敗戦60年、苦悩する日本人の交響曲を聴け!

putchees2005-10-04


今回のCD


日本作曲家選輯 諸井三郎」
ナクソスNaxos 8.557162J)

曲目


●こどものための小交響曲(1943)
Sinfonietta in B flat major Op.24, "For Children"
●交響的二楽章(1942)
Symphonic Movements Op.22
交響曲第3番(1944)
Symphony No.3 Op. 25
(すべて世界初録音)

ミュージシャン


指揮:湯浅卓雄(ゆあさ・たくお)
管弦楽アイルランド国立交響楽団
Ireland National Symphony Orchestra

日本の敗北60年


今年は、第二次世界大戦(1939〜1945)が終結して60年です。
ご存じのように、第二次大戦で、日本帝国はナチス・ドイツとともに
連合国the Alliesに敗れ去りました。


明治維新(1868)以後の日本は、近代以後の世界で常識だった
白人優位White Supremacyに対する野心的な挑戦者でしたが、
最終的に、完膚無きまで打ちのめされてしまいました。


この敗北は、事前に予測可能な敗北であり、
そんな戦争を始めてしまったというのはすなわち、
近代日本の国家システムの失敗を意味していました。
日本人が長期的展望に立った戦略を持たず、行き当たりばったりで
国家運営をしてきた結果でした*1
二院制の帝国議会も、東アジア初の憲法も、帝国陸海軍も、
普通選挙も、政党内閣制も、能力重視の官僚制も、
国家の破滅を止めることはできませんでした。


過去、外国勢力に蹂躙されたことがないのを誇りにしてきた日本は、
アメリカ合衆国によってとうとう占領され、明治以降、自力で築いてきた
日本国家は根こそぎ解体されてしまいました。


まあ、いってみれば
純潔の処女が陵辱されたみたいなものです。


不快な表現になりますが、
ありていにいえば、ぼくたち戦後世代すべては、
アメリカにレイプされて生まれた、
不義の子供みたいなものではないでしょうか。


ぼくたち戦後世代は、
愛すべき存在でありながら無力で無節操な母親(日本)と、
野蛮な暴君でありながら人間的魅力に満ちた父親(合衆国)との間で
引き裂かれているのです。


そして敗戦から60年経ったいまでも、
ぼくたちのアイデンティティは引き裂かれたままです*2


しかし、国内外で優に1000万人以上を死に至らしめた代償として、
ぼくたちはそのくびきを今後も背負っていかなければならないでしょう。

日本文化の敗北


さて、角川文庫の最後に、
こんな文章が載っているのをご存じでしょうか。
角川書店の創業者である国文学者・
角川源義(かどかわ・げんよし)の言葉です。

「第二次大戦の敗北は、軍事力の敗北であると同時に、
若い私たちの文化力の敗北であった。私たちの文化が
戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎ
なかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。」


文化の力では、自殺行為的な戦争への突入を止めることも、
ましてや勝利へみちびくこともできなかったという
悔悟の念がつづられています。


自分たちの文化が未熟だったから祖国は破滅してしまったのだ、
知識人ならそう考えるのは当然です。

日本文化の虚弱さ


ぼくたちはうすうす気がついていますが、
日本文化は、独自性はあるものの、
世界に通用するような強靱さにはいちじるしく欠けています。


そもそも、日本の「盆栽文化」は、小事を要領よくまとめることには
向いていても、壮大な計画を長期的な展望で達成することには、
はなはだ不向きです。


手の込んだ工芸品を作ることには長けていても、
天に届くような大伽藍を作ることはできないというわけです。


また、われわれ日本人はお人好しで、世間知らずで、
外交下手であることも、つねづね実感しています。


結局のところ、日本的な文化・文明では、
近代的な大戦争*3に勝利することはできないのではないだろうか?


…とまあ、敗戦によって日本のインテリ層が受けた衝撃は甚大でした。
結局、日本の文化は、二流なのだろうか?

文学における問題意識


編集者・小説家の横溝正史(よこみぞ・せいし)は、
そのような危機感を抱いていたひとりでした。
彼の専門分野は探偵小説detective storiesでした。


彼の問題意識はこうです。
知的な創作である探偵小説という分野*4で、日本人はいまだに
論理の大伽藍ともいうべき名作を書き上げていないのではないだろうか?


横溝正史の盟友である江戸川乱歩(えどがわ・らんぽ)は、
純粋に論理的な探偵小説の大作を書くという念願を抱きながら、
長年果たせずにいました。


論理的な創作に、自分を含めた日本人は向いていないのではないか、
という弱音を、乱歩は自著で幾度となく漏らしています。


横溝正史は、盟友の宿願を自分が実現しようと考えます。
そして彼が敗戦の翌年に書き上げたのが、
有名な探偵・金田一耕助の登場する「本陣殺人事件」(1946)でした。


日本人にも、西洋の名作に勝るとも劣らない、
構築的な小説を書く能力があることを、
示そうとしたわけです。


裏を返せば、日本の文学のほとんどは(探偵小説に限らず)、
およそ主観的、情緒的で、西洋文学の傑作に見られるような
構築的、論理的な完成度に達していないということです。

音楽で西洋に挑戦する


さて、時代は戦前に戻りますが、
音楽界にも、ちょうどそのような問題意識を抱いている人材がいました。
今回紹介する諸井三郎(もろい・さぶろう。)です。
彼は1903年生まれ、1977年没です。


諸井家は、秩父セメント*5創業家として知られています。
現在、財界の顔役として知られる諸井虔(もろい・けん)の父君が、
作曲家・諸井三郎です*6


諸井三郎はまた、團伊玖磨、入野義朗、柴田南雄矢代秋雄
三木鶏郎渡辺宙明らの、作曲の師でもあります。


彼は、1930年代のドイツに留学し、
ヨーロッパ流の作曲法を身につけていました。
彼もまた、横溝正史と同様、
西洋に負けないような作品を作ろうとして
もがいていたのです。

日本音楽の矮小さ


さて、日本の音楽は、独自性があるし、雅楽長唄のように、
高い芸術性を誇るものも数多くあります。


しかし、それらは所詮小規模なもので、西洋の大管弦楽
くらべれば、児戯にひとしいのではないだろうか?


ことに、ベートーベンLudwig van Beethovenに代表されるような
主題をさまざまに展開させる、知的で明晰で構築的な音楽は、
日本音楽の到底及ぶところではありません。


西洋の大管弦楽を自在に使って、西洋人と対等な創作ができて初めて、
日本人の優秀性が客観的に認められるのではないか?


日本は、西洋の文明を取り入れて強国になったのだから、
音楽においても、当然そうあるべきだ。


西洋音楽に接した近代の日本人がそのように考えるのは、
ごく自然ななりゆきです。
特に、西洋に留学して、かの地の文明(音楽を含めた)に圧倒された
人ならなおさらでした。

西洋と日本の葛藤


西洋文明のものすごさに直面した日本人がとる道は、
簡単に言えばふたつです。


ひとつは西洋文明に完全に屈服すること。
この場合、西洋文明の模倣こそが、その人の進む道となります。
…と書くと卑屈な感じですが、
言い換えるなら「西洋文明を普遍的な価値として認める」立場です。


もうひとつは、彼我のあまりの違いに絶望し、
西洋文明への追従をあきらめて、日本の独自性を追求すること。
これは、「西洋文明を相対的なものとみなす」立場です。
…と書けばかっこよさげですが、
悪く言えば葛藤を避ける逃走とみなすこともできます。


そして言うまでもなく、実際にはこの両者の立場の間を揺れ動くのが、
常であるようです*7

西洋と真っ向勝負!


諸井三郎の選んだ道は、前者に近いものでした。
西洋の音楽を普遍的なものと認め、その範疇の中で
自己の表現を達成しようとしました。
西洋のオーケストラを使って、西洋人に負けない、
堅固な構造の交響曲を書き上げようとしたのです。


つまりは真っ向勝負。相手の土俵に立って、
がっぷり四つに取り組もうというわけです。
目指すはベートーベンかブルックナーAnton Bruckner西洋音楽の本流です。
明らかに不利な戦いなのですが、諸井三郎は果敢に創作に取り組みます。


西洋のルールで勝負するというのは、日本人にとっては
向こう見ずなことです*8。よほどの自信と覚悟がなければ、
できることではありません。


作品の中に日本的な要素を取り入れれば、西洋音楽との真っ向勝負を
避けることができます。西洋音楽と比較されにくくなりますから、
作曲家にとっては批判を予防することになるわけです。


あの山田耕筰でさえ、欧州からの帰国後は西洋への一体化をあきらめ、
日本の要素を取り入れた創作に励んだのです*9


しかし、諸井三郎は、あくまでヨーロッパ式の作曲法で
勝負しようとします。日本的な曖昧さに逃げず、
堅固で論理的な音を組み立てようとしたのです。


諸井三郎がドイツ留学から帰国したのは1934年。
祖国で、彼は意欲的に創作に取り組みます。
この、情緒的でなにごとも行き当たりばったりの国に、
堅固な音楽と堅固な文化を根付かせようとするかのように。

1000円で手に入るすばらしいCD


さて、今回紹介するのは、
世界に名高いナクソスNaxos*10がリリースしている
日本作曲家選輯」シリーズの一枚です。


このレビューでも、すでに伊福部昭、大澤壽人、黛敏郎、深井史郎の
作品集を紹介しています*11


諸井三郎作品集は、シリーズの10枚目として発売されたものです。
1942年、43年、44年のオーケストラ作品がひとつずつ収められています。


日本がアメリカ、イギリス、オランダ、中国(中華民国)、オーストラリアなどと
血みどろの戦争を闘っているまさにその時期に書かれた作品ばかりです。


1942年の後半以降、
第二次大戦の太平洋戦線(日本では大東亜戦争)の戦況は日々悪化し、
祖国は滅亡に向かって坂道を転げ落ちていました。


そんなとき、作曲家はどういった作品を書いたのでしょうか。
ちょっと興味が湧くではありませんか。


このCDに収められている作品のうち、注目すべきは、
1944年に書かれた交響曲第三番です。


3管編成に複数のパーカッション、オルガンまで加えた大編成で、
演奏時間にして35分に及ぶ大作なのです。


このCDで解説を担当している片山杜秀(かたやま・もりひで)は、以前から
諸井三郎の交響曲第三番を「滅びゆく大日本帝国への挽歌」として
称揚しており、関係者の熱意でようやく世界初録音が実現しました。


その片山杜秀の解説は、今回も入魂の出来。
解説だけでも1000円出して買う価値があります。

古くさい音楽


さて、諸井三郎の交響曲第三番は、
3つの楽章で構成されています。


聴いてみると、陰のあるハーモニーと旋律が
ゆったりと流れていく音楽です。


盛り上がる箇所はあるものの、
アッパーかダウナーかと問われれば、明らかに後者です。
緊張感はありますが、あまり高揚感のある音楽ではありません。


そのため、ちょっと聴いただけでは「ふーん」で
終わってしまいそうです。


たしかに、ブルックナー流の重厚で長大な音楽ですが、
「だからどうした」と言われればそれまでです。


「知的で構築的な音楽」に価値があるというのは、
言ってみれば古くさい考え方です。


BGMとして聴く分には、そんなことはどうでもいいからです。


同じリズムとメロディが飽きることなく繰り返される音楽に
囲まれた21世紀のぼくたちにとっては、知的な音楽かどうかより、
聴いて気持ちいいかどうか、それだけが問題なのです


現代の聴衆は、ごくごく一部の例外を除いて快楽主義者です。
残念ながら、この作品は時代から取り残された音楽なのです。

日本人の音楽は気まぐれ


そもそも、日本人が「主題の変奏と展開」などという手法を使って
曲を作る意味があるのか、それさえギモンです。


諸井三郎がおそらく慨嘆したように、
ぼくたち日本人は、そういった音楽を聴きとる耳を持っていません。


ひとつのテーマを縮めたり、のばしたり、分解したりして、
ちまちま音楽を構成していく*12ことと、得られる感動が比例するとは、
どうも信じられない気がするのです。


日本人の音楽は、いまも昔も気まぐれで主観的です。
日本人の音楽に対する感性が、そのようなものだということです。


作曲の手法を学ぶことは可能でも、
音楽を作り出す感性は、
どうしても自分の中にあるものを使わなければなりません。


そうしたとき、日本人である自分の感性と、
目指す西洋的なものとの葛藤に、
諸井三郎は悩まされたに違いありません。


なぜなら、感性を100%西洋流に変えることは、
絶対に不可能だからです。


それなら、この作品は、
根本的なところに困難を抱えていることになります。

西洋のマネは無駄だけど…


これまでの本レビュー記事をお読みになった方ならわかるとおり、
ぼくは「日本人は西洋のマネしてもしょうがない」という立場なので、
こういった曲は、どうしても評価が低くなってしまいます。


ぼく自身の、この曲についての最初の感想はこうでした。
「確かにこの曲、苦労して作っただろうけど、こんなもの作っても、
果たして意味があるのかなあ」


…と、前段に挙げたような理由で、
ぼくはつい懐疑的になってしまったわけです。


しかしだからといって、この曲を否定する気はありません。
ちゃんと魅力のある音楽だと考えています。


それは、この曲は諸井三郎が、誠実に自分の音で
作ろうとした音楽だと感じるからです。


片山杜秀の解説に、興味深いことが書かれていました。


この交響曲第三番は、西洋流でありながら、
ちょっとそうでないところがあるのだそうです。


ひとつは、各楽章の構成が、伝統的な交響曲の作法とは違っていることです。
よくある「急→緩→急」ではなくて、「緩→急→緩」となっています。


また解説によれば、主題の扱い方についても、西洋の規範から
はずれた取り扱いがなされているそうです。


つまりは西洋的な美観から少しはずれた構成だということです。
とすれば、諸井三郎は、西洋のサルマネではなく、
日本流の(つまりは自分流の)交響曲のありようを
さぐっていたのかもしれません。


それを知って、この曲に興味が湧いてきました。


そもそも、交響曲という音楽が時代遅れなのは
1944年の時点ですでにそうだったのですし、
日本人にソナタ形式*13がそぐわないのは、最初から
わかりきったことです。諸井三郎の創作は、
日本人が交響曲を書くことの不可能性を認めた地点から
スタートしているのです。
いまどきこんな曲を…なんてヤボなことは言わないで、
虚心坦懐に聴いてみようではありませんか。

普遍的な響きを目指して


この曲は、よくも悪くもきまじめです。
情緒を抑制しているから、過度にロマンチックになりませんし、
極度に猛烈になることもありません。


たしかにブルックナー風ではありますが、
あれほど堂々とはしていません。
いささか弱々しいところがいかにも日本的です。


第一楽章は、序奏の悲痛なメロディから始まります。
暗闇の中から聞こえるかすかな嘆き声のようです。
そして憂鬱なアレグロへと盛り上がっていきます。


第二楽章は間奏曲的なアレグレットです。
つんのめるような変拍子で、激しく高ぶります。


第三楽章は穏やかなアダージョです。
悲しみの中から、次第に澄み渡った空気が広がってきます。
最後は、清澄きわまりない和音で、堂々と結ばれます。


ことに、冒頭の哀切なメロディと、最終楽章のフィナーレは、
聴き手の心をゆさぶります。


ヨーロッパの名作と肩を並べるほど明晰で構築的な
音楽かどうかと問われれば疑問が残りますが、諸井三郎は、
日本人がオーケストラ曲を書くことへの自分なりの回答として
この曲を作ったのに違いありません。


それは、西洋流とは少し違った流儀で交響曲を書くということでした。
結果的に作品は、日本のメロディを使わなくても、
どこか日本的な性格を持ったものになりました。


いや、作曲者は、西洋とか日本だとかいう地域的なカテゴリーを超えた
普遍的な音楽を目指したのかも知れません。


おそらく作曲家には、西洋音楽を作るという意識はありません。
ただ音楽を作るという意識だけでしょう。
諸井三郎の場合は、たまたま、
その手法において西洋的だということに過ぎません。


彼は西洋の音楽を消化吸収した後に、西洋音楽の文法で、
自分の音を誠実につづったのでしょう。


明治以降の日本人が西洋音楽を学ぶひとつのきっかけは、
日本の音楽はこのままではいけないという
危機感だったに違いありません。
日本の音楽は世界一だ!と根拠もなく叫んでいても
夜郎自大で進歩がありません。
それならば、西洋に学んで日本の音楽を
レベルの高いものにしようという考えのほうが、はるかに
建設的ではありませんか。


諸井三郎は西洋のルールで普遍的な名曲を作ろうとしたのです。
完全に不利な真っ向勝負で、
よく健闘したと言えるのではないでしょうか。

敗北の危機を前にして


片山杜秀はこう記しています。

「この交響曲は、ひとりの芸術家の、精神の発展と、
戦時の狂的心理と、死の覚悟ないし死への諦念、そして
究極の救済への夢を描く白鳥の歌であり、またひとつの
帝国の黄昏に捧げられた音楽である。」


音楽と、それが作られた背景とは本来無関係ですが、
祖国の滅亡を前にして、意気上がるようなそらぞらしい曲は、
とても書けなかったでしょう*14


そして祖国は、諸井三郎が学んだ西洋と戦い*15、敗れつつありました。
そのような事態を目の当たりにして、作曲者の中での葛藤は、
ほとんど危機に近いほどにまで高まっていたのではないでしょうか。


なぜなら日本が敗北するというのは、
「西洋に学んですぐれた文明を建設する」という手法そのものが
否定されることだからです。


どのようにして彼が危機を乗り越え、この曲が完成したのかは、
ぼくたちには知るよしもありません。


しかし、そうした状況の中でこの曲が生まれたことを考えると、
いっそう感慨深いではありませんか。


各楽章には、それぞれ
「静かなる序曲〜精神の誕生とその発展」
諧謔について」
「死についての諸観念」
という題がつけられています。


それらの言葉と音楽、時代背景を結びつけて鑑賞することも
可能でしょう。


決して大傑作とは呼べませんが、
日本人が、西洋音楽と真摯に格闘したひとつの成果として、
一度は聴く価値があるのではないでしょうか。

西洋との格闘は続く


西洋音楽をどのように受け入れ、
自分たちの音楽とどう折り合いをつけていくのか、
日本人作曲家たちは、いまもその問題と格闘しています。


音楽に限らず、すべての日本人が格闘しているといっても
いいかもしれません。


関川夏央は、劇画「「坊ちゃん」の時代」*16の中で、
作中人物である森鴎外の口を借りてこう述べています。

「西洋人を美しいと思うことが…爾後百年
日本を苦しめることになるでしょう」(第二部「秋の舞姫」文庫版P265)


このセリフの中に、明治以降現代に至るまでの日本人のゆがんだ精神が
表現されています。


基地の周辺でアメリカ兵にむらがる女たちも、
わざわざ横文字を使いたがるインテリたちも、
なぜかキリスト教式の結婚式を挙げるカップルたちも、
目的もなく欧米に住みたがる人たちも、
彼らの行動はすべて同じ根から発しています。


西洋(白人)に対する盲目的な崇拝です。


もちろん、愚かなことはすぐにやめるべきですが、
だからといって、西洋文明を捨てろとは誰も言えません。


批評家の加藤周一は、日本は雑種文化だと述べています。
西洋文明はスープのように、日本の文明の中に
溶け込んでしまっているのだそうです。
すべてが溶けたスープの中から
西洋文明だけを取り出して捨てることは不可能だということです。


それならば、バランスをとりながらつきあっていくしかありません。


明治以降の日本人は、どんなふうにつきあい方を考えてきたのでしょう。
その前例を知ることは、ぼくたち現代人にも、
きっと役に立つに違いありません。


日本人作曲家の作品は、その格好のサンプルです。
ぜひみなさんも一度、諸井三郎の交響曲第三番を聴いてみてください。


しょうもないと思うか、大傑作と思うか、
それはあなたが決めてください。
そして、日本人がオーケストラ曲を作ることの意味を
考えてみてください。


そこに、日本人のアイデンティティの問題が
隠れていることに気がつくでしょう。
それはつまり、あなたが何者かという問いと同じなのです。


おそらく、引き裂かれたアイデンティティを統合することは
不可能でしょう。それでも、自分が何者なのかを問うことをしないで
生きていくのは、あまりに不毛なことではないでしょうか。


…つい、きょうは音楽につられて、きまじめな文章になってしまいました。
念のため言っておきますが、こんな曲を聴いていても、
女の子にはぜったいにもてません。

*1:ナチス・ドイツは国家権力が極度に集約された文字通りの独裁国家でしたが、第二次大戦当時の帝国日本は、誰が国の方針を決めているのか、誰もわからないという、独裁とは対極にある国家でした。(ちなみに国家の方針がないという意味では、現代の日本国政府も大差ありません)

*2:そのようなことを考えもしない脳天気な人たちには無縁な話ですが。

*3:日本がかろうじて勝利を収めた日露戦争Russo-Japanese Warはお互いの軍隊のみが殺し合う戦争でしたが、第一次大戦以降、近代国家同士の戦いは国力のすべてをつぎ込む総力戦total warに変貌しました。

*4:アルゼンチンの作家・ボルヘスJorge Luis Borgesは、探偵小説は、無秩序な世界から秩序を汲み上げる、すぐれて知的な営為であるという意味のことを述べています。

*5:近年になって合併を繰り返し、現在は太平洋セメント。日本最大のセメント会社。

*6:ちなみに虔の弟、誠(諸井誠)は作曲家になり、現在も意欲的に活動しています。近ごろでは、埼玉県のさいたま芸術劇場の芸術監督を辞任したニュースが報道されました。(10月30日付記:10月中旬以降、諸井虔は一躍時の人になりました。彼が、楽天による買収を取りざたされている東京放送(TBS)の役員(1995年〜)だったからです。財界の大物として、TBS側の主張を代表するスポークスマン的役割を果たしています。彼は西武鉄道の経営者・堤義明が逮捕されたときも、西武鉄道グループの経営改革委員会委員長としてしばしばメディアに登場していました。どうでもいいことですが、諸井虔と弟、諸井誠はそっくりで、父君の諸井三郎も、やはりよく似ています。)

*7:明治以降の日本人は、(ことにエリート層は)ことごとく西洋と日本の葛藤に悩まされてきたのです。これは、今後も永遠に続く宿痾なのかもしれません。

*8:オリンピックOlympic gamesを見ていると、このことをしばしば実感することになります。白人の作ったルールの中で短躯の日本人がもがいています。

*9:たとえば、西洋オーケストラに篳篥(ひちりき)を取り入れた「明治頌歌」(1921)や、長唄の名曲「鶴亀」と西洋オーケストラを組み合わせた「長唄交響曲 鶴亀」(1934)など。

*10:香港に拠点を置く、廉価版専門の巨大レコードレーベル。すべて新規のセッション録音にもかかわらず、一枚あたりの価格はすべて日本円で1000円以下。

*11:過去のレビューは以下の通りです。伊福部昭http://d.hatena.ne.jp/putchees/20041202 大澤壽人→http://d.hatena.ne.jp/putchees/20050221 黛敏郎http://d.hatena.ne.jp/putchees/20050313 深井史郎→http://d.hatena.ne.jp/putchees/20050607

*12:それがベートーベンの完成させた、ドイツ流の作曲法です。

*13:交響曲管弦楽によるソナタです。

*14:ショスタコーヴィチDmitri Dmitrievich Shostakovichが、やたら勇ましい交響曲7番を書いたのとはまるで対照的です。

*15:もっとも、諸井三郎が留学したドイツと日本はいちおう同盟国でしたが。

*16:作画は谷口ジロー