鬼才・芥川也寸志のやくざなチェロ協奏曲に酔う!(その2)

putchees2006-02-14


その1よりつづき


東京都交響楽団定期演奏会のレポートを
書いています。


芥川龍之介の三男で、
伊福部昭の一番弟子だった作曲家・
芥川也寸志(あくたがわ・やすし)の
モーレツにかっちょいいオーケストラ曲が演奏されたのです。


芥川也寸志


クラシックが嫌いな人にも楽しめる痛快な曲です。


興味のある方は、その1からお読みください
id:putchees:20060212

今回もコンサート報告です


【今回のコンサート】
東京都交響楽団 第621回 定期演奏会(Aシリーズ)
日本管弦楽の名曲とその源流2(プロデュース:別宮貞雄


【日時・会場】
1月24日(火)19:00〜21:00
東京文化会館大ホール(上野)


【ミュージシャン】
指揮:湯浅卓雄
チェロ:山崎伸子
管弦楽東京都交響楽団


【曲目】
芥川也寸志:弦楽のための三楽章(1953)
芥川也寸志:チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート(1969)
プロコフィエフ交響曲第6番 変ホ短調 op.111

別宮貞雄の話


演奏会の前に、芥川也寸志の友人であった
別宮貞雄によるプレトークが行なわれました。


その中で、別宮貞雄芥川也寸志がもっとも影響を受けた作曲家として、
プロコフィエフを挙げていました。


「芥川さんは東京生まれで都会的な感性の人だから、
北海道生まれで土俗的な伊福部さんの作風より、
プロコフィエフのほうに強く惹かれたと私は思います」


といったようなことを話していました。


なるほど、それも一理あります。

ソビエト音楽へのあこがれ


芥川也寸志は、伊福部昭から影響を受けると同時に、
プロコフィエフショスタコーヴィチ
カバレフスキーKabalevskyやハチャトゥリアンKhachaturian、
ミャスコフスキーMyaskovskyといった、
ソビエト連邦の作曲家たちに惹き付けられていました。


当時はまだスターリンStalinによる圧政*1が知られておらず、
日本国内には、ソ連に対してあこがれる気分があったようです。


芥川也寸志は、ソ連の作曲家たちの明快痛快
男性的英雄的な作風に、自分の目指す方向性を見いだしたようです*2


そして政治的にも、彼は当時のほとんどの「進歩的な青年」と
同じように、左翼であると自認していました*3


彼は信じられないことに、1954年、
ウィーン経由でソ連密入国します。
スターリンはすでにこの世にありませんでしたが、
まだスターリン批判が始まる前のことです*4


音楽の歴史にとって幸運だったのは、
彼がスパイとしてではなく、芸術家として迎えられたことでした。


彼はあこがれのショスタコーヴィチカバレフスキー
ハチャトゥリアンに会い、交流を深めます*5


さらには自作の「トリニタ・シンフォニカ」を
ソビエト国内で出版さえしてもらいます。


そしてその印税でもって、ハチャトゥリアン支援のもと、
中国(中共)経由で日本まで帰ることができたそうです。
1955年のことです。


まったくもってとんでもない話です。

プロコフィエフにソックリ!!


この話からわかるように、
彼がソ連の音楽から受けた影響は絶大でした。


彼の初期の作品は、たしかに伊福部昭というより、
プロコフィエフの影響がそこかしこに認められます。


なかでも「交響曲第一番(プリマ・シンフォニア)」(1954)は、
プロコフィエフ交響曲5番(1945)とうりふたつです*6


ですから、こと初期の作品に関していえば、
別宮貞雄のいうように、芥川也寸志理想的な音楽のモデル
プロコフィエフだったでしょう。


プロコフィエフの音楽は都会的で、ヨーロッパ的な洗練
天才的なセンスとをそなえ、しかもロシアならではの荒々しい
ヴァイタリティにあふれています。


アジア人の作ったもっとも洗練された都会・
東京で育った芥川也寸志にとって、
伊福部昭の作品にある、土臭く野蛮な臭いは、そのままでは
受け入れることができなかったに違いありません。


よりスタイリッシュなヴァイタルさをソビエト音楽に
求めたのは、自然なことだったはずです。

「弦楽のための三楽章」


この日最初に演奏されたのは、ソビエト旅行の
直前に書かれた弦楽オーケストラのための作品でした。


弦楽のための三楽章Triptyque for String Orchestra」は、
その名の通り3楽章で、ストリングスのみで演奏されます。


当日の演奏に即して話していきましょう。


3つの楽章は「急・緩・急」という構成です。


第一楽章の冒頭から、かっちょよい旋律が飛び出してシビレます。
ぐいぐい進んでいく躍動感がたいへん心地よいです。


こんなスタイリッシュな音楽が、
昭和20年代に作られていたなんて!


おそらく、聴いた人の多くが驚くに違いありません。


これほどのセンスを持った作曲家は、
当時の日本で芥川也寸志だけだったでしょう。
クールで都会的な響きです。


なんとよく響くストリングスでしょうか。
この弦の分厚い響きは、ただごとではありません。


第二楽章は、うってかわって穏やかな音楽です。
美しいメロディが次から次へと湧いて、
穏やかな川のように流れていきます。


芥川也寸志のメロディのセンスが一流であることがわかります。


ヴィオラとチェロの奏者が、手で楽器の胴を叩く音が
効果的に使われています。


ロマンチックでありながら凛としています。


第三楽章は、ふたたび躍動が戻ってきます。
ここでは、激しさと繊細さが共存しています。
ちょうど近代のフランスやイギリス音楽のような響きです。


熱っぽさとしなやかさが交互にせめぎながら、
フィナーレに向かって流れていきます。


最後はジャカジャカジャン! と、
いさぎよく終わります。


おお! 終わった!


全部で15分ほどですから、退屈するようなヒマはありません。


こんな完成された曲を、わずか28歳で作ってしまうのですから、
芥川也寸志タダモノではありません。

繰り返しの美学


さて、続いて芥川也寸志後期を代表する
チェロ協奏曲「コンチェルト・オスティナート
Concerto Ostinato per v'cello ed Orchestra」です。


オスティナートostinatoというのは、
同じ音型を執拗に繰り返すことです。
ポピュラー音楽で言うところのリフriffも、
オスティナートの一種です。


伊福部昭の1961年のピアノ協奏曲に
トミカ・オスティナータRitmica Ostinata」という作品があり、
芥川也寸志はその影響を受けたものと思われます*7


オスティナートは、古いヨーロッパ音楽には使われていた手法ですが、
19世紀の、いわゆるクラシック音楽では避けられてきました。


20世紀になってオスティナートを復活させたのは、
例によってストラヴィンスキーバルトークBartokといった、
型破りの作曲家たちでした。


伊福部昭アジアの響きを西洋楽器で表現するために、
先達のやり方を参考にしながら、
彼独自のオスティナート手法を見つけました。


芥川也寸志は、師匠のやり方にならって、
オスティナートによってエネルギーやバイタリティ
表現しようとしたのです。

なんてヤクザな曲なんだ!


実は、ぼくはこれまでにCDで聴いた
芥川也寸志のオーケストラ曲の中で、
この作品がいちばん好きなのです。


おそらく彼の最高傑作は、アジアの混沌としたバイタリティを
爆発的に表現した「エローラ交響曲」なのですが、
リズムの繰り返しと大音量の快楽を徹底的に追求した曲となると、
この曲が最高です。


伊福部昭は「リトミカ・オスティナータ」で、
ピアノとオーケストラがひたすら奇数の変拍子を繰り返して
トランス状態に入るという音響を作りましたが、
芥川也寸志は「コンチェルト・オスティナート」で、
チェロという、ある意味では鈍重な楽器を使って、
驀進する重戦車のような響きを追求しています。


あんなイケメンで、弁舌さわやかな好男子が、
こんなやくざでえげつない曲を書くのかと、
思わずたじろぐ人もいるのではないでしょうか。


きょうの演奏会に来ていたセレブな奥様がたは、
きっとこの曲がお嫌いに違いありません。


こんな音楽は、ジャズや先鋭的なポップミュージックを
聴いているような人たちにこそ楽しめるのではないでしょうか。


これほどアクが強く、ガンガン盛り上がる曲は、
ちょっと珍しいといえます。


もし知らなかった人は、
こういう曲を日本人が書いていたことを知って、
小躍りしてください。

「コンチェルト・オスティナート」


さて、当日の演奏です。
弦パートの背後に、ぞろぞろと管打楽器の奏者が現われて、
演奏開始です。


弦とチェンバロで、曲がおごそかに始まります。


低音の弦の響きが濃厚な暗闇を、
チェンバロのチロチロという音が
夜空にうかぶ星々を思わせます。


そこに独奏チェロが加わります。
むせび泣くように、半音階的な旋律を奏でます。


たいへん妖しい雰囲気です。


5分を過ぎたころから次第に盛り上がって、
なにかが起こる予感がみなぎってきます。


この曲、無調というわけではないのですが、
半音階がたいへん多く、ほとんど無調のように響きます*8


8分を経過したころ、テンポが急速に上がり、
オーケストラがこの曲の主題を提示します。


チェロがその主題を引き継ぎ、
ゴシゴシと猛烈な勢いで繰り返します。


(チェロ独奏の山崎伸子)


なるほど、これはまさにオスティナートです。


チェロとオーケストラが大音量でガンガン進みます。


いったん静まったあと、ラスト3分前ほどで、
ふたたび爆発的に盛り上がります。


さきほどの主題を、チェロとオーケストラが
変奏しながら、猛スピードで繰り返します。


スゴイ。目が回ります。
なんとスリリングな音楽でしょう。
手に汗握るとはこのことです。


チェロは導火線か、点火プラグのようです。
猛烈な勢いで主題を繰り返して火を付け、
その推進力で、オーケストラがぐいぐい進んでいきます。
まるで、高速回転する巨大なエンジンでも見ているようです。


そしてラストの1分ほどは、
まるで機関車がこっちへまっしぐらに向かってくるような迫力です。


聴衆は線路に縛り付けられて、
身動きが取れません。
最後は、爆走するオケとチェロによって、
逃げる間もなくノックアウトされてしまうのです。


その大音響が稲妻のように駆け抜け、
ジャン、ドン! でおしまいです。


おおっ!!


すごい!


なんて男らしい曲でしょう。
男アクタガワここにあり!

日本的な響き


この曲は、西洋のクラシック音楽が失った、
音楽本来のほとばしるエネルギー
みごとに取り戻しています。


無調に近いような音響ですから、
日本的ではないと考える人がいるかもしれませんが、
この曲を聴いて感じるのは、やはり日本的だということです。


この曲の主題は、
短小で、半音階的で、狭い音程を上下するというものです。
それは、半音階ということをのぞけば、
まさしく、日本の旋律の特徴です。


チェロの音域は三味線と重なります。
ぼくは、この曲のチェロ独奏が、
半音階をめまぐるしく上下しているの聴きながら、
まるで津軽三味線だ! と感じていました。


しかも、ミニマルミュージックのように、
魔術的な繰り返しに満ちています。


これこそはまさしく日本の響き、アジアの響きです。


西洋人が聴けば、そうとうにエキゾチックだと
感じるのではないでしょうか。


単調だという批判は当たっていません。
なにしろ、単調さmonotonyこそ、
芥川がこの曲に込めた美質なのですから。


●単調さ(モノトニー)
●狭い音域を上下する短い旋律
●同じリズムの繰り返し


これらの特徴を駆使することで、
芥川也寸志は、アジアのエネルギーを、
爆発的に表現しようとしたのではないでしょうか。


そして、アジア的な音楽というのは、
構成を考えたりしながら聴く音楽ではなくて、
ロックやジャズのように、ただ感じる音楽なのではないでしょうか。


とにかくエネルギッシュで、聴くよろこびに満ちた曲です。


この稿、もう一回だけつづきます


(以下、その3へつづくid:putchees:20060216)

*1:スターリンは30年代の「大粛清Great Purges」だけでも数百万人を殺したといわれています。第二次大戦にあたって、ヒトラーHitlerがスターリンを自身の真の敵だと理解したのは当然のことでした。それほど冷酷な独裁者は世界にふたり並び立たないだろうと考えたのです。

*2:ソビエト連邦の作曲家たちのそうした一様な作風は、政府から強要されたものでした。政府の意に沿わない曲を作ったりすると、死刑ラーゲリlager(強制収容所)が待っていました。

*3:1920年代から1970年代までの日本では、マルクス主義は「かしこい人」の必須教養でした。

*4:フルシチョフNikita Khrushchyovによるスターリン批判が始まるのは1956年。

*5:残念なことに、プロコフィエフは1953年に、すでにこの世を去っていました。その命日は奇しくもスターリンと同じでした。

*6:この2曲を聴き比べれば、誰でも「同じじゃん!」と、ツッコミたくなること請け合いです。

*7:芥川也寸志が曲名にイタリア語を多用するのは、明らかに伊福部昭の影響です。

*8:芥川也寸志が「早坂的わびさび路線」の時期に身につけた現代音楽的な作曲技法が、遺憾なく発揮されています。