日本作曲界の巨星・早坂文雄の悲痛なピアノ協奏曲を聴け!(その1)

putchees2005-12-14


今回のレビューについて


今回は日本のクラシック(近代音楽)
についてのレビューです。


日本の音楽史に大きな足跡を残した作曲家の
音楽を4回にわたってご紹介します。


日本人作曲家の曲なんて聴きたくない、という人の
気持ちもわかりますが、音楽の内容はすばらしいですから、
よかったらぼくの紹介文を読んでやってください。

今回のCD


【タイトル】


日本作曲家選輯Japanese Classics
早坂文雄Hayasaka Humiwo


(香港・ナクソスNaxos 2005)


【曲目】


1.ピアノ協奏曲(1948)
2.左方の舞と右方の舞(1941)
3.序曲ニ調(1939)


【ミュージシャン】

ピアノ独奏:岡田博美(おかだ・ひろみ)
指揮:ドミトリ・ヤブロンスキーDmitry Yablonsky
管弦楽:ロシア・フィルハーモニー管弦楽団
Russian Philharmonic Orchestra

日本現代音楽ファン待望の一枚


ナクソスレーベルの野心的なシリーズ
日本作曲家選輯」の最新盤は早坂文雄
(はやさか・ふみお1914〜1955)の
オーケストラ作品集です。


早川義夫ではありません。
早坂文雄です*1


早坂文雄は大正の初めに仙台で生まれ、札幌で少年・青年期を送り、
第二次世界大戦の直前に上京し、敗戦の10年後に東京で没しました。
ことし、ちょうど没後50年になります*2


彼はオーケストラ曲、弦楽四重奏曲
ピアノ曲などを残しました。


え、早坂文雄なんて作曲家知らないって?


それは残念です。
でも、無理ないですよね。
なにしろ、もう50年前に亡くなった人ですから。

早坂文雄って誰?


ところで、映画はお好きですか?
たとえば黒澤明とか、溝口健二とか。
あ、「七人の侍」なら見たことがあるって?


それなら、早坂文雄を知らないなんてことはありません。
七人の侍」(1954)の印象的な音楽は、
早坂文雄が作ったんですから。


ついでに、黒澤明の「羅生門」(1950)はごらんになりましたか?
北野武の半世紀前に、ベネチアで金獅子賞を取った映画です。
あの劇中のボレロも、早坂文雄の作曲です。


あと、溝口健二の「雨月物語」(1953)はどうでしょう。
ゴダールJean-Luc GodardトリュフォーFrancois Roland Truffautに
強い影響を与えたとされる傑作も、音楽は
早坂文雄が作っていました。


溝口健二の「山椒大夫」(1954)
近松物語」(1954)なども早坂文雄の音楽です。


と、ここまで書けばおわかりになるでしょう。
早坂文雄はまちがいなく、
日本映画黄金期のもっとも重要な作曲家でした。


ことに、黒澤明との名コンビは、
早坂文雄の急逝がなければ、
その後も続いたに違いありません*3


七人の侍」「羅生門」のほかに、
酔いどれ天使」(1948)や「野良犬」(1949)
白痴」(1951)から「生きる」(1952)を経て
生きものの記録」(1955)に至る黒澤明の作品では、
常に早坂文雄の音楽が鳴っていました。


早坂文雄黒澤明との仕事のほかに、
溝口健二佐分利信成瀬巳喜男谷口千吉
中川信夫といった映画監督と組んでいます。


ビデオやDVDといったメディアを通して、いまも世界で
一日に何千人もの人が早坂文雄の映画音楽を耳にしています。


世界の映画史は、早坂文雄の名前を永遠に忘れることはありません。


もちろん、映画音楽を離れても、早坂文雄は偉大な存在です。
彼は、武満徹(たけみつ・とおる1930〜1996)にもっとも
大きな影響を与えた作曲家であり、
また、同じく作曲家の伊福部昭(いふくべ・あきら1914〜)とは、
生涯を通じての親友同士でした。


そんな巨匠が、いったいどんなオーケストラ作品を作っていたか、
少しは興味が湧きませんか?


このCDはたいへんすばらしい内容なので、
ぜひ以下のレビューを読んでみてください。

世界初録音のピアノ協奏曲にしびれる!


このCDには、早坂文雄の3つのオーケストラ曲が収録されています。
1曲目の「ピアノ協奏曲」は、なんと世界初録音です。


映画音楽の巨匠といえど、芸術音楽の作品となると、
ろくに録音されていないのです。
ぼくがこのレビューでいつも嘆いていることですが、
日本人は、同じ日本人の作曲家に対してあまりに冷淡です。


このCDで注目すべきは、なんといってもその「ピアノ協奏曲」です。


ふたつの楽章で構成されていますが、
そのうち最初の楽章は、実に23分間に及ぶ長大なレントlento*4です。


悲痛なピアノが、ひたすら泣き続け
厚ぼったい管弦楽がいつ果てるともない嘆き節を奏でる、
そらおそろしい音楽なのです。


まるで後期ロマン派そのもののような音響です。
クラシックが好きな人は、
ラフマニノフSergey Rakhmaninovのピアノ協奏曲第二番あたりを
思い浮かべてみてください。


しかし、早坂文雄による、このピアノコンチェルトは
ラフマニノフのそれのように流麗ではありません。
むしろ訥々として、いかにも不器用な感じです。
ムードは完全にモノトーンで、最初から最後まで
悲嘆に暮れっぱなしです。


北の大地を思わせる暗く、重苦しい響きです。
早坂文雄が育った北海道の、冬の原野が思い浮かびます*5


第二次世界大戦という災禍に直面し、家族や親友を奪われ、
悲しみにのたうつ日本人の姿が描かれているようです。


第一次世界大戦の後に書かれた
ラヴェルMaurice Ravel晩年の傑作
左手のためのピアノ協奏曲Concerto pour la main gauche
(1929〜30)の影響が色濃く感じられます*6


ことに、荘厳さという点において、ラヴェル早坂文雄の、
ふたつのピアノ協奏曲は重なり合います。

圧倒的なクライマックス


この曲で、オーケストラとピアノの応答は、
寄せては返す波のように、まるで永遠に続くかのようです。
しかし少しずつ、確実に高潮していきます。


演奏時間にして約20分後、
オーケストラとピアノの音が幾重にも積み重なり、
ついには驚くべき厚みに達します。
オーケストラとピアノの大音響が、
まるで悲しみの津波のように押し寄せてきます。
この圧倒的と呼ぶほかないクライマックスを耳にすれば、
だれもが言葉を失うでしょう*7


このボリューム感は、
ほとんど日本人離れしています。
日本人らしくないという意味ではなくて、
日本人らしさが極度に押し進められて、
ついには日本人離れしてしまったという意味です。


それは、過度に情緒的であるということです。
日本人の大きな特徴のひとつが、情緒的であることだとすれば、
このピアノ協奏曲は、情緒的という点において、
完全に度を超して、日本的なスケールを凌駕しています。


最初から最後まで、こんなに泣き暮れるオーケストラ曲は、
めったに見つかりそうにありません。


あまりに暗いので、とても女の子にはもてそうにありませんが、
聴く者すべてになんらかの感銘を与える曲だと思われます。

悲しみを乗り越える第二楽章


ピアノ協奏曲の第二楽章は、うってかわって軽快なロンドです。
跳ねるような、愛らしいメロディが印象的です。


ドビュッシーDebussyの「子供の領分Children's Corner」の第6曲
ゴリウォーグのケークウォークGolliwogg's Cake-Walk」を
思わせるような、東洋風で軽快なテーマが奏でられます。


管弦楽とのかけあいという点では、当時のソビエト連邦の音楽、
わけてもプロコフィエフSergei Prokofievの
ピアノ協奏曲あたりの雰囲気かもしれません。
その中でも、ピアノ協奏曲第五番の第一楽章にもっとも近そうです。


第一楽章の悲しみをつぐなうように、
第二楽章はひたすら明るく、元気に進みます。


しかし、ここでもどこか、はかなげに感じるのはなぜでしょうか。
力強い音楽なのですが、西洋の狩猟民族的なバイタリティ
到達できないのが、いかにも日本的です。


だからといって、そのことが
ネガティブに感じられるわけではありません。
第二楽章は、悲しみをこらえながら明るく前向きに
生きていこうとする人間の、
けなげな姿のように見えるからです。


ちょうど、戦争の悲しみを越えて、
明るい未来を築こうとしていた当時の日本人
姿に重なるようです。


健康的で明朗なフィナーレで、全曲が幕を閉じます。
コンサートなら、ブラヴォーの声が上がるに違いありません。

日本人すべてが聴くべき音楽


どうしてこの曲が、半世紀以上も見過ごされてきたのでしょう。
世界中のオーケストラで、繰り返し演奏されていておかしくない名曲です。


少なくとも、日本のオーケストラなら、
レパートリーに入っているのが当然という気がします。


日本人の曲を、日本のオケが取り上げないで、
いったい誰が演奏してくれるというのでしょう。


日本のオーケストラと音楽ファンは、半世紀間の怠慢を猛省して、
早坂文雄のピアノ協奏曲を演奏し、耳を傾けるべきです。


さて、こんな凄絶な音楽を作る早坂文雄というのは、
いったいどんな人だったのでしょうか?


(以下、その2につづく→id:putchees:20051217)

*1:早川義夫については、こちらをごらんください→id:putchees:20051022

*2:今年はアルチュール・オネゲルArthur Honeggerの没後50年でもあります。

*3:黒澤明との名コンビというと、俳優の三船敏郎、脚本の橋本忍、助監督の本多猪四郎のことも忘れてはなりませんが。

*4:ゆったりとしたテンポの音楽。

*5:もっとも、彼は都会の札幌育ちなので、原野は知らないかもしれません。

*6:早坂文雄は、ラヴェルのこの作品を心から愛していました。

*7:この迫力は、早坂文雄に続く世代の作曲家である松村禎三(まつむら・ていぞう1929〜)の作風に近いものを感じさせます。ことに松村のピアノ協奏曲第二番(1978)の、幾重にも重ねられた音の塊にひじょうに似ているのではないでしょうか。