和楽器による至高の傑作、伊福部昭「鬢多々良」を聴け!

putchees2005-05-13


今回のCD

「鬢多々良(びんたたら)」
伊福部昭 作品集


(カメラータ・トウキョウ1998/28CM-290)

曲目

二十絃箏曲「物云舞」(1979)
ヴァイオリン・ソナタ(1985)
サハリン島土民の三つの揺籃歌(1949)
郢曲「鬢多々良」(1973)

ミュージシャン

作曲:伊福部昭
演奏:
野坂惠子(二十絃箏)
小林武史(ヴァイオリン)
梅村祐子(ピアノ)
平田恭子(ソプラノ)
井上直幸(ピアノ)
田村拓男(指揮)
日本音楽集団


(録音:1988年7月/埼玉 ほか)

「自分たちの音楽」を忘れた日本人


21世紀に生きる日本人にとって、楽器というのは西洋楽器のことです。


楽器店には、ヤマハのピアノとか、
セルマーのサックスとか、ギブソンのギターとかが置いてあります。


日本古来の楽器は、影も形もありません。


街を歩いていても、ギターを背負ったり、
サックスのケースを抱えている人はしばしば見かけますが、
三味線を背負っている人は、ついぞ見かけません。


日本古来の楽器なんて、まるで存在していないかのようです。


テレビやラジオからも、日本の楽器の音が流れてくることは、
ほとんどありません。


流行歌はすべて西洋風のポップスです。


日本古来の音楽なんて、まるで存在しないかのようです。


思えば、学校の音楽の時間で教えてくれたのは、
ベートーヴェンL.V.BeethovenやシューベルトF.P.Schubertといった、
西洋の音楽のことばかりでした*1


良家の子女がお稽古ごとで学ぶのは、ピアノやヴァイオリンで、
決して筝(琴)や三味線ではありません*2


ぼくたちは、日本古来の楽器に、どのようなものがあるのか、
そしてどのような曲があるのか、ほとんどなにも知らないのです。


自分たちの伝統を、これほど無惨に捨て去ってしまった国民は、
おそらくほかにないでしょう*3


はたして、日本の伝統音楽と楽器は、それほど取るに足りない、
つまらないものなのでしょうか?

東西の楽器に精通した巨匠


さて、伊福部昭という作曲家がいます。
一般には、映画「ゴジラ」シリーズの音楽で有名です。


「ドシラ・ドシラ・ドシラソラシドシラ」
という単純なメロディを持った、複雑な拍子のテーマ曲を作ったのは彼です。


ニューヨークヤンキースNew York Yankeesの松井秀喜がヒットを放ったときに
球場に高らかに鳴り響くゴジラの咆哮をご存じでしょうか。
あの印象的な音を最初に作ったのも、伊福部昭です。


彼はまもなく91歳の誕生日を迎えます*4
日本ではもちろん、世界でも最高齢の現役作曲家のひとりです。


彼は1930年代はじめに、ストラヴィンスキーIgor StravinskyラヴェルMaurice Ravel
ファリャManuel de Fallaの影響を受けて作曲を始めました。


したがって、最初から西洋楽器を使って作曲をしてきました。
しかし、彼が西洋かぶれの曲を作ったかというと、そうではありません。


彼は西洋楽器を使って、
日本人の感性で音楽を作ることに精力を傾けたのです。


日本人は、たとえどんな楽器を使おうと、
日本人らしい曲を作るべきだと考えていたのです。


そうして生まれた初期の作品が、
「ピアノ組曲」(1933)や「日本狂詩曲」(1935)です。
これらの曲で、ピアノやオーケストラを通じて聞こえてくるのは、
まぎれもない日本の音です。


日本が第二次世界大戦に敗れた後、
彼は映画音楽の仕事を始めましたが、
その中では、邦楽器をしばしば用いました。


彼は西洋楽器のあらゆる用法に精通していますが*5
邦楽器についても知悉しています。


そんな伊福部昭が、日本の楽器を使って初めて本格的に作曲したのが、
今回紹介する「郢曲 鬢多々良(えいきょく びんたたら)」です。


なにやらものものしいタイトルですが、
なにも恐れることはありません。


この曲は、琵琶や龍笛、筝、篳篥(ひちりき)や笙といった
日本古来の楽器を使って、大規模な合奏を試みたものです。


伊福部昭の最高傑作のひとつといえる名曲中の名曲です。


これまで、和楽器合奏のために作られたあらゆる曲のうちで、
おそらく最高峰に位置する作品なのです。


この曲を聴けば、誰でもたちどころに、
日本古来の楽器のすばらしさがわかるはずです。

和楽器オーケストラとのコラボレーション


以前のレビューで書いたとおり*6、日本では、
雅楽*7を除いて、大規模な合奏というのは行われていませんでした。


それを、歴史上初めて自由に試みたのが、1964年に誕生した
日本音楽集団*8というグループです*9


日本音楽集団は、田村拓男や三木稔*10、長沢勝俊*11といった
団員たちの努力によって、日本の楽器同士の合奏のノウハウを
蓄積し、演奏する曲のレパートリーを増やしてきました。


この「鬢多々良」も、日本音楽集団のために書かれた作品です*12


能管、篳篥龍笛、篠笛、笙、筑前琵琶、薩摩琵琶、筝、十七弦筝、小鼓、
太鼓、楽太鼓という編成で、16人のプレイヤー(および指揮者)で奏でられます。

和楽器の豊かな響きに酔いしれる!


曲のタイトルにある「郢曲」というのは、平安時代の音楽のことで、
宮廷音楽と庶民の音楽の中間に位置したものであったそうです。
そして「鬢多々良」というのは、自由な形式の舞のための音楽のことだそうです。


つまりは、ラプソディックな日本のダンスミュージックということでしょう。
小難しいことは考えないで、ともかく聴いてみましょう。


筝によるゆったりとして明朗な独奏から始まります。
おお、これです。この筝の音こそ、ぼくたちの祖先が、
この島々ではぐくんできた音なのです。


追って、複数の筝が合奏に加わってきます。
まるで蝶が舞うような、筝の乱舞です。


やがて、琵琶のベベン! というパーカッシヴなピチカートが加わります。
その背景に、笙が摩訶不思議な和音*13を敷きつめます。


いよいよトゥッティに突入、龍笛と篠笛が、
竹林に吹く風を思わせる音色でメインテーマを奏でます。
篳篥のうねるような独特の音色が、彩りを添えます。
どこまでも明確なリズムが、たいへん心地よいです。


ひとしきりテーマを奏でると、ゆるやかな独奏部に入ります。
まずは琵琶と笛の独奏。どちらも情感たっぷりです。
続く篳篥のソロのバックで、鼓が緊張感に満ちたリズムを奏でます。
おごそかなムードで、楽器が次第に増えて、最初のクライマックスに達します。


ピタリと静まったあとは、筝のソロです。
そして、笙のソロへ。
笙がメロディを奏でるのを聴いたことがある人は、ほとんどいないでしょう。
しかし、これほど美しいものはありません。
かそけき竹の音色が、聴くものを陶然とさせます。


そして、再現部へ突入。
筝のソロから、次第にテンポを上げていきます。
今回は打楽器も加わって、冒頭以上に賑やかです。


トゥッティでメインテーマを美しく奏でた後、
全楽器がクレッシェンドして、テンポを上げながら、
感動のクライマックスへなだれ込んでいきます。


最後は、能管のヒシギ*14と鼓で、
「ピィ〜ッ、ポン!」と、たいへん気持ちよく締めくくられます。


バイタリティにあふれる伊福部節は、
邦楽器を使ってもまったく揺るぎません。


邦楽器の曲なんて、BGMくらいにしかならないと思っていたら、
大間違いです。


クライマックスの、全楽器入り乱れての大饗宴を耳にしたら、
誰でも茫然とするに違いありません。


どこまでも日本人の感性で作られていますが、
そういう曲にありがちな貧乏くささや、抹香くささとは、まったく無縁。
まっすぐで、おおらかで、スケールの大きな曲です。


日本の楽器を使って、よくぞここまでやってくれたと、
溜飲の下がる思いです。


西洋楽器に対する盲信が、雲散霧消すること間違いないです。

これは日本楽器による「オーケストラ」なのだ!


琵琶や篳篥、笙といった、
ひとつひとつの和楽器の特性をこれほど巧みに活かした曲は、
ちょっとほかに見あたりません。


ハンガリー生まれの作曲家・バルトークBartok Belaは、
オーケストラの楽器ひとつひとつの個性を活かした
管弦楽のための協奏曲Concert for Orchestra」(1943)という曲を書きましたが、
この「鬢多々良」は、それこそ、和楽器オーケストラのための協奏曲と呼んでもいいほどです。


この曲を聴けば、たちどころに、日本の楽器の音色の豊かさと、
日本音楽の伝統の奥行きの深さを理解することができるでしょう。


伊福部昭の楽器用法の巧みさに、
誰しも舌を巻くに違いありません。


西洋楽器だけが楽器なのであって、
日本の民族楽器なんてつまらないものだというのが、
まったく浅はかな考えだということを、この曲が教えてくれます。


そして、純日本風の感性で作られた音楽が、
現代日本人の心にも感動を呼ぶのだと、
理解することができるはずです。

二十弦筝の名曲も収録


さて、このCDには、伊福部昭が筝の名手・野坂恵子のために初めて作曲した、
二十弦筝独奏のための作品「物云舞(ものいうまい)」が収められています。


この曲もまた、傑作中の傑作です。
これほど厳しく、壮絶な筝のための曲は、
ひょっとすると過去に存在していなかったかもしれません。


これを聴けば、日本の筝が、西洋のハープなどより、
はるかに豊かな表現力をそなえた楽器であることがわかるでしょう。


「鬢多々良」と合わせ、ぜひ聴いてもらいたい一曲です。

この名曲の実演が聴ける!


さて、この「鬢多々良」ですが、来たる5月19日(木)、
東京・勝どきトリトンスクエア内の第一生命ホールで行なわれる
日本音楽集団の定期演奏会で取り上げられます。


詳しくは以下のURLをごらん下さい。
http://www.promusica.or.jp/concert/teiki-concert/179-20050519.html


ぼくは、過去に日本音楽集団の定期演奏会で、「鬢多々良」の実演を
二回聴いていますが、いずれも鳥肌の立つような体験でした。
何度聴いても、また聴きたくなるような曲なのです。


そして実演では、CDとは違った発見があるに違いありません。
篳篥や琵琶が、実際にどんなふうに演奏されているか、
見てみたいと思いませんか?


日本音楽集団のコンサートは、初めての人には、
たいへんエキサイティングな体験だと思われます。
当日券はあるはずなので、ぜひみなさんも一度、足を運んでみてください。


今回の定期演奏会では、なんと、
伊福部昭が第二次大戦中に作曲したオーケストラ曲「交響譚詩」(1943)が、
邦楽合奏に編曲されて初演されます*15。こちらも楽しみです。

ともかく一度聴いてみて!


日本の楽器は、ほかの楽器ではかけがえのない、
個性的で豊かな音色のものばかりです。


ひとたびその美しい音を聴けば、
きっとみんな、とりこになってしまうはずです。


そしてその音色が、借り物でない「自分たちの音」だということに、
日本人ならばじきに気が付くはずです。


そして日本の楽器をもっともうまく演奏できるのは、
わたしたち日本人なのです。


西洋楽器だけが楽器ではありません。
どちらがすぐれているかという問題ではなく、
おのおのの領分を守って、共存していくべき存在なのです。


この「鬢多々良」を聴いて、ひとりでも多くの人が、
日本の楽器の魅力に目覚めてほしいと、ぼくは切に願っています。


それだけのバイタリティを持った、強烈な音楽なのです。


ぜひみなさんも一度、このCDを聴いてみてください。


ただし、これを聴いていても、女の子にはぜったいにもてません。

*1:近年、文部科学省は邦楽器を音楽教育に取り入れようとしているようですが、肝心の音楽教師が、西洋音楽の訓練しか受けていないために、現場では指導に苦慮しているようです。

*2:もちろん例外はありますが。

*3:いかに西洋音楽の影響を受けようと、自分たちの楽器や音楽の伝統を、誇りを持って伝承している国は数多くあります。

*4:2005年5月31日。1914年生まれ。

*5:彼が著した「管弦楽法」(音楽之友社、上下巻)は、オーケストラおよび各楽器の使い方に関して、日本語で書かれた中で最も詳細で、日本の多くの作曲家、作曲科学生にとって必須の書物です。吉松隆も、この本でオーケストレーションを独学したそうです。いまでも大型書店の音楽書コーナーに行くと棚に並んでいますから、いちど眺めてみてください。たぶん、充実した内容にビックリするはずです。

*6:長沢勝俊の稿です→ id:putchees:20050318

*7:5世紀以降、中国大陸と朝鮮半島から伝わったさまざまな宮廷音楽が、9世紀に日本人の好みに応じて整理され、以後はほぼそのままの形で現代まで伝わっています。

*8:http://www.promusica.or.jp/index_j.html

*9:日本音楽集団に関しては、過去のレビューを読んでみてください→ id:putchees:20050318

*10:三木稔については、過去のレビューを読んでみてください→ id:putchees:20041208、id:putchees:20050116

*11:長沢勝俊については、過去のレビューを読んでみてください→ id:putchees:20050318

*12:作曲を委嘱したのは、文化庁。ちなみにこの1973年、伊福部昭シナノ企画製作の映画「人間革命」(主演は丹波哲郎)の音楽を担当しています。

*13:笙の和音を「合竹(あいたけ)」といいますが、五線譜に表すと、ほとんどトーン・クラスターのような密集した不協和音(西洋的な感性からいうと)です。これが、日本的な「和音」なのです。

*14:能楽でよく聞かれる、特徴的なかん高い音。

*15:残念ながら、他人による編曲です。定期演奏会のチラシの解説文などから想像するに、日本音楽集団は、伊福部昭に幾度となく和楽器合奏曲の新作を委嘱しようとしているのですが、おそらく固辞されているのでしょう。それで、旧作の編曲という形になっているのだと思われます。ちなみに、日本音楽集団ではかつて、ラヴェルの「ボレロBolero」を、邦楽合奏に編曲したものを演奏するという冒険的な試みを行っています。このときの編曲は、池辺晋一郎