ジョン・ウィリアムスと黛敏郎の名品に酔え!

putchees2004-12-11



CDタイトル:20世紀の協奏曲集20th Century Concerti
(英ASV:CD DCA1126)


曲目:

ジョン・ウィリアムスJohn Williams(b.1932)
  • 1.チューバ協奏曲Tuba Concerto (1985)(19' 59)
ジェルメンヌ・タイユフェールGermaine Tailleferre (1892-1983)
  • ハープ協奏曲Harp Concertino (1928)
    • 2.I. Allegretto(8' 45)
    • 3.II. Lento(3' 47)
    • 4.III. Rondo(5' 39)
アンリ・トマジHenri Tomasi (1901-1971)
黛敏郎Toshiro Mayuzumi(1929-1997)


演奏:Foundation Philharmonic Orchestra
指揮:デヴィッド・スネルDavid Snell

20世紀の珍曲が勢ぞろい!


英国のASVというマイナーレーベルが出している
「20th Century Concerti20世紀の協奏曲集」(CD DCA1126)
という盤を買ったのですが、これが聴きもの。

チューバと、ハープと、サックスと、シロフォン(木琴)のための
協奏曲が収められてます。


はっきりいって珍曲揃い。
実演はおろか、CDでもめったに聴けない曲ばかり入ってます。


これがいいんだ。

映画音楽だけじゃない! ジョン・ウィリアムスのオーケストラ曲


冒頭の「チューバ協奏曲Tuba Concerto」を作曲したのは、
なんと映画音楽の巨匠・ジョン・ウィリアムスです。


こんなコンサートピースを書いてたんですね
(最初はクラシックギタリストのジョン・ウィリアムスかと思った…)。


チューバというと、鈍重なイメージなのですが、
この曲のソロはまるでアルペンホルンのように明るく軽やか。


実にたくみに書かれていて、不自然さがまるでありません。
通俗的といってバカにできない佳品です。


偶然ですが、同じ姓の作曲家、
ヴォーン・ウィリアムスVaughan Williams(1872-1958)も、
チューバ協奏曲を書いてます。
そっちは聴いたことないけど、どっちがいい曲かな。

そのほかの曲は……


フランス六人組Le Groupe Des Sixのひとり、
女性作曲家タイユフェールのハープ協奏曲もなかなかの佳品です。


フランスの作曲家、トマジのサックス協奏曲は、まあ、悪くはないけどもうひとつ。


このCDの白眉は、なんといっても、最後の一曲。


日本の作曲家で、晩年は「題名のない音楽会」の司会や改憲派の論客として知られた
黛敏郎の手になる「シロフォン小協奏曲Xylophone Concertino」です。

作曲家・マユズミの偉大さを証明する一曲


黛敏郎の曲なんて、おそらくほとんどの人が意識して聴いたことはないだろうと思います。
(実はスポーツニュースのテーマ曲など、有名な曲を作っているのですが)
この人はすばらしい才人なのです。


この曲も、わずか11分ほどのまさにコンチェルティーノ(小さな協奏曲)ですが、
まちがいなく大傑作。


シロフォンというのは、木琴のこと。
マリンバより軽快な音がします)
木琴とオーケストラの協奏曲というわけです*1


録音では単一楽章のようですが、三部構成で「急→緩→急」。
都会的なセンスとユーモアに満ちていますが、
そこかしこに日本的なメロディとハーモニーが顔を出します。


気の利いたメロディが満載のすばらしい曲です。
コロコロしたシロフォンの音色が実にかわいい。


劈頭から掉尾まで間然するところナシ!
特に最後の再現部からフィナーレまでの高揚感は、猛烈なカタルシスです。


これ、コンサートで聴いたらブラボー喝采まちがいなし。


さすがパリのコンセルヴァトワールに通っただけのセンス*2です。


黛敏郎の作曲家としての技能の高さに舌を巻く名曲。
いい買い物したなぁ。


難解なゲンダイオンガクは一曲も入っていないので、
協奏曲好きなら見逃せない一枚!


20世紀にも、こんなすてきな協奏曲が数多く生まれていたのです。



ただし、こんなヘンな曲を聴いていても、女の子にはぜったいにもてません。



(この文章は、以下のURLに2004年11月25日に掲載されたものに、改訂を加えたものです)
http://putchees.m78.com/newsanddiary.html

*1:作曲を委嘱したのは第二次大戦直前までアメリカで活躍し、戦後もこの楽器の第一人者だった平岡養一

*2:ただし、黛は「西洋に学ぶものなし」といって、わずか1年で帰国