まもなく91歳!伊福部昭と一緒に「鬢多々良」を聴く!

putchees2005-05-22


今回はコンサート報告です


日本音楽集団
第179回定期演奏会「名曲選シリーズII」

日時/場所

2005年5月19日(木)19:00〜21:20
東京勝どき・第一生命ホール(晴海トリトンスクエア内) 

曲目

1.竹に同じく(1979) 池辺晋一郎作曲
2.箏四重奏曲(1968) 長沢勝俊作曲
3.日本楽器によるシナウイ(2000) 朴範薫作曲
4.交響譚詩(1943 日本音楽集団版初演)
 伊福部昭作曲/秋岸寛久編曲
5.郢曲「鬢多々良」(1973) 伊福部昭作曲

ミュージシャン

日本音楽集団Pro Musica Nipponia
(指揮:田村拓男)

日本の伝統楽器によるアンサンブル


邦楽器のみによる大規模アンサンブル、
日本音楽集団*1定期演奏会に行って来ました*2


このグループの演奏会では、
和服を着た奏者たちが椅子に座り、楽譜を見ながら楽器を奏でます。
奏者が多ければ、前に指揮者が立ちます*3


楽器と衣装は純日本、
あとはおおよそ西洋のクラシックコンサートと同じ作法という、
ちょっとめずらしい、ほかでは見られない風景です。


今回の会場は、勝どきの第一生命ホール。
以前は千駄ヶ谷の津田ホールでの開催が多かったのですが、
最近は、この会場がよく使われているようです。


収容人数800人弱。室内オーケストラが演奏できる規模の
中ホールとしては、すぐれた会場ではないでしょうか*4


きょうのお客さんは、約5分の入りという感じでした。
平日の夕方ということを考えると、やむを得ないかもしれませんが、
いささか寂しい気がしました。


しかし内容は、たいへんすばらしいものでした。


今回の目玉は、伊福部昭のオーケストラ曲、
「交響譚詩」(1943)を、日本の伝統楽器アンサンブル用に
アレンジしたバージョンの初演でした。


さて、はたしていかなる結果だったのでしょうか。
演奏会の様子を、一曲ずつ、以下に紹介していきます。

竹に同じく(池辺晋一郎


最初に演奏されたのは池辺晋一郎の「竹に同じく」でした。
10人ほどの奏者による、尺八や龍笛、篠笛、笙など、
竹の楽器のための曲というおもむきです。


日本風の響きというよりは、日本の楽器を使った、
現代音楽という印象でした。


悪くない曲でしたが、いかにも芸術くさくて、
ほかの演目と比べると、いささか退屈だったのは確かです。


作曲者も会場に来ていましたが、
まばらな拍手が、ちょっとかわいそうな気がしました。


ちなみに、池辺晋一郎は、芸大作曲科卒で、
NHK教育テレビの「N響アワー」の解説や*5
宮崎駿の「未来少年コナン」の音楽で有名な人です*6

箏四重奏曲(長沢勝俊)


続いては、長沢勝俊による「箏四重奏曲」です*7


13絃の筝が3つと、17絃ひとつによるカルテットというわけです。
4つの筝は、高音から低音へ、ひとつずつ違った調弦がほどこされていました*8


池辺作品とはうってかわって、
いきいきとしたメロディがたいへん心地よいです。
そして明確なリズムが、音楽に躍動感を与えます。


曲は2楽章。
最後はあざやかな盛り上がりを見せて、爽快に終わります。


長沢勝俊の音楽には、生命力があるのです。
飾り気がなくて、親しみやすくて、中身があるのです。


こういう音楽をもっと多くの人に聴いてもらいたいものです。

日本楽器によるシナウイ(朴範薫)


前半最後の曲は、韓国の作曲家、朴範薫Park Bum Hoonによる
日本楽器のためのアンサンブル曲でした。


奏者は、指揮者も入れて25人。尺八が6人、二十絃筝が6人、
三味線に琵琶まで加わる、たいへん大がかりな曲です。


どうやら、朝鮮半島のシャーマンの儀式のための音楽を
モチーフにした曲のようです。


これが、たいへんダイナミックな傑作でした。
和楽器がこれほどの大音量を発する曲は、
ほかに見つかりそうにありません。


モチーフがシャーマンの儀式というだけあって、
原始的なバイタリティに満ちあふれています。


いささかやぼったく、泥臭いメロディなのですが、
それがどうしたとばかりに、クレッシェンド&アッチェレランドで
がんがん盛り上がっていきます。


最後は大音響の中でまさにシャーマン的な
忘我の境地に至ります。


聴衆を圧倒する、荒ぶる魅力に満ちた傑作でした。


田村拓男が、これほど烈しい指揮をするのを
見たのは初めてでした。


日本の伝統と離れたところから自由に発想したから、
このような曲ができたのでしょうか。
邦楽器の新たな可能性を感じさせてくれました。


これを聴けば、どんな人でも
日韓友好と叫ばずにはいられないでしょう。


日本の楽器を使って、韓国の作曲家が曲を作ったわけですが、
西洋の作曲家が試みるのとはまるで違って、
木に竹を接いだような違和感はありません。
おとなりの国だから、感性が近いのです。


この曲を聴きながら思ったのですが、
日本人は、西洋音楽よりむしろ、ほかのアジアの国の音楽を
知るべきだし、一緒に演奏するべきだということです。


朝鮮半島から中国、インドシナ、インド、ペルシャ、中東から
トルコや北アフリカを経てヨーロッパへ。
世界の文明は、そのようにつながっています。


そのつながりを無視して、日本人は、なんでもかんでも
いきなり西洋のものを取り入れようとします。
無謀なのです。
だから、しばしばちぐなぐなことが起こるのです。


日本の音楽は、まさにちぐはぐです。
地球のほとんど反対にあるヨーロッパの音楽を
いきなりマネしようというのですから。


それよりは、近隣地域の音楽との協同を試みることで、
自らの感性を少しずつ拡張していくほうが、
よほど自然ではないでしょうか。


となりの国から、さらにそのとなりの国へ。
そうやって、世界の音楽と日本の音楽をつなげていくべきではないでしょうか。
それは、世界における、自分の位置を確認することでもあるのです。


ごく当たり前のことですが、日本人は、
どうしてもこうしたことを忘れてしまいがちです。

交響譚詩(伊福部昭作曲 秋岸寛久編曲)


さて、休憩をはさんで、伊福部昭の傑作「交響譚詩」の
編曲版の演奏です*9


この曲は、伊福部昭第二次世界大戦中に作曲したもので、
兄上の死を悼んで作られています。
それまでに試みたモダンな要素を捨てて、
伊福部昭の作風ががらりと変わるきっかけとなった曲です。


2楽章で、演奏時間は16分ほど。
悲痛なアレグロとフォルテが、胸を打ちます。


もともと西洋オーケストラのための曲ですから、
和楽器アンサンブルが奏でるには、そうとう無理があります。
この編曲を手がけたのは、作曲家の秋岸寛久。
1962年生まれで、東京音楽大学三木稔や野坂恵子に師事したそうです。


演奏会のパンフレットによれば、東京音大の作曲科で、
彼は伊福部ゼミに所属していたそうです。


そして今回の編曲に関して、伊福部昭はスコアに目を通し、
細かなアドバイスをしたそうです。


とすれば、安心して聴けるものになりそうです。


ステージに登ったのは、指揮者を含め、総勢31人。
各種の筝はもちろん、太棹三味線、細棹三味線から胡弓*10
琵琶、篳篥、笙、尺八、龍笛、篠笛、打楽器類など、
それこそ、日本の伝統楽器をすべて糾合したような、
大オーケストラによる演奏です。


前回紹介した*11「鬢多々良」では、伊福部昭は、意図的に
(日本音楽集団のメイン楽器である)三味線と尺八をオミットしていたのですが、
今回は、他人による編曲ということもあり、編成に加えられています。


この日のコンサートには、伊福部昭が来場していました。
作曲者の前で、果たして、どんな演奏が披露されたでしょうか。


結論から申し上げますと、
第1楽章は、曲調からして、和楽器が奏でるにはいささか苦しかったのですが、
第2楽章は、違和感なく的確な編曲だったといえるのではないでしょうか。


メインの旋律を奏でるのは尺八を中心とする管楽器で、
弦楽器がハーモニーを支えるというスタイルでした。


篳篥(ひちりき)など、運動性の低い楽器が速いパッセージを
吹奏する箇所は確かに苦しかったのですが、
全体を見ると、原曲のイメージを損なわずに、
それぞれの楽器の特性が活かされていたと感じました。


西洋オーケストラで聴けるのと同じ音楽が、
たしかに和楽器群から聞こえてきたのです。


アップテンポの第1楽章では、
和楽器がかなり無理して西洋風の音楽をやっている感じがしたものの、
緩やかにはじまる第2楽章では、
もともと曲に含まれている日本的な要素がいっそう強調されて、
ときおりハッとさせられました。
原曲の魅力を再発見する思いでした。


ことに第2楽章の終盤の盛り上がりは、荘厳な迫力でした。
演奏が終わって、拍手の中、伊福部昭がすっくと立ち上がり、
オベーションに応えます。
編曲者の秋岸寛久も立ち上がり、登壇します。


アルゼンチン生まれの作家、ボルヘスJorge Luis Borgesは、
真にすぐれた文学作品というのは、外国語に翻訳されても、
本質的な魅力は決して損なわれないのだと言っています。


音楽に関しても、同じことがいえるのではないでしょうか。
たとえオリジナルと異なる編成で演奏されても、編曲さえ的確なら、
原曲の魅力は、決して失われることはないのです。

郢曲 鬢多々良(伊福部昭


さて、掉尾を飾るのは、先日このレビューで取り上げた*12
伊福部昭の大傑作「鬢多々良(びんたたら)」です。



ぼくは、日本音楽集団の演奏会でこの曲を聴くのは3度目ですが、
今回の演奏は、とりわけ熱のこもった、すばらしいものでした。
作曲家が来場していたため、
自然とテンションが高まったのではないでしょうか*13
そのせいか、テンポはCDよりかなり早めでした。


ぼくは客席の3列目に座っていたので、
各楽器の動きが手に取るようにわかりました。


こういう曲は、CDより実演を見るに限ります。
なじみのない楽器が、どのように音を出すのか、
自分の目で確かめることができるからです。


琵琶奏者がフレットの間に弦を深く押し込んで微妙な音程を作るのも、
篠笛奏者が微妙なメリカリをつけながら演奏する*14のも、
つぶさに観察することができました。


この曲が始まったとき、きょう演奏されたどの曲とも、
まるで格が違う作品だということが、瞬時に感じ取れました。
うまく表現できませんが、ホール全体が、音楽で満たされる感じでした。
豊かなリズムとメロディ、そのひとつひとつの音が、
聴衆ひとりひとりの心にダイレクトに響き渡るようでした。


テーマ、中間部、そして再現部と、自在にムードを変えながら
高潮し、堂々たるクライマックスに到達します。


曲が終わると会場に大きな拍手が起こり、いつまでも止まりませんでした。
91歳を目前にした作曲家が静かに立ち上がり、喝采に応えます。
その周囲に、見えない光が射しているようです。
ステージのミュージシャンたちも立ち上がって、伊福部昭に拍手を送ります。
これ以上あたたかな拍手を、ぼくはほかに知りません。


このような音楽を、作曲者と一緒の空間で聴くことができる幸せを、
いったいなんと表現したらいいのでしょうか?
ぼくは感動のあまり、会場を出ても、
しばらく茫然として、何も考えることができませんでした。


終演後、伊福部昭の周囲には、門下生たちが集まっていました。
ぼくが見てわかったのは、今井重幸*15と、和田薫*16でした。
和田薫が、師の車椅子を押していくのが見えました。


新旧の門弟たちに囲まれて、
先生がお元気そうに話しているのを見て、少しほっとしました。
いつまでもお元気でいてください。


今回のコンサートは、たいへん充実した、すばらしい内容でした。
みなさんもぜひいちど、日本音楽集団の定期演奏会に足を運んでみてください。


ただ言うまでもなく、
こんなコンサートは、デートにはまったく使えませんし、
現代邦楽なんて聴いていても、女の子にはぜったいにもてませんけど。

ガキどもよ、静かにせい!


ところで今回のコンサートでは、
2階席に、おそらく地元の小学生たちが、
芸術鑑賞とか、そういう行事の一環で来場していました。


子供が和楽器の音色に触れることはたいへん意義深いことですし、
それ自体はまったく否定しませんが、
演奏中にやかましくて、はなはだ閉口しました。


彼らは、学校行事ということで、なんとなく来ているだけでしょう。
しかし1階席の多くの観客は、自分でお金を払って見に来ているのですから、
それを邪魔するのは、許せないことです。


なかでもひどいと思ったのが、父兄が付き添っているのに、
当の父兄が(ごく一部ですが)、
演奏中に子供とぺちゃくちゃしゃべっていたことです。


ちょっと信じられない話です。
これでは、子供が静かにしているはずがありません。


子供にマナーを説くのが非常識だというなら、
そもそも、彼らをコンサート会場に入れるべきではありません。
特別に、子供向けの演奏会をやればいいのです。


こんなことは、二度とないようにしてほしいものです。

芸術はのびやかであれ!


最後に、伊福部昭が今回の演奏会のために寄せた文章の一節を、
パンフレットからここに引用しておきます。


現代の音楽世界は、自己顕示欲とモダニズムの毒気に当って
何か少し強張ったものとなりがちですが、これを超えて、
きっと伸びやかな自由闊達な境地に至ることが望ましいと
考えています。
 若い皆様は、この轍を踏まぬよう心から希って止みません。」


いうまでもなく、これは、音楽のみならず、
芸術と呼ばれる分野すべてにあてはまることなのです。


およそ創作にたずさわる人は、
この言葉を噛みしめるべきではないでしょうか。


伊福部昭の音楽は、この言葉を見事に実践しています。
聴く人すべてに芸術の真のありようを示してくれる、
永遠不滅の燈台なのです。


ぼくは、すべての人が彼の音楽を聴くことを心から願ってやみません。


もちろん、聴いても女の子にはもてませんけど*17

*1:http://www.promusica.or.jp/index_j.html

*2:日本音楽集団に関しては、過去のレビューを読んでみてください→ id:putchees:20050318

*3:その際、クラシックのオーケストラ指揮者が客演したりします。これまでに山田一雄井上道義本名徹次などが客演しています。山田一雄が指揮したときは、リハーサルとまったく違う、めちゃくちゃ速いテンポで、奏者はついていくのがたいへんだったそうです。

*4:もともと第一生命ホールは、皇居のお堀端、日比谷の第一生命館に入っていたそうです。最近立て替えられてしまいましたが、第二次大戦の敗戦後にGHQが入っていた、有名な建物です。日本音楽集団の第1回定期演奏会は、その旧第一生命ホールで行われたそうです。

*5:駄洒落が多い。

*6:実相寺昭雄の最新作「姑獲鳥の夏」の音楽も担当しているようです。

*7:長沢勝俊については、過去のレビューを読んでみてください→ id:putchees:20050318

*8:ちなみに演奏に用いられる爪(義爪)は、生田流の四角い爪(角爪)が使われていました。

*9:伊福部昭については、過去のレビューも読んでみてください→ id:putchees:20041202 id:putchees:20041224 id:putchees:20050513

*10:中国の二胡とは違います。三味線を弓で弾くような、日本独自の擦弦楽器です。

*11:id:putchees:20050513

*12:id:putchees:20050513

*13:そういえば、前回ぼくが聴いたときは、伊福部昭は来場していませんでした。そのときの演奏の印象はごく薄いのです。

*14:日本の竹笛は、そのままでは音程が不安定なため、息を吹き込む角度で、微妙な音程のズレを修正します。その手法をメリ・カリと呼びます。

*15:伊福部昭とヴァレーズEdgard Vareseに師事した作曲家。

*16:和田薫については、以下のレビューを読んでみてください→ id:putchees:20041213

*17:でも、そんなことは問題じゃないのです!