芥川也寸志の「エローラ交響曲」に酔いしれる!!(前編)

putchees2006-02-20


絶望的にもてない音楽!


今回もクラシック(現代音楽)の
コンサートをレポートします。


今回のコンサートでは、
日本人作曲家の作品が演奏されました。


またしても、絶望的に女の子にもてない音楽です。


ぼくはどうして、こんな音楽ばかり聴いているのでしょう。


しかし、つまらない音楽ではないので、
よかったら下まで読んでください。


なかでも、芥川也寸志のおそらく最高傑作
エローラ交響曲」がすばらしい演奏でした。


音楽好きの方はぜひお読みください。

今回はコンサート報告です

【今回のコンサート】
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
第196回定期演奏会


【日時】
2006年2月8日(水)19:00〜21:00
東京オペラシティコンサートホール(初台)


【ミュージシャン】
指揮:本名徹次
ピアノ独奏:向井山朋子
管弦楽東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


【曲目】
團伊玖磨(1924-2001)
管弦楽組曲シルクロード」(約25分)
1.綺想的前奏曲
2.牧歌
3.舞踊
4.行進
芥川也寸志(1925-1989)
エローラ交響曲(約20分)
黛敏郎(1929-1997)
饗宴(約12分)
●権代敦彦(1965-)
ピアノとオーケストラのためのゼロ(約25分)

日本人が作ったオーケストラ曲ばかり


初台の東京オペラシティで行なわれた、、
東京シティフィル定期演奏会に出かけてきました。


今回は、すべて日本人作曲家の作品という、
たいへん珍しいプログラムです。


第二次世界大戦後の日本を代表する
3人の作曲家(すべて故人)の作品と、
現代の作曲家ひとりの新作です。


とてもお客さんの入りそうな曲目ではありませんから、
運営側としては、勇気のいる決断だったことでしょう。


しかし、ぼくのような音楽好きにとっては、
とても貴重な機会です。


今回初めて日本人作曲家の作品に触れた人が、
ひとりでも多く、このジャンルに目覚めてくれたら
うれしいと思います。


さて、さっそくですがレポートをはじめましょう。

團伊玖磨管弦楽組曲 シルクロード


最初は、團伊玖磨(だん・いくま)の
華麗なオーケストラ曲です。


團伊玖磨は、大正13年三井財閥の経営者一族に生まれ、
幼少期から音楽教育を受け、東京音楽学校*1
卒業して作曲家になったというエリートです。


團伊玖磨
6つの交響曲と7つのオペラを残した、
日本では珍しい、スケールの大きな作曲家でした。


童謡の「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」の作曲家として、
日本人は彼の名前を永遠に忘れないでしょう。


さて、今回演奏された「管弦楽組曲 シルクロード」は、
1955年に作られた曲でした。


西洋ふう*2の洗練されたオーケストラの響きの中に、
アラブや日本の音階が混じって聞こえて来るという曲でした。


ちょっとエキゾチックで、
イベールJacques Ibertの「寄港地Escales」(1924)を思い出しました*3


そういえば、團伊玖磨は「シルクロード」作曲の前年に、
パリでイベールに会っています。


その影響があるかどうかはともかく、この作品の
4つの楽章は、それぞれ個性的で、とても楽しい音楽でした。
ハッピーで明朗な、音楽の一大エンタテイメントといえるでしょう。


ぼくは、團伊玖磨のオーケストラ曲を聴くのは
今回が初めてだったのですが、とても感心しました。


やるじゃん、と思ったわけです。

日本人の「オリエンタリズム


ところが演奏会のあとで、ある人が、
シルクロードというタイトルの割には、西洋風の音楽で拍子抜けした
という感想をもらしていて、なるほどと思いました。


たしかにこれは、西洋人が東洋を眺める視点で作られた音楽です。
オリエンタリズムOrientalismというやつです。


日本人は、東洋人そのものであるのに、しばしば
まるで西洋人のような顔をして、東洋を遠くから眺めています。


イエローのくせに
あたかもホワイトのように振る舞っているわけです。


この作品の作られた視点も、
それと同じようなものかもしれません。
手の込んだ、西洋の作曲の作法で作られていますから。


そう言われてみれば、物足りない気もします。
せっかくぼくたちはアジア人なのですから、
アジアを内から眺めた視点で作曲をしていいはずです。
つまり、アジアの音楽の作法で作曲するべきではないかと。


ここで、明治以降の日本人が置かれた、
特異な状態が問題になります。


いち早く西洋文明を取り入れた
近代化以降の日本人は、西洋と東洋の間で、
引き裂かれてしまいました。


その結果日本人は、西洋であろうと東洋であろうと、世界中の、
どこへ行っても異邦人のような気分を味わうことになりました。


ことに東洋を見つめるとき、日本人は西洋的なフィルター
通してしか見ることができなくなってしまいました。


だから、まるで西洋の旅行者が東洋を巡りながら作ったような、
こういう音楽が生まれてくるのでしょう。


日本人の置かれている状況は、
決して幸福なものではありません
とはいえ、西洋風だからという理由で、
この曲を難ずるのはちょっとかわいそうです。


こういう曲があってもいいではありませんか。


アジア人の視点でアジアの内部からシルクロードを描くという試みは、
ほかの人がやればいいことです。


團伊玖磨は、彼の信ずるやり方で、
こういう見事な作品を作りました。
それでじゅうぶんなのではないでしょうか。


華麗で、洗練されていて、幸福な音楽です。
こんなエレガントな曲を日本人が書けるのです。


彼のほかの曲も聴いてみたくなりました。

芥川也寸志エローラ交響曲


さて、続いては芥川也寸志(あくたがわ・やすし)の
1958年の大作「エローラ交響曲Ellora Symphonie」です。


芥川也寸志については、前回取り上げたばかりですので、
よかったらそちらを見てください。
id:putchees:20060212


彼は大正14年に生まれ、平成元年に亡くなりました。
戦後日本を代表する大作曲家でした。


芥川也寸志
芥川也寸志は、團伊玖磨黛敏郎とともに、
三人の会」という作曲家グループを作って活動していました。


エローラ交響曲」は、その「三人の会」の演奏会で
初演された作品です。


芥川也寸志中期を代表する作品といえます。

伊福部昭早坂文雄のはざまで


さて、前回のレビューで書いたとおり、
芥川也寸志伊福部昭使徒ともいうべき作曲家でした。


師の影響を強く受けた芥川也寸志は、
伊福部流の痛快でバイタリティに富んだ傑作を数多く作曲しますが、
1950年代になって、割り切れない不可解な音に惹かれていきます。


ちょうど、伊福部昭の親友・早坂文雄(はやさか・ふみお)や、
その使徒武満徹(たけみつ・とおる)が作っているような、
東洋の神秘を感じさせる音楽です*4


日本的な音階で「東洋」を感じさせるのではなくて、
無調の音楽で「東洋」を感じさせようという試みです。


彼らは、独特の雰囲気や「間」で、
日本の幽玄やわびさびを表わそうと腐心していました。


伊福部昭の音楽が具象画だとすると、
早坂や武満のそれは抽象画ともいうべきものでした。


芥川也寸志は、新しい自分の音楽を求めて、
彼らの音楽に接近していったわけです。


そして、1955年の早坂文雄の死を契機に、
芥川也寸志がひとつの解答を示したのが、
このオーケストラ曲でした。


交響曲」と銘打たれていますが、
クラシック音楽でいうところの「交響曲」の形式からは
完全に外れています。


なにしろ、短い楽章が20もあって、
それらを自由に並べ替えて演奏していいというのです。


しかも、それらの楽章は、それぞれ
「男」「女」と、性別が与えられているというのです。


なんて奇妙な音楽でしょう。

アジアの生命力


エローラElloraというのは、世界史で習う、
有名なインドの宗教遺跡のことです。


エローラの石窟)
7〜10世紀にかけて作られたもので、
ヒンドゥー、仏教、ジャイナ教の寺院が
岩の中に刻まれています。


わたしは行ったことがありませんが、
それはそれは壮大な遺跡だそうです。


芥川也寸志は、1956年にここを訪れ、
強烈な印象を刻んだと言われています。


そこは、ほとんど無限を感じさせるような一種の迷宮で、
壁のレリーフには、男女のセックスありさまが、
あけすけに描かれていたそうです。


ほとんど無秩序なほど混沌としていて、茫漠としていて、
セックスによっていくらでも増殖していく旺盛な生命力
芥川也寸志は、これこそがアジアだと直感したようです。


そうしたアジアの生命力、無限性、あけすけさ、無秩序さを、
音楽で爆発的に表現しようとしたようです。


だからこの交響曲は、一見無秩序な構成を持つことになりました。



上に書いたように、それぞれの楽章は男女いずれかの性を持ち、
自由に並べ替えて演奏していいのです。
しかも指揮者が望めば、ひとつの楽章を自由に反復して演奏していいと
指示されているのです。


終わらないで、いつまでも演奏可能な曲なのです。


女性楽章はスタティックで、
男性楽章はダイナミックに作られています。
それらが交互に、あるいはランダムに演奏されます。


それは、男女のセックスが永遠に続いて、生命が
どこまでも増殖していくさまを描いたものでした。


芥川也寸志は、これこそがアジアの「交響曲だ、
という気概で、堂々と「エローラ交響曲」と名付けたのに違いありません。
まさに、アジア人がアジア人の視点で作り上げた音楽というわけです。


なんて野心的な曲でしょう!*5
一歩間違えばちゃらんぽらんな音響になってしまいそうですが、
きょうの演奏はどうだったでしょう。


(以下、後編へつづく→id:putchees:20060223)

*1:現在の東京藝術大学音楽学部。

*2:なかでも、フランス近代音楽ふうです。

*3:ジャック・イベールについては、過去のレビューをお読みください→id:putchees:20051102

*4:早坂文雄については、過去の記事をお読みください→id:putchees:20051214 武満徹については、こちらをお読みください→id:putchees:20051011

*5:ただし、楽章を自由に並べて演奏していいという音楽は、現代音楽ではよくあります。