伊福部昭の交響組曲「わんぱく王子の大蛇退治」を聴け!(後編)

putchees2005-10-28


(前編よりつづき)


東映動画が製作した初期の
劇場用アニメーション
わんぱく王子の大蛇退治」(1963)の
音楽を担当した伊福部昭によるオーケストラ曲
「交響組曲わんぱく王子の大蛇退治」(2003)の
お話をしています。


興味のある方は、前編からお読みください。
id:putchees:20051024

本日のCD


伊福部昭の芸術』7 幻


(2003 キングレコードKICC440)
ASIN:B0000DJW9X

ミュージシャン


指揮:本名徹次(ほんな・てつじ)
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
女声合唱:コールジューン(合唱指揮:甲田潤)

曲目


●交響ファンタジーゴジラVSキングギドラ」(1991)
●交響組曲わんぱく王子の大蛇退治」(1963 2003)
1章「前奏曲イザナミの昇天」
2章「スサノオの旅立ち〜火の国」
3章「アメノウズメの舞」
4章「イズモの国〜大蛇退治」
5章「終曲」

意欲的なCDシリーズ


このCDは、キングレコードが出している
伊福部昭の芸術」シリーズの1枚です。


伊福部昭のオーケストラ曲を、
体系的に録音する一種の全集です。


これまでに8枚のCDがリリースされていますが、
そのうちの7枚はセッション録音です。


日本の作曲家のために、こうした大規模な録音セッションが
行われるのは極めて異例のことです。


キングレコードの英断と、担当者の熱意が生んだ
貴重なシリーズといえるでしょう。

いやがる作曲者を無理矢理…?


この「交響組曲 わんぱく王子の大蛇退治」は、
いやがる作曲者を、周囲が口説き落としてやっと実現したという作品です。


作曲者が「40年も昔の映画音楽をなんでいまさら…」と
思う気持ちももっともです。


そもそも、伊福部昭は自分の担当した映画音楽に対して冷淡です。
映画の仕事は、身過ぎ世過ぎでやってきた
だけだという意識があるのでしょう*1


しかしそれらの音楽は、黒澤明市川崑稲垣浩
三隅研次熊井啓本多猪四郎新藤兼人ら名監督の作品のなかで、
世界の映画ファンにとって忘れられないものになっています。


いまや伊福部昭の名刺代わりとなったオーケストラ曲
「SF交響ファンタジーSymphonic Fantasia」(1983)は、
東宝の怪獣映画のためのサウンドトラックを
コンサートピースに編曲したものですが、このときも
やはりいやがる作曲者*2を、周囲の関係者が口説き落として
やっと実現したのでした。


伊福部昭自身は、映画音楽の職人と見られるよりは、
自分の管弦楽や声楽のための作品を聴いてほしいと考えているはずです。


しかし、こうした映画音楽が入り口となって、
いまもファンが増えているのはまちがいないところです。

多彩な楽器編成による多彩な音色


さて、交響組曲わんぱく王子の大蛇退治」は、
全5曲で構成されています。演奏時間は26分ほどです。


映画音楽のスコアをもとに、伊福部昭の門弟・
堀井智則(ほりい・とものり 1973〜)が協力して編曲に当たりました。


オーケストラは2管編成の比較的小規模な編成です。


しかし、使われるパーカッションがたいへん多彩です。
ティンパニ、スネア、シンバルはもちろん、マリンバヴィブラフォン
コンガ、ボンゴ、タムタムティンバレスといったラテンのパーカッション、
さらには櫓太鼓から木魚、カスタネットまで使われています。
それにハープとピアノが加わります。


そして、女声合唱とコントラルト(アルト)の独唱まで加わるのです。
こういった複雑な編成によって、実に多彩な音色がつむぎだされます。

全5曲のドラマチックな構成


最初の曲は、オープニングから、スサノオが母・イザナミを失った
悲しみの場面までを描きます。


フルートの静かなイントロから一転、
勇壮そのもののオープニング曲にうつります。
血湧き肉躍るとはこのことです。
ハリウッドの映画音楽とはまるきり異質ですが、
冒険ファンタジーにこれほどぴったりの音楽はありません。


そしてスサノオの子守歌がコントラルト独唱によって歌われます。
さびしげで、たいへんノスタルジックです。
伊福部昭の歌曲は、どれも子守歌のようなあたたかみがありますが、
この曲はその美質がとりわけ活かされています。


2曲目は、死んだ母に会おうとするスサノオの旅と冒険です。
海をゆくシーンの勇ましいメロディから、夜のオス国の寂しい情景、
そして怪物や神との戦いが描かれています。


3曲目は、アメノウズメの舞踏曲です。
スサノオの狼藉に怒ったアマテラスが、天の岩戸に隠れたのを、
神々が踊り騒ぐことで誘い出すという、日本神話でもっとも魅力的な
場面のひとつです。


この部分は、伊福部昭のバレエ曲「サロメ」(1948)を思わせます。
極度に異国的で、アラブふうの音響が聞かれます。
サロメ」よりもずっとユーモラスなのが魅力的です*3


4曲目は、スサノオがイズモにおもむき、
いよいよヤマタノオロチとの決戦です。


オロチの出現シーンはグロテスクな、まさに怪獣映画の音楽です。
そしてオロチとの決戦。
複雑な変拍子で、命と誇りをかけた戦いが描かれます。


5曲目は、平和が訪れたイズモの国と、全体のエピローグです。
天から、ふたたびイザナミの清らかな歌声が響いてきます。
ゆったりとした子守歌のメロディが
アルト独唱から女声合唱へ、さらにオーケストラに引き継がれます。
そして堂々たるフィナーレへ向かって行くのです。

すぐれた映画音楽は現代のクラシック(古典)


これら5つの組曲は、どれも東洋的なノスタルジーとあたたかさ、
そしてユーモアとバイタリティに満ちあふれています。


基本的には、サウンドトラックをつなぎあわせたものなので、
管弦楽曲として、堅固な構成を持っているわけではありません。
したがって、伊福部昭のほかのオーケストラ曲にくらべて、
美的感動が少ないのは否めません。


しかし、世の中に、そういった管弦楽曲は数多くあります。


たとえばメキシコの大作曲家・
ブエルタスSilvestre Revueltasの血湧き肉躍る管弦楽曲も、
もとをたどれば多くは映画音楽のサウンドトラックです。


プロコフィエフSergei Prokofievや
ショスタコーヴィチDmitrii Shostakovich、
オネゲルArthur Honeggerなどの映画音楽も、
いまではクラシックとしてフツウにCDで聴かれています。


映画音楽も、もはや現代の古典として聴かれていい時代なのです。
アニメーション映画のサウンドトラックだからといって、
退ける必要ななにもありません。


「交響組曲 わんぱく王子の大蛇退治」は、すぐれた映画音楽を
後世に残すための仕事として、たいへん貴重なものです。


まだ聴衆を前にしたコンサートでは
演奏されていませんが、初演の日を楽しみに待ちましょう。

極めて個性的な映画音楽


伊福部昭は、はっきりいって不器用な職人です。


現代の映画音楽作曲家は、あらゆるスタイルを、
スマートにこなさなければなりません。


しかし、伊福部昭はどんな映画でも伊福部昭です。
ドキュメントだろうが、時代劇だろうが、怪獣映画だろうが、
決して自分らしくない音楽は作りません。


自分のスタイルの中で、その映画に貢献できる方法をさがすのです。
映画に合わせてスタイルを変える、
現代の器用な映画音楽作曲者とはちがうところです。


いかにも彼は不器用なのですが、
ぼくらが予備知識なしで観た映画でも、
すぐに「ああ、この音楽は伊福部昭だな」とわかる個性は、
希有のものです*4


そして映画の個性と伊福部昭の個性がマッチしたときに、
とんでもない傑作が生まれます。


それが一連の怪獣映画であり、勝新太郎座頭市シリーズであり、
この「わんぱく王子の大蛇退治」なのです。


ぼくはこの映画を初めて観たとき、
タイトル曲のあまりのかっこよさに、
体が総毛立ちになりました。
そして「音楽 伊福部昭」というクレジットが出たとき、
ああやっぱり、と思ったのでした。


伊福部昭の映画音楽の魅力を知るなら、
このアニメーション映画ひとつでじゅうぶんです。


伊福部昭本人も、この映画の仕事は、自身の映画音楽のキャリアの中で
もっとも苦労が多く、もっとも印象的な仕事だったと語っています。


みなさんもぜひいちど、
ビデオかDVDで「わんぱく王子の大蛇退治」を観てください。
そして、もしよろしければ、この「交響組曲 わんぱく王子の大蛇退治」も
聴いてみてください。


時代を超えて愛される映画と音楽だということがすぐにわかるはずです。


しかし、こんな音楽を聴いていても、
女の子にはぜったいにもてません。


(次回はフランスの作曲家・イベールIbertのピアノ曲集をご紹介します)

*1:しかし、言うまでもなく伊福部昭自身は映画を愛しており、仕事ぶりはたいへん真摯ですし、月形龍之介勝新太郎円谷英二など、親しい付き合いをした映画人も数多いようです。また、東京音楽大学作曲科の伊福部ゼミでは、映画音楽の方法論について、たいへん詳細で実践的な指導を行っていたそうです。

*2:1983年当時、伊福部昭雑司ヶ谷にある東京音楽大学の学長という多忙なポストにありました。

*3:映画でのこのシーンのアニメーションは、先に曲が作られ、それに合わせてダンサーが踊った実写映像を撮影し、その動きをもとに作画するという、たいへん凝った作り方がなされています。

*4:違う映画でもほとんど同じメロディが頻出するので、すぐにわかるというのもありますが。