく頂点に位置します。


彼は1934年にニューヨークNew Yorkに生まれ、
キャリアの大部分をヨーロッパで送り、
惜しくも2004年に亡くなりました。


しばしば日本を訪れ、日本のジャズミュージシャンとも
セッションを重ねていました。


バップbop以前の伝統的なジャズのスタイルから出発したのですが、
50年代に革新的なジャズピアニスト、
セシル・テイラーCecil Taylorと出会い、
アヴァンギャルドフリージャズ)の世界へ踏み込みます。


彼はセロニアス・モンクThelonious Monkセシル・テイラー
生涯にわたって敬愛していました。

ティーブ・レイシーの音


ティーブ・レイシーの音楽を特徴づけているのは、
なんといってもその音色です。


同じソプラノサックスを扱うプレイヤーでも、
ジョン・コルトレーンJohn Coltrane
ウェイン・ショーターWayne Shorterなどとはまるで別種の、
ふくよかで澄んだ音色。
そしてどこかユーモラスなソプラノを聴けば、
ああこの人だなとすぐにわかる、無二のサウンドです。


もうひとつは、ストイックさです。
彼の即興演奏は、音数の少なさで際だっています。
ぐちゃぐちゃのフリージャズを演奏していても、
騒音のようなやかましさではなく、
音数をしぼった、透徹した響きを求めているように感じられます。


たくさんの音符を、
ピラピラと軽く吹くことができるソプラノ奏者は
掃いて捨てるほどいますが、
ティーブ・レイシーほど、
ひとつの音に多くの意味を込めることができた
ソプラノサックス奏者はいません。


まるで、修練を積んだ尺八奏者のようです。
そういったところが、日本で人気の高い理由かもしれません。

帝王の片腕


さて、いまひとりはギル・エヴァンスです。


彼はピアニスト兼アレンジャーです。
1912年にカナダのトロントTorontoで生まれ、
1988年にメキシコで歿しました。


「ワルツ・フォー・デビーWaltz for Debby」で有名な、
ピアニストのビル・エヴァンスBill Evansではありません
ギル・エヴァンスの本名はIan Ernest Gilmore Green、
ビル・エヴァンスのフルネームはWilliam John Evans。
まったくの別人です。


ギルは、マイルス・デイヴィスMiles Davisとの
多年にわたる交流で、ジャズファンの間でつとに有名です*2


ギル・エヴァンス


マイルスの名盤「スケッチ・オブ・スペインSketches of Spain」の
アレンジを手がけたのはギル・エヴァンスです。


また、クレジットはされていませんが、
マイルスの数多くのアルバムでアレンジを行っています。
帝王マイルス・デイヴィスの片腕ともいうべき存在でした。


あまり広く聴かれていませんが、
ギルは、自身のオーケストラを率いた、
バンドリーダーでもありました。


ギル・エヴァンスオーケストラは、
合衆国の数多くのジャズオーケストラの中でも、
常に指折りの存在でした。


ジャズからロック、アヴァンギャルドまで包括する、
たいへん音楽性に富んだ楽団でした。


ちなみに彼のオーケストラには、菊地雅章
川崎燎といった日本人ミュージシャンも去来しました。


いっぽう、
ギル・エヴァンスピアニストとしての演奏が聴けるアルバムは
そう多くはありません。


そのもっともすぐれた録音のひとつが、
今回ご紹介するアルバムです。

シンプルでわかりやすい音楽


さて、このCD「パリ・ブルース」


パリで録音されたことと、
収録曲のタイトルにかけて名付けられています。


ギル・エヴァンス最晩年の録音です。


このCDに収められているのは
前衛のフリージャズではありません。
フツウのジャズです。


テーマメロディもアドリブ部分も、
たいへん単純でわかりやすく演奏されています。


少なくとも表面上は、男も女も、
大人も子供も、素直に受け入れられるCDだと思われます。


収録されているのは全7曲。
ベース奏者チャールス・ミンガスCharles Mingusの曲が3つ、
ティーブ・レイシーの曲がふたつ、
デューク・エリントンDuke Ellingtonの曲がひとつ、
そしてギル・エヴァンスの曲がひとつです。


油断していると、BGMとして聞き流してしまいそうです。


ところがこのCD、表面上のわかりやすさとは裏腹に
音楽の深淵までに達する、底知れない深みを湛えています。


ぜひ、腰を据えてじっくり聴いてください。

恐るべき真剣勝負


1曲目「リインカネーション・オブ・ア・ラブバード」冒頭の
エレクトリック・ピアノの音が鳴った瞬間に鳥肌が立ちます


なんと乾いた音。そしてムダをそぎ落とした音でしょう。


そしてスティーブ・レイシーのソプラノサックスが
テーマメロディを奏でる瞬間、ふたたび鳥肌が立ちます


なんとふくよかな音。そして、透き通った音でしょうか。


ふたりは、限りなく音数を減らして勝負します。


驚くべき緊張感です。


まさに剣の達人同士が刀を交える様子を彷彿とさせます。


ソプラノサックスのピアニッシモが消え入るように鳴るとき、
また、エレピの幽玄な和音がかそけく響くとき、
無限の(聞こえない)音が火花を散らしているのが見えるようです。


まだ誰も到達したことがない
即興演奏の深い深い淵へ、たったふたりで降りていきます。


背筋が凍るような恐ろしいセッションです。
あたかも生命をやりとりするような演奏なのです。

奇跡の瞬間


このアルバムのクライマックスは、おそらく、
5曲目のミンガスナンバー
「グッドバイ・ポーク・パイ・ハット」です。


この曲の3分23秒から5分過ぎまでで繰り広げられる
ふたりの音のやりとりを聴いてください。


サックスが至高のメロディを歌い上げ、
エレピが美神のハープのように響き渡ります。


ことに4分15秒から4分40秒までの間で鳴っている音は、
ほとんどこの世のものとは思えません。


世界に、ふたりの音以外に何も存在しないように感じられます。


いったい、人間がこのような音を出すことができるのでしょうか?


とても即興で生まれたものだとは思えません。


いや、そうではありません。
即興でなければ生まれなかった音なのです。


このとき、ふたりのミュージシャンが手をたずさえて、
即興演奏の深い淵の底にまでたどり着いたのです。


ジャズという音楽が到達しえた
最高の瞬間のひとつだとぼくは信じています。

達人はムダをそぎ落とす


日本の伝統芸能では、その道の達人は
余計な動きを一切しないといいます。


たとえば三味線の達人は、身じろぎもしないで、
難しいリズムや音程をバシバシと決めていきます。


能のシテ歌舞伎役者の動作も同様です。
彼らは、不必要な動きを切り捨てるはずです。


クラシック音楽などでも同じです。
巨匠と呼ばれるピアニストは、上体を一切動かさないで、
難しいフレーズをやすやすと弾くそうです。


至芸の世界には、相通ずるものがあるのでしょう。
ジャズでも同じです。


ほんとうの達人は、即興演奏であっても、
無駄な音を一切出さないものなのです。


無用の音を出すのは、二流のミュージシャンなのです。


「パリ・ブルース」は、
ふたりの超一流のミュージシャンが
出会うことで生まれた、至高の一枚です。


これほどムダのない、簡勁そのものの美は、
ジャズではほかに例がないのではないかと思われます。


シンプルな美を好む、
ぼくたち日本人にうってつけの音楽です。


ふたりの青い目のサムライによる
即興の至芸を聴いてみたいという方は、
ぜひ一度お試しください。


ただもちろん、こんなものを聴いていても、
女の子にはぜったいにもてません。


(この稿完結)

*1:1960年代までなら「スウィング感」こそがジャズの最も重要な要素だと言えたはずですが、ジャズという音楽の領域がすっかり拡散してしまった21世紀のいま、「スウィング感」という言葉はあまり意味を持たないでしょう。

*2:ちなみにビル・エヴァンスも、一時マイルスバンドに所属していました。また後年、ビル・エヴァンスとまったく同じ名前のサックス奏者が登場し、これまたマイルスと共演しているので、たいへんややこしいです。