戦前のアヴァンギャルド・伊藤昇のオーケストラ曲を聴く!(その1)

putchees2005-11-26


ご隠居と熊さん


「いやーご隠居、あっしァすっかりびっくりしましたよ」


「なんだい熊さんやぶから棒に」


「いえね、この間オーケストラを聴いてきたんですけどね」


「お前さん、ばかにしゃれたもの聴くじゃないか。
なんだね、モーツァルトベートーヴェンかね」


「そんなイカなもの聴きゃしませんけどね。
伊藤昇って、日本の作曲家ですよ」


「知らないねそんな人。熊さんの親戚かい」


「あっしも知りませんよ。でも、これがもうすごいのなんの
あっしはもう、驚くの驚かないの」


「それじゃちっともわかんないよ。
どんなのだったのか話してごらん」


前衛ってやつでさあ」


「前衛ってアヴァンギャルドかい」


「へえ」


「そりゃ日本にだってアヴァンギャルドくらいあるさ。
熊さん武満徹一柳慧高橋悠治を知らないのかい」


「いえね、それが、伊藤昇のは戦前だってんで」


「戦前って太平洋戦争の前かい」


「へえ、昭和5年の作品だってんですが、完全に無調の音楽*1
だったんですよ。」


「まさか。そんなのあたしゃ知らないよ。音楽の教科書にも、
日本の前衛音楽は戦後始まったって書いてあるよ。
昭和5年に無調だなんて、熊さん夢でも見たんじゃないのかい


「夢なんか見るもんですかい。ご隠居もあれを聴いたらたまげますよ。
それァもう、ぐっちゃぐちゃの、めっちゃめちゃでさあ」


「お前さんの説明はなんだか汚いね。
じゃあその、ぐっちゃぐちゃのめっちゃめちゃのことを、
順序立てて説明してごらん」


「へえ、それがですね…」

戦前のアヴァンギャルド音楽!?


あーつまらん。
しかも意味なく長い。


落語ふうにしたら多少は面白くなるかと思ったのですが、
まったく面白くないのでもうやりません。


いつも通りに戻します。


伊藤昇という作曲家の
昭和5年(1930)のオーケストラ曲を聴いてきました。
えらい古い曲です。


これがもうびっくり。熊さんが言うように、
完全なアヴァンギャルド音楽だったのです。


なにしろ歌えるようなメロディはないし、
ハーモニーはぐちゃぐちゃだし、
リズムはめまぐるしく変わるし、
気まぐれな音がぽつぽつ鳴るだけだったりするし、
とにかく奇ッ怪な音響です。


まさか、こんな曲が戦前の日本で作られていた
(しかも初演まで行われていた)なんて、
到底信じられないというシロモノです。


ご隠居がびっくりしたのも道理です。


ぼくたちが知る音楽史は、戦前の日本の音楽を
まるで未開時代のように記していますが、
そういう常識がまるでデタラメだということがわかりました。


順を追ってご説明しますので、どうぞ下までお読みください。

今回はコンサート報告です


【今回のコンサート】
芥川也寸志メモリアル・オーケストラニッポニカ第8回演奏会
「昭和九年の交響曲シリーズ」(その1)


【日時・会場】
2005年11月20日(日) 14:30〜16:20
東京・紀尾井町紀尾井ホール


【ミュージシャン】
管弦楽:オーケストラ・ニッポニカOrchestra Nipponica
指揮:本名徹次(ほんな・てつじ)
ソプラノ:半田美和子(はんだ・みわこ)


【曲目】
●伊藤昇:「マドロスの悲哀への感覚」(1930)
●伊藤昇:古きアイヌの歌の断片「シロカニペ ランラン ピシュカン」
(銀の滴降る降るまはりに)(1930)
●橋本國彦:「笛吹き女」(詩:深尾須磨子)作品6-3(1928)
●諸井三郎:ソプラノのための二つの歌曲「妹よ」「春と赤ン坊」
(詩:中原中也)(1935)
●諸井三郎:交響曲 ハ短調(1934)

志高いアマチュアオーケストラ


今回出かけたのは、アマチュアオーケストラのコンサートです。


ぼくはクラシックの門外漢なのでわかりませんが、
日本には実力のあるアマチュアオーケストラが
たくさんあるのだそうです。


今回紹介するオーケストラニッポニカは、
日本のアマチュアオケの中でも高い実力を誇る「新交響楽団」の
メンバーを中心に結成された楽団です。


交響楽団は、作曲家の芥川也寸志(あくたがわ・やすし1925〜1989)
が設立したオーケストラです*2


オーケストラ・ニッポニカは、その芥川也寸志を記念して、
交響楽団出身の有志が集まった楽団ということのようです。


オーケストラ・ニッポニカのウェブサイトはこちらです。
http://www.nipponica.jp/index.html


彼らは西洋のクラシック音楽も演奏しますが、
とりわけ日本の近代作品の発掘に情熱を傾けています。
近代作品というのは、簡単に言うと
明治から昭和20年までの作品のことです。


これまでに大澤壽人(おおざわ・ひさと)*3
信時潔(のぶとき・きよし)、菅原明朗(すがはら・めいろう)、
深井史郎(ふかい・しろう)*4などの曲を演奏しています。


きょうの演奏会は、「昭和9年」をキーワードに、
その前後に書かれた曲が取り上げられました。


一生に一度聴けるかどうかという曲ばかりですから、
行かないわけにはいきません。

親密な雰囲気のコンサート


会場は紀尾井町にある紀尾井ホールでした。
新日本製鐵新日鐵*5が運営する、
室内オーケストラchamber orchestraのための中規模ホールです。


ここには何度か来たことがありますが、
品がよくて、客席も音響もすばらしい良質なホールです。
この洗練された雰囲気は、公立のホールにはとてもマネできないでしょう。


会場は、半分くらいの入りという感じでしたが、
こんなマニアックなプログラムで、これだけの観客が集まるというのが
むしろ驚きかもしれません。


おそらく観客の大半は、日本の過去の音楽を知りたいという
熱心なファンだったにちがいありません。


そのため、たいへん親密な雰囲気のコンサートでした。

志高い指揮者


本日の指揮は、オーケストラニッポニカの音楽監督をつとめる
本名徹次でした。


本名徹次は日本の近現代のオーケストラ作品を
熱心に取り上げる、数少ない指揮者のひとりです。


日本のマイナーなオーケストラ曲を取り上げることは、
おそらく彼に富も名声ももたらさないでしょう。


まして、アマチュアオーケストラの音楽監督をつとめても、
まったく何の得にもならないはずです。


それでも信念を持ってそうした仕事に取り組むことに、
ぼくは心から尊敬の念を抱いています。


彼のような音楽家が、日本に1000人いれば、
この国の音楽は、もっともっと豊かになるはずです。


きょうの指揮ぶりは、丁寧で熱のこもった、
たいへん誠実なものでした。

片山杜秀による解説


そして、今回の演奏会のプログラムに、詳細な解説を寄せたのは、
評論家の片山杜秀(かたやま・もりひで1963〜)です。


今回の演奏会のキーワードである昭和9年という年が、
日本の近代音楽にとってひとつの頂点だったことを記した、
読み応えのある文章でした。


こちらのURLに全文が掲載されていますので、
ぜひご一読ください
http://www.nipponica.jp/plan_08.html.


あらゆる資料を渉猟し、独自の取材を加え、
さらに幅広い人文科学・社会科学の知識をもとにした
透徹した思惟によって書かれた文章は、
読者をぐいぐいと引き込みます。


彼の文章はとにかく簡潔・明晰です。
おそらく日本人がもっとも苦手とするタイプの文章を
彼はやすやすと書いてしまいます。


貴重な情報に満ち、目を見張るような独自の見解に富み、
さらに読み物としても無類に面白い
音楽評論というのは*6かくあるべきという見本のようなものです。


上のURLで紹介した文章の末尾で、
実際の歴史と、ありえたかも知れないもうひとつの歴史と、
どちらが人類にとってよきものであったかと問うくだりは、
ほとんど感動的でした。


音楽の本質を知る人が記した、達意の文章と言えるでしょう。


片山杜秀は、ぼくにとって心の師匠のような存在です。

音楽の歴史を変える人物


片山杜秀はおそらく、オーケストラ・ニッポニカの
演奏曲目の選定に深く関わっています。
彼はまた、ナクソスNaxosの「日本作曲家選輯」の
プロデュースにもたずさわっています*7


忘れられた作曲家が、埋もれた作品が、
彼の手でつぎつぎに発掘され、新たに脚光を浴びています。


日本の近代音楽の歴史は、ここ数年以内で、
彼によってつぎつぎに書き換えられていると言えます。


きょうの演奏会も、日本近代音楽史の書き換えを迫るような
たいへん重要なプログラムでした。


一般にはほとんど知られていないでしょうが、
彼の功績で、明治以降の日本の音楽史が、
徐々に豊穣なものになっているのです。


歴史というのはすでにあるものではなくて、
人によって作り出されるものであることを痛感します。

つづきは次回


ここまでが前置きで、曲の紹介に入りますが、
とりあえずきょうはここまでにして、つづきは次回といたします。


(以下、その2につづく→id:putchees:20051130)

*1:中心になる音がない音楽のこと。はしょって説明すると、長調短調の区別ができない曲のこと。フツウの人が聴くと、気持ち悪い音楽と感じます。

*2:芥川也寸志の曲はたいへんすばらしいので、ぜひ一度お聴きください。ちなみに、名前からわかるとおり、彼は芥川龍之介の子(三男)です。

*3:過去のレビューで紹介しています→id:putchees:20050221

*4:過去のレビューで紹介しています→id:putchees:20050607

*5:新聞では「新日鉄」と表記されますが、新日鐵が「鉄」という字を嫌い、「鐵」という正字にこだわるのは有名な話です。

*6:のみならず、およそ文章というものは。

*7:日本作曲家選輯」については、過去にたびたび紹介しています→伊福部昭id:putchees:20041202 大澤壽人→id:putchees:20050221 黛敏郎id:putchees:20050313 深井史郎→id:putchees:20050607 諸井三郎→id:putchees:20051004