戦前のアヴァンギャルド・伊藤昇のオーケストラ曲を聴く!(その5)

putchees2005-12-10


その4よりつづき


1930年に日本で作られた、
アヴァンギャルド音楽をご紹介しています。


伊藤昇という作曲家の
マドロスの悲哀への感覚」というオーケストラ曲です。


当時のヨーロッパの最新音楽と肩を張るような
前衛的な手法が用いられていました。


この曲、昭和5年当時の聴衆にはまったく理解されなかったようです。


そりゃそうです。
当時の日本には、フツウのクラシック音楽ですら、
よくわからんという人が多かったのですから。


そのためこの作品は初演以来、完全に忘れ去られていたのですが、
オーケストラ・ニッポニカというアマチュアオーケストラによって
発掘され、このたび75年ぶりに演奏されました。


ぼくはそれを聴いたきたのですが、
猛烈にヘンテコな音楽でした。


戦後の日本で大量生産されるようになる無数の前衛音楽を
はるかに先取りするような曲だったのです。


こんな面白い音楽があるのをもっと多くの人に知ってもらおうと思い、
この文章を書いています。


この稿、今回でようやく完結です。


興味のある方は、
「その1〜4」を順にお読みください。


その1id:putchees:20051126
その2id:putchees:20051130
その3id:putchees:20051204
その4id:putchees:20051208

ひきつづきコンサート報告です


【今回のコンサート】
芥川也寸志メモリアル・オーケストラニッポニカ第8回演奏会
「昭和九年の交響曲シリーズ」(その1)


【日時・会場】
2005年11月20日(日) 14:30〜16:20
東京・紀尾井町紀尾井ホール


【ミュージシャン】
管弦楽:オーケストラ・ニッポニカOrchestra Nipponica
指揮:本名徹次(ほんな・てつじ)
ソプラノ:半田美和子(はんだ・みわこ)


【曲目】
伊藤昇マドロスの悲哀への感覚」(1930)
伊藤昇古きアイヌの歌の断片「シロカニペ ランラン ピシュカン」
(銀の滴降る降るまはりに)(1930)
●橋本國彦:「笛吹き女」(詩:深尾須磨子)作品6-3(1928)
●諸井三郎:ソプラノのための二つの歌曲「妹よ」「春と赤ン坊」
(詩:中原中也)(1935)
●諸井三郎:交響曲ハ短調(1934)

曲としてはつまらん!しかし…


はっきり言ってしまうと、
マドロスの悲哀への感覚」自体は、
音楽として面白いかどうかは疑問です。
(少なくともいちど聴いた限りでは)


なにしろ、美しいメロディもハーモニーありませんし、
かといって、前衛音楽としてはいかにもやぼったいからです。


ただ、生まれた時代のことを考えると、
驚きを禁じえないというわけです。


音楽は、その背景などどうでもよくて、
音のみで評価されるべきです。


しかし、ときには時代背景を考慮に入れて聴くのも、
悪くないのではないでしょうか。


そうすると、つまらない作品を面白く聴けることがあります。


作品は歴史の中から生まれてくるものですから、
歴史について知ると、作品をより深く
楽しむことができるのです。


え?
わざわざそんな「通」みたいな楽しみ方はしたくないって?
そりゃごもっとも……。


たしかに、世の中に面白い音楽は山ほどありますから、
わざわざこんなつまんない曲を聴く必要はないでしょうね。


ただ、仮にも音楽好きなら、過去の音楽を知ることは、
けっして無駄ではないと思います。


過去にどんな音楽があったかを知らないと、
何が新しいかを知ることはできません。


「これは新しい!」と思った手法が、
とっくの昔に誰かがやっていたものだというのは、
よくある話です。


そんな勘違いをしながら感動するのは、
あまりかっこいいことではありませんね?


古きを知らなければ新しきを知り得ないのです。

ソプラノと室内楽によるアヴァンギャルド


そうそう、忘れないように書いておきます。


コンサートでは、もう一曲
伊藤昇の作品が演奏されました。


ソプラノ独唱と、室内楽による曲です。


古きアイヌの歌の断片 シロカニペ ランラン ピシュカン
(日本語訳:銀の滴降る降るまはりに)
と題されています。


アイヌ歌謡の詞に、新たに曲をつけたものです。
歌詞はアイヌ語で、アルファベットで記されているそうです。


これもまた、無調の音楽でした。


演奏時間は短く、小品ですが、
こちらのほうが「マドロスの悲哀への感覚」よりも
洗練された響きだと感じました。


演奏者が少ないために、
音響の見通しがよいからでしょう。


ソプラノによる歌は、
とりわけエキセントリックなメロディではないのですが、
後ろのアンサンブルが、キビシイ響きをキリキリと奏でます。


アルバン・ベルクAlban Berg
フランク・マルタンFrank Martinの
室内楽でも聴いているような印象を受けました。


もちろん、彼らのような鋭いキレ味には欠けるのですが、
なかなかニクイ曲でした。


この作曲家がこんな曲をガンガン書きまくってくれていたら、
日本の音楽史はもっと面白くなっていたのに!
と思わせる佳品でした。

山田耕筰の弟子


ちなみに、伊藤昇は、
菅原明朗山田耕筰の弟子だそうです。


彼は1993年まで生きましたが、
1930年代中盤以降はたいへん保守的な作風に転じて、
東宝(当時はPCL)の映画音楽を手がけたそうです。


第二次世界大戦中は当局の求めに応じて
多くの時局音楽(戦意昂揚のための音楽)を
書きましたが、日本の敗戦後は、
作曲さえほとんどしなくなってしまったそうです。


謎だらけの作曲家という感じですが、今後の研究で
彼の作品の謎が解かれることを期待しています。

オーケストラ・ニッポニカの演奏について


さて、最後になりましたが、
当日の演奏について少し触れましょう。


オーケストラニッポニカの演奏は、
うまいへたはわかりませんが、
聴いていて不安になるような感じはありませんでした。
なにしろ、どれも初めて聴く曲ですし。


ただ、弦のパートが薄い(音が弱い)と感じました。


今回の演奏会にゲストで加わったプロのコンサートマスター
(佐藤久成)が、弦パートの薄さをカバーしようと
必死でがんばっているように見えました。


そのため、しばしば彼のヴァイオリンの音だけ
聞こえてくるような気がしました。


そもそも、紀尾井ホールは室内オケ用のホールですから、
ステージに数多くの奏者を乗せられないのですが、
オーケストラニッポニカ自体の人数が少ないことが、
弦が手薄だと感じる本質的な原因でしょう。


団員のリストを見ると、大規模な曲を演奏するには
まだまだ人数が足りないようです。


弦楽器(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)は
オーケストラの要ですから、ひとりでも多くの奏者がほしいものです。


志のあるアマチュア演奏家がこの楽団に加わってくれることを
願ってやみません。


なお、今回の冒頭に掲げたのは、オーケストラ・ニッポニカの
写真です。

日本の歌曲に取り組む声楽家


ソプラノの半田美和子は、まだ若い歌い手ですが、
日本の歌曲に果敢に取り組んでいるようです。


日本の歌曲を取り上げることに積極的な歌い手というと、
藍川由美(あいかわ・ゆみ)が第一人者ですが、
それにつづく人材がいるというのは心強い限りです。


日本語の歌曲を、日本人が歌わないで、
ほかのだれが歌ってくれるでしょうか。


日本の声楽家たちが、もっと日本の歌曲
目を向けてくれることを切に願います。

マチュアオケならではの演奏会


今回のコンサートは、アマチュアオーケストラならではの
ユニークな試みだったといえます。


プロの楽団では、こんなマイナーなプログラムは、
商業的にまったく見込みがないので、できやしません。


たとえ演奏の技能に多少問題があったとしても、
こうしたユニークなプログラムなら、
わざわざ足を運ぼうと思う聴衆は確実にいるはずです。


逆に、有名曲、たとえばベートーヴェンの「第五交響曲」を、
マチュアオーケストラの演奏で聴こうというような人は、
そのオーケストラの関係者以外には、
ほとんどいないのではないでしょうか。


マチュアの音楽家は、プロの音楽家のマネをするのではなく、
マチュアにしかできないことをやったほうがよさそうです。


今回は伊藤昇の曲をはじめ、目を見張るような発掘曲が
目白押しだったので、ぼくはすっかり満足しました。


彼らは、この演奏会のために、
熱心に練習を重ねてきたに違いありません。


プロのオーケストラが、わずか数回のリハーサルで、
本番にのぞむのとは大きな違いです。


まったく誰も聴きたがらないようなこんな曲の数々を、
一円にもならないというのに、
人生の貴重な時間を割いて練習してきたのです。


あなたがたはエライ!
ぼくはすっかり感服しました。


すべての曲の演奏が終わった後、
ステージの上の演奏家たちに向かって、
このあとちょっと飲みに行きませんか
とでも声を掛けたいような気分でした。

日本の文化財産をみんなで聴こう!


こういう音楽を、マニアだけのものにしておくのは、
もったいないように思います。


日本の近代文学や美術、あるいは近代史に関心のある人にとっても、
こうした演奏会は、興味深いものであるはずです。


それに、一般の音楽ファンにとっても、
決してつまらないコンサートではないと思います。


このレビューを読んで、オーケストラ・ニッポニカの次の演奏会に、
ひとりでも多くの音楽ファンが足を運んでくれたら、うれしく思います。


来年に行われるオーケストラ・ニッポニカの次の演奏会では、
「昭和九年の交響曲その2」として、
大澤壽人(おおざわ・ひさと)の欧州時代の大曲ふたつが
演奏されるそうです*1。こちらも必聴です。


くわしくは、ニッポニカのウェブサイトをご覧ください。
http://www.nipponica.jp/plan.html

ふたたびご隠居と熊さん


「…なるほど、そうかいそうかい。
そりゃあさぞ面白いコンサートだったんだねぇ」


「へえ。あっしも目からウロコが落ちやした」


「それはそうと、熊さん、日本の作曲家の音楽なんて聴いてると、
女にもてないよ。嫁の来手がなくなるから、たいがいにしておきな」


「へえ…」


「なんだい中途半端な顔をして。もっともてそうな
コンサートに行かなきゃ。そうだ、このチケットをあげよう。
長屋の後家さんでも誘って聴きに行くといいや。ほら」


「そりゃどうも…なになに?…
フジコ・ヘミング〜魂のピアニスト……ねぇ」


この稿完結


(次回はあがた森魚の「バンドネオンの豹」をご紹介します)

*1:大澤壽人については過去のレビューをお読みください→id:putchees:20050221