バリ島でガムランを聴いてきた

putchees2011-08-01


今回のCD


「バリのガムラン音楽」
BALI Gamelan Music - Gamelan angklung and Gamelan gong kebjar
(合衆国・Lyrichord World)


http://ml.naxos.jp/album/lyrcd7179

ウブドガムラン


少し前に、バリ島へ行ってきました。
観光旅行です。


ウブドに滞在して、ガムランを聴いてきました。
もちろん、舞踊もついてきたのですが、
ぼくが興味あるのは主に音楽です。


3年前、ジャワガムランを聴きましたが、
それとは多少雰囲気が違うようでした。
具体的にどこが違うかは、わかりませんでしたが。


ガムランは面白いね。
金属打楽器を中心とするアンサンブル。


独自の音階を奏でる金属打楽器は、
非整数倍音が多くて、豊かな響き。


どこから始まってどこで終わるのかわからないメロディ。


異国人にはわからない規則で
速くなったり遅くなったりするリズム。


これが、熱帯の夜にめっぽう合う。


ジャワでも感じたけど、
これほど「果てしのなさ」を感じさせる音楽があるだろうか?


聴いていると、自分の体が、
熱帯の夜の中に溶けていきそうな気がする。


たまらなく魅力的です。
まこと、ガムランは非西欧世界における
大規模アンサンブルの最高峰のひとつです。


舞踊も面白かったですよ。
ユニークな所作。


異国人にはわからない美意識の所産。
でも、ほんとうにいいものは、美意識の差を超えて
理解されるものです。
とても美しい。


これを見て、
バリ舞踊やらガムランを、
日本人を含む外国人が習いたがるというのも納得です。

外国の伝統芸能をやるということ


でも、ぼくは、実地で見ながら、
「それはちょっと違うんじゃないの」
と思ってました。


音楽も舞踊も、非言語的情報の宝庫です。


たとえば舞踊における所作の意味というのが、まさにそれ。


ひとつひとつの所作に、
言葉にならない情報がうんと込められている。


それは、1000年以上の民族の歴史が作ってきたものでしょう。


異国人にはわからないと思うんだよね。


振り返って、本邦の歌舞伎の所作を思い出してみればいい。


舞台の役者が見得を切る動作のひとつひとつに
非言語的情報がたくさんあるでしょう。


その美を感じることは、美意識の差を超えてできると思う。
でも、所作の意味を、
異国人がほんとうにかみ砕いて理解できると思いますか?
それができなければ、自分で演じることなんてできっこないでしょう?


だから、外国の伝統芸能をやるというのは、
そもそも不可能じゃないの、なんて思うんだよね。


もちろん、ホビーとしてやるのはいいんです。


でも、深いところまで極めるのはごくごく難しい。
そう思うんです。


それならば、「伝統的な芸能はすばらしい」というところから
出発して、自分たちの伝統的な音楽や舞踊をやればいいんじゃない?


自分たちの民族の伝統芸能ならば、外国人がやるよりも、
ずっと深いところまで究められるはず。


ぼくはそう考える人間です。


もちろん、自分たちの伝統芸能は、
バリやらその他外国の伝統芸能にくらべて、
いささか退屈かもしれない。


でも、それはしょうがない。
人間はいろんな条件で限定された存在ですから。
日本人ならば、日本人であることからはどうやっても逃れられない。


ただね、たとえば日本の伝統芸能が退屈だという見方は、
あまりに偏った見方だと思うわけです。


不勉強なんですよ。
いろいろ見てみれば、音楽でも舞踊でも、
身近にすばらしい伝統芸能がたくさんあるわけです。


そういったものを究めればいいのではないでしょうか。


だってぼくたちはバリ人ではなくて、
日本人なんですから。


そんなようなことを、
ガムランを聴きながら考えておりました。


今回挙げたCDは、Naxos Music Libraryの中から、
そのとき聴いたガムランといちばん近い雰囲気のものを選びました。


録音を含めて、現地の雰囲気がよく出ていると思います。


これを聴いて、ガムランのすばらしさと、
それぞれの民族の伝統芸能のすばらしさということを感じてみてください。


もちろん、こんな音楽を聴いていても、
女の子にはぜったいにもてませんけど。