衝撃!山田耕筰の秘曲「長唄交響曲 鶴亀」を聴く!(後編)

putchees2005-10-18


前編よりつづき


池袋西口東京芸術劇場で行われた、
山田耕筰のオーケストラ作品演奏会のお話をしています。


もしよろしければ、前編からお読みください。
前編はこちら→id:putchees:20051016

ひきつづきコンサート報告です


山田耕筰の遺産〜「日本の交響楽を求めて」


日時:10月15日(土)15:00〜17:00
会場:東京芸術劇場(池袋)

ミュージシャン


管弦楽東京都交響楽団
長唄:東音会
指揮:湯浅卓雄(ゆあさ・たくお)


長唄:東音宮田哲男 他
三味線:東音味見亨 他
囃子:望月佐太郎 他


篳篥:溝入由美子

曲目


(第一部)
管弦楽曲「序曲ニ長調」(1912)
交響曲「かちどきと平和」(1912)
交響詩曼陀羅の華」(1913)


(第二部)
長唄交響曲「鶴亀」(1934)
交響詩「明治頌歌」(1921)

交響曲「明治頌歌」(1921)


さて、休憩が終わって、第二部が始まります。
演奏されるのは2曲です。
今回の演奏会の目玉は、この第二部だったといえます。


当日の演奏順とは逆にご紹介しましょう。
まずは「交響曲「明治頌歌」」です。


この曲は、偉大な時代・明治にささげられた曲です。
19世紀末、遅滞したアジアの、辺境に位置する小国が、
西洋に学んだ多くの偉人たちの力で、
わずか50年足らずで世界の列強Great Powerのひとつになったのです*1


輝かしい時代は過ぎ去り、闊達さを失った日本は
決定的な破滅に向かっていきますが、
大正期には、そのことはまだ、
ごく一部の人がぼんやりと予感しているだけでした。


山田耕筰は、ひとりの明治人として、
自分を生んだ時代と明治帝へささげる曲を作ったわけです。


この曲では、幕末から明治のおわりまでの歴史が、
交響曲」という形式で書かれています。


単一楽章の曲ですし、標題がついていますから、
本来は「交響詩」というほうが正確ですが、
ソナタ形式をそなえていることから、山田耕筰は「交響曲」と
名付けたようです*2


この曲では、明らかに日本的な音響が意識的に織り込まれています。
冒頭の弦楽の響きは、笙の和音を模したものです*3

オケと篳篥が共演!


そして特筆すべきは、篳篥(ひちりき)の使用です。
オーボエの隣に、烏帽子をかぶった演奏者がいて、
はじまったときから異様な雰囲気です。


曲の終盤近くになって、その奏者が篳篥を鳴らします。
ミャーミャーと、単純なメロディですが、めちゃめちゃ目立ちます。


ここは、明治天皇の葬送曲に当たる部分です。
昭和天皇大喪の礼(1989)で、
雅楽が演奏されていたのを思い出してみるといいでしょう。


この曲は、西洋オーケストラと日本の伝統楽器を組み合わせた、
最初の例なのです。


幕末から混乱と変革を経て大正に至る明治の歩みが、
劇的に表現されていきます。


全体としては、個人的にさほど印象的な曲ではありませんでしたが、
西洋音楽の枠組みの中で日本的な音をさぐる最初期の試みとして、
記憶しておいていいでしょう。


ちなみに山田耕筰は、1930年代にこの曲をベルリンフィルと共演し、
録音までしているそうです。

長唄交響曲「鶴亀」


さあ、最後に紹介するのが、本日のクライマックス
長唄交響曲「鶴亀」」です。


第二部が始まるとき、舞台は異様な感じにしつらえられていました。
指揮台の正面に緋毛氈が敷かれているのです。
ここへ、長唄の奏者がずらりと居並びます。
歌舞伎の舞台中継などでよく見る風景です。


その後ろに、2管編成のオーケストラが位置するのです。


長唄とオーケストラの共演というわけです。


本日の公演で長唄を担当するのは、
東京藝術大学(芸大)の音楽学部邦楽科卒業生を中心にした
長唄の演奏団体・東音会の演奏者たちでした。

長唄とは?


さて、長唄というものについて解説が必要かもしれません。
長唄は、江戸時代(18世紀)に歌舞伎の
下座音楽(げざおんがく…伴奏音楽)として発達しました。


いまでも、歌舞伎座などで上演される歌舞伎の伴奏は長唄です。


長い間、伴奏という立場に甘んじてきた長唄ですが、
19世紀のはじめに、鑑賞用の独立した音楽として成立します。


長唄というだけあって長大で、
演奏時間が20分から30分になるものもあります*4


100万という人口を抱え*5、文化の爛熟した江戸という
大都会で鍛えられたジャンルだけあって、高度に洗練されています。
同じ三味線音楽でも、民謡などとはまるきり別次元です。
日本を代表する伝統音楽のひとつといっていいでしょう。


ぼく自身、篠笛教室で長唄の節を少しやっていますが、
とらえどころのないメロディと展開で困惑します。
演奏には西洋音楽とまったく違った発想が必要です。


最初はとっつきにくい音楽です。
しかし、しばらく長唄のメロディをさらっているとわかりますが、
日本人の感性にスッとはまる音です。
イキという言葉がぴったりです。

長唄の名曲がそのままオケと共演


長唄の「鶴亀」は、謡曲(ようきょく…能楽の歌詞)「鶴亀」に
独自の節をつけたものです。


長唄の名曲として知られています。
初演されたのは1851年、幕末近くになってからです。


山田耕筰の「長唄交響曲 鶴亀」は、この長唄の「鶴亀」に
西洋オーケストラの伴奏をつけたものです。


西洋オーケストラとの共演のために
もともとの曲を改変するのではなく、
長唄演奏家たちが「鶴亀」をそのまま奏でるのです。
鼓や笛、三味線といった鳴り物もそのままです。


西洋オーケストラは、そのオリジナルのメロディにまとわりつくように
音楽を奏でます。


当日のパンフレットに掲載された片山杜秀の解説によると、
山田耕筰は、長唄の「声部を増やして、より複雑にすることが、
日本の新しい音楽に繋がる」と考えたのだそうです。


どんな音が聴けるのか、わくわくします。
さあ演奏のスタートです。

このダサさがたまらない!


短いオーケストラの序奏に続いて、長唄の演奏が始まります。
ふたりの人間国宝を含む奏者による長唄は、みごとな音です。
言うまでもなく、それだけで自律性のある芸術です。


オーケストラで下手な音をつければ、単に邪魔にしかなりません。
しかし、山田耕筰オーケストレーションは、長唄のメロディを引き立て、
単調さにおちいることを防ぎながら、より劇的にしています。


聞こえてくる音楽を形容するなら、
昔々の日本映画のサウンドトラックという感じです。
まあ、ダサいと言われても仕方のない音です。


しかし、決して陳腐ではありません。
いかにも日本的なメロディなのですが、
西洋音楽のマネという感じがしてならなかった、
そのほかの曲よりはるかに新鮮で、興味深いものです。


ぼくだけでなく、現代の日本人にとっては、
いわゆるクラシックふうのオーケストラ曲よりも、
こうした曲のほうが新しい音楽として
楽しく聴けるのではないでしょうか。


西洋オケの音の上を能管の不可思議なメロディが漂うところでは、
鳥肌が立つ思いがしました*6


そして、要所要所でオケが休んで、長唄の独奏(?)になります。
オケを鳴りっぱなしにしないことで、劇的な効果を高めています。


長唄の出演者は、長唄が5人、三味線が5人、笛がひとり、
小鼓がふたり、大鼓(おおかわ)がひとり、太鼓がひとりの
合計15人でした。


三味線のユニゾンも、小鼓の緊張感に満ちた音も、
どれもがすばらしい音響です。
長唄という音楽がいかに高度に完成されているかがわかります。
とはいえ、長唄だけなら20分も聴いているとさすがに
眠くなるかもしれませんが、オケが入ることで、
少しも退屈になりません。
また、長唄には明確なリズムがあることも、
退屈せずに聴くことにとっては大切な要素です。


オケの音が大きくなりすぎると、
長唄が聞こえなくなるのを心配したのですが、
湯浅卓雄は、ギリギリの音量で両者のバランスを取っていました*7


この曲を聴きながらぼくが思い出していたのは、
三木稔(みき・みのる)の「急の曲Symphony for Two Worlds」(1981)でした。
あちらは日本楽器群と西洋オーケストラが対峙するのですが、
こちらは完全に融合しています。「急の曲」の半世紀前に、
こういう曲が生まれていたというのは驚くべきことです*8

衝撃の名曲!!


このヘンテコな「長唄交響曲」を聴きながら、
ぼくは、音楽にぐいぐいと引き込まれていきました。
これは単なる長唄の編曲などではなく、立派な新しい創作でしょう。
まったくもって衝撃的な体験でした。
これほどの名曲が、完全に忘れ去られていたというのは、
どういうわけでしょう。


音楽は堂々のエンディングを迎えます。
すばらしい音楽だったのですが、拍手はすぐにやんでしまいました。
喝采が起きないのが不思議でなりませんでした。
みんな、この曲を楽しいと思わなかったのでしょうか。


たしかに一種のキワモノ、ゲテモノと見られてもしかたありません。
しかしこの音楽は確実に、人の心をゆさぶる力を持っています。


西洋音楽に完全に染まってしまった脳では、
日本の伝統音楽は、ただの不協和音、もしくは幼稚な音楽に
聞こえるのかもしれません。
しかし、三味線の音色や長唄の渋い節回しがわからないのは、
不幸なことです。日本の音楽をハナからバカにしているから、
おもしろさに気がつかないだけなのです。


きちんと向き合って聴けば、必ずその良さに気がつくはずです。
一流のものというのは、ジャンルの枠にとらわれず、
誰にでもわかるものなのですから*9


この「長唄交響曲 鶴亀」が繰り返し演奏されるようになることを
心から願います*10


山田耕筰は、ほかにも少なくともふたつの長唄交響曲を作ったそうです。
その経験が後年、日本語による初のグランドオペラ「黒船」(1939)の
創作に役立ったそうです。


長唄交響曲は、西洋の「交響曲」の基準からはまったくはずれています。
そもそも、主題とその展開などというものがまるでありません。
それでも山田耕筰が「交響曲」と名付けたのは、日本には西洋と違った音楽があり、
これこそ日本人の「交響曲」なのだ、と考えたからなのかもしれません。


山田耕筰の考える音楽の「和魂洋才」の実現が、
この交響曲の創作であったのかもしれません。
西洋で学び、日本の音楽を近代化しようとしたパイオニア
偉大な成果のひとつだと言えるでしょう。

もうすぐCDになる!


実は今回のコンサートは、ナクソスNAXOSレーベルの
日本作曲家選輯」シリーズと連動した企画でした*11


後日、今回と同じメンバーで「長唄交響曲鶴亀」と「明治頌歌」が
セッション録音されるのです。


この名曲が繰り返し聴けるのです。
なんと幸福なことではありませんか。


音楽ファンなら、ぜったいに発売日に購入すべきです。
予定価格はわずか900円です。これを見逃してはいけません。


「鶴亀」と「明治頌歌」入りのCDリリースは、来年の予定です。
その日を楽しみに待ちましょう。
ナクソスの公式サイトはこちらです。
http://www.naxos.co.jp


きょうは、ほんとうに大充実のコンサートでした。
こういったコンサートがたびたび開かれるようになれば、
日本人の、日本人作曲家に対する認識と評価が、
もっと高まるに違いありません。
ぜひそうなるように、ぼくたち音楽ファンが
がんばらなければなりません。


しかし、帰路つらつら思うに、こんな音楽を聴いていても、
女の子にはほんとうにもてないですよね。あーあ。


(次回は早川義夫のアルバムを取り上げます)

*1:実際に世界の大国のひとつとして名実ともに認められ、国際連盟League of Nationsの常任理事国Permanent member of The League Counsilになるのは、第一次大戦終了後(1920年、つまり大正9年)のことですが。

*2:前にも書きましたが念のために記しておくと、交響曲symphonyというのは、オーケストラのためのソナタsonataのことです。

*3:笙の和音の独自性については、過去のレビューをお読みください→id:putchees:20050717

*4:ちなみに「長歌」と書くと、上方で成立した、別の三味線音楽を指します。一般に江戸では「唄」という字を使い、上方では「歌」という字を使うそうです。

*5:江戸は、18世紀から19世紀前半の世界でおそらく最大の都市でした。

*6:能管は日本の笛の中で特異な存在で、全音階や五音音階を演奏するようにできていません。乱暴に言うと、でたらめな音階しか出ないのです。したがって、歌舞伎を見ているとわかりますが、長唄で能管の奏でるメロディは、三味線のメロディとまったく合っていません。

*7:この曲のオケは2管編成の比較的小規模なものでした。

*8:「急の曲」については、過去のレビューをお読みください→id:putchees:20050116

*9:外国人にだって、長唄のよさはわかるはずです。

*10:まあ、まずそんなことにはならないと思うのですが。

*11:日本作曲家選輯」については、過去に何度か取り上げています。伊福部昭id:putchees:20041202 大澤壽人→id:putchees:20050221 黛敏郎id:putchees:20050313 深井史郎→id:putchees:20050607 諸井三郎→id:putchees:20051004