天才の音とはこういうものだ。阿部薫のサックスを聴け!

putchees2004-12-22


本日のCD

阿部薫「またの日の夢物語」

曲目

  1. Alto Sax Solo
  2. Alto Sax Solo
  3. Bass Clarinet Solo
  4. Alto Sax Solo

録音:1972年1月21日/新宿:ピットインティールーム
(PSFD-40)

フリージャズって知ってます?


みなさんはフリージャズという音楽をご存じでしょうか。


知らない方のために簡単にご説明しましょう。


楽器のできない子供が笛をきいきい吹いたり、
ピアノの鍵盤をがんがん叩いたりして
メチャメチャに音を出しているのを想像してください。


想像できましたか?


いい年した大人がステージで、
しかも客の前で堂々とそれをやっているのがフリージャズです。


説明終わり。

知らない人にはただの「騒音」


物知りの方なら、山下洋輔というピアニストが
両手のヒジでもってピアノの鍵盤をがんがん叩いているのを
見たことがあるかも知れませんね。


あれがそうです。


山下洋輔は国立音大(くにたちおんだい)を卒業した
優秀な(?)ピアノ弾きですから、
別にかんしゃくを起こしているわけではありません。


彼にとっては、それが美と信じる演奏方法なのです。


ただし、フリージャズを知らない人にとっては、
子供のいたずらと見分けがつきませんが。


多くのフリージャズには、踊れるリズムも、
泣けるメロディも存在しません。


ただひたすら即興の騒音がまき散らされるだけです。
吉松隆なら「耳にゴミをぶちまけるような」と言うところでしょう。


サックスとピアノとベースとドラムがステージに上がって、


さあオシャレなジャズが聴けるわ!


と、ジャズ初体験にときめくOLさんたちの期待を
完膚無きまでに裏切るのがフリージャズです。

日本一の不人気ジャンル


こういうことから想像できるように、
このジャンルを愛好する人はそう多くありません。
日本全土で多く見積もっても1000人くらいでしょうか。


輸入物のフリージャズのCDだと、
全国で売り上げ100枚を切るような
逆“大ヒット”もたくさんあるそうです
(と、中山康樹がどっかで書いてました)。


わがプッチーズ以下ですね。

孤独のアルトサックス奏者・阿部薫


さて、1960年代終盤から70年代初期にかけて活躍した
阿部薫というフリージャズのアルトサックスプレイヤーがいます。


活躍したといっても、
彼のステージを見ていたのはいつも数人だったそうですから、
活躍という言葉は当てはまらないかも知れません。


彼は78年に29歳で亡くなりました。


最近、同姓同名のイケメン俳優がいるそうですが、
まったくの別人です。


阿部薫というと、
読書家の人は、作家の鈴木いづみの夫ということで
名前を記憶しているかも知れません。


あるいは映画好きの人は、
若松孝二の「エンドレスワルツ」を見たかも知れませんね。


彼の波瀾の生涯については文遊社から出ている
阿部薫 1949-1978」という本で詳しく分かります。


とてもいい本です。


それを読むと彼は要するにイヤなヤツだったということです。
終了。

ミュージシャンは「音」を聴け!


……しかし、阿部薫自身がどんな人だったかは
この際まったく関係ありません。


彼はミュージシャンなのですから、
彼の音を聴いてみてください。


彼の100の“伝説”よりも、
彼のたったひとつの音のほうが
はるかにすさまじいインパクトを具えているのですから。

伝説を吹き飛ばせ!


写真で見ると、彼の風貌はいかにも神経質そうな
童貞っぽい顔です。きかん気の少年のようです。


実際には彼は童貞ではなかったはずですから、
仮に名誉童貞と名付けてみましょう。
その名誉童貞の音を聴いてみてください。
あらゆる先入観とあらゆる伝説が消し飛ぶはずです。

天才の絶頂期における恐るべき「音」


この「またの日の夢物語」と名付けられたCDは、
1972年、絶頂期の阿部薫のライブ演奏を収めたものです。


出演者は阿部薫ただひとり。
観客はたぶん5人くらいでしょう。


CDまるごと、
アルトサックス(あるいはベースクラリネット
一本による即興演奏です。


退屈そうだ?


聴くまではぼくもそう思ってました。


しかしとんでもない!


この中には、三管編成のオーケストラをもしのぐ
密度の音が詰まっています。


この魔物のようなアルトサックスの咆哮ときたら!



むせび泣くような比類なき音色、


スピーカーを破りそうな音圧、


稲妻のように鋭いフレーズ、


そして涙を誘わずにはいない日本人らしい情感、


それらがすべてこの中にあります。


天才の音とはこういうのをいうのでしょう。

音楽とは「音」そのものなのだ。


ちょっと聴いただけでは、
単にめちゃめちゃに吹いているように聞こえますが、
すぐにそうでないことが分かるはずです。


ぐちゃぐちゃの音の洪水の中に、
無限のメロディとリズム、
ハーモニーが内包されていることが分かるはずです。


即興という刹那的な形式からしか生まれない美が
永遠の輝きを放っています。


かりにも音楽が好きだという人なら、
たとえどんな前衛嫌いでも、
聴いた瞬間に、これは音楽だと認めるに違いありません。


音楽とは音そのものであるということを思い知らされる一枚です。


阿部薫の音よ永遠なれ!伝説など消えてしまえ!



しかし、いうまでもないことですが、
こんなCDを聴いていても女の子にはぜったいにもてません。



(この文章は、以下のURLに2003年8月30日に掲載されたものを一部改訂しています)
http://putchees.m78.com/reviewbykeiichi.html