瀬戸内寂聴&三木稔のオペラ「愛怨」は大娯楽作なのだ!(前編)

putchees2006-03-01


オペラ初体験


きょうは柄にもなく、
オペラを見てきました。


といっても、「トゥーランドット」や「アイーダ」といった、
大時代なオペラではありません。


そういうのは、ハイソで上流な奥様方の
娯楽だろうと思っています。


ぼくには、オペラ界三大テノール夢の共演とか、
永遠に縁がなさそうです。


だいたい、外国オペラがやってくるときの
チケットの値段を知ったら、
とても見に行けません。


ぼくがきょう出かけたのは、日本人のオペラです。


念のために申し上げますが蝶々夫人じゃありません。


日本人が作った、日本語のオペラです。


というと、とたんに興味をなくす人がほとんどでしょう。


「日本のオペラなんてつまんないに決まってる。
西洋の古典にかなうわけないでしょ!」


「そんな貧乏くさいの見に行きたくない。
ヨーロッパの豪華絢爛なオペラのほうがいいわ!」


「どうせちんぷんかんな前衛じゃないの?
そんなのデートに使えないよ!」


と、おそらくこういった反応が返ってくるのではないでしょうか。
まあ、おっしゃることはだいたいわかりますが、
よかったら一度試してみませんか。


せっかくぼくたちは日本人なのですし、
同じ日本人の作ったものを見るのは、
悪いことではないと思いますよ。


つまらなくはないし、じゅうぶん豪華絢爛だし、
前衛でもありません。


というわけで、今回出かけたステージは、
小説家の瀬戸内寂聴瀬戸内晴美)が台本を書き、
作曲家の三木稔が曲をつけた3幕もののグランドオペラ
「愛怨」の初演でした。


奈良時代を舞台にした、愛と運命の歴史絵巻だそうです。


どんなものか、見てみましょう。

今回もコンサート報告です


【今回のコンサート】
オペラ「愛怨」(あいえん)
台本:瀬戸内寂聴 作曲:三木稔
Miki Minoru:AI-EN To Die for Love
全3幕(世界初演・日本語上演)


【日時】
2006年2月18日(土)15:00〜18:00
新国立劇場・オペラ劇場(東京・初台)


【ミュージシャン】
琵琶独奏:シズカ楊静
管弦楽:東京交響楽団
指揮:大友直人
合唱:新国立劇場合唱団
合唱指揮:三澤洋史


【キャスト】
桜子・柳玲:泉千賀 
大野浄人:秋谷直之
玄照皇帝:今尾滋
光貴妃:出来田三智子
阿部奈香麻呂(朝慶):大野光彦
若草皇子:米谷毅彦
(18日当日のキャスト)


【スタッフ】
演出:恵川智美
美術:荒田良
衣裳:合田瀧秀
照明:磯野睦
舞台監督:村田健輔

オペラはヨーロッパ文化の精髄


ヨーロッパでは、交響曲symphonyと並んで、
グランドオペラgrand operaが、芸術音楽の中で
もっとも高い地位を占めています。


簡単に言うと、交響曲が発達したのは中欧で、
オペラは南欧で発達しました。


ドイツ・オーストリアにおけるベートーヴェンマーラー
イタリアにおけるヴェルディプッチーニを思い浮かべると、
ああなるほどと思うでしょう。


どちらも、日本人の出る幕ではありません。


ことに、演劇を支配下に置き、音楽ですべてを埋め尽くしてしまう
グランドオペラは、ヨーロッパ音楽の、いや、
ヨーロッパ文化の精髄ともいうべきものです。


明治維新以降、西洋音楽を学んだ日本人は、交響曲同様、
この分野にも果敢に挑戦してきました。


日本最初のオペラは、山田耕筰が作った「黒船」(1939)です*1
しかしその後、どれだけの日本製オペラが生まれたかというと、
いささか心もとない気がします。


日本人が作ったオペラで、
世界的にもっともよく知られているのは、
三島由紀夫原作、黛敏郎作曲の金閣寺(1976)でしょう。


もっとも、この作品はドイツからの委嘱であったため、
ドイツ語で作られています。


そのほかのオペラ作曲家というと、
「夕鶴」など7つのオペラを作った團伊玖磨
それに「忠臣蔵」などを作った三枝成彰が挙げられます。
そのほかに遠藤周作の「沈黙」をオペラ化した松村禎三
ミヒャエル・エンデMichael Endeの「モモ」を
オペラ化した一柳慧なども忘れてはならないでしょう。


有名ではありませんが、
日本語のオペラにもいろいろあるのです。

海外から委嘱を受けるオペラ作曲家


そんな中で、オペラをすでに7つも作っているのが、
三木稔(みき・みのる1930-)です。


(三木稔)


彼こそ、日本を代表するオペラ作曲家と言っていいでしょう。


三木稔については、過去に何度かご紹介していますから、
よかったらそちらをお読みください→
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彼は1975年に谷崎潤一郎原作の春琴抄をオペラ化して以来、
日本を舞台にした作品を作り続けてきました。


その中で「あだ」(1979)
「じょうるり」(1985)「源氏物語」(1999)は、
英国人コリン・グレアムColin Grahamとの共同作業によるものです。


コリン・グレアムは、20世紀最大のオペラ作曲家である
ベンジャミン・ブリテンBenjamin Brittenの作品を手がけてきた
演出家として世界的に著名な人物です。


(コリン・グレアム)


そのコリン・グレアムに見込まれたのですから、
三木稔はたいしたものです。


今回の「愛怨」は、初台の新国立劇場からの委嘱で作られました*2
彼の記念すべき、8作目のオペラです。
台本を書いたのは、テレビタレントとしても著名な、小説家の
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう1922-)です。


瀬戸内寂聴


三木稔は、つねづね、多くの人に見られるための
オペラ作りということに心を砕いています。


そのために、著名な小説家の台本を得るということは、
大きなアドバンテージです。

闘病しながら作られたオペラ


ぼくがこの公演に出かけたのは、
三木稔の音楽が好きだからですが、
ひょっとすると、彼の新作オペラの初演に立ち会うのが、
これが最初で最後になるかもしれないという思いからでした。


三木稔は5年前から、ガンとの闘病生活を続けています。
そうした中、2時間以上に及ぶ大オーケストラのための音楽を
作るのは、すさまじい自己との格闘だったに違いありません。


三木稔によると、ひとつのオペラを作るために、
作曲家は200万から300万の音符を書くのだそうです。


300万!!!


想像を絶する作業です。


それが完成したというだけでも、
見に行こうという気になりました。


チケットは10000円とちょっと高めですが、
この際、そういうことは気にしていられません。


どうやら、作曲家のねらい通り、
瀬戸内寂聴台本ということが注意を引いて、
テレビや新聞でずいぶん取り上げられていたようです。


どんな仕上がりになっているでしょうか。

べたべたのメロドラマ


会場に入ると、オーケストラピットに
オケがすっぽり収まっています。
おお、ホンモノのオペラです。


もちろん客席は満席です。
実に晴れがましい初演ではありませんか。


新国立劇場・オペラ劇場)


お客さんは、中年以上の人が多いようです。
まあ、しょうがないでしょう。
若い人にアピールする要素はあまりありませんから。


「愛怨」の物語はこうです。

奈良時代、琵琶と囲碁の名手として知られた大野浄人は、
中国の宮廷の秘曲「愛怨」を教わってくるという密命を帯びて
海を渡る。そのために、愛する桜子との悲しい別れがあった。

浄人の乗った船は難破し、命からがら大陸にたどり着くが、
奈良には、浄人が死んだという誤情報が伝わる。
悲報を聞いた桜子は池に身を投げて死ぬ。

いっぽう、賭け囲碁で食いつないだ浄人は、
どうにか唐の都・長安にたどり着き、皇帝に謁見する。
そこで、桜子と瓜二つの琵琶の名手・柳玲に出会う。

浄人の囲碁と音楽の才能に惚れ込んだ皇帝は、彼を中国に
留め置くために策を巡らす。

浄人と柳玲はたちまち恋に落ちるが、
「愛怨」は、他人に教えると死刑になるという秘曲中の秘曲。
柳玲はその禁を犯して、浄人の前で「愛怨」を弾じる。

実は柳玲は、桜子と生き別れの双子だった…。


…と、まあ、こんな筋です。
ひと昔前の少女漫画のような筋書きですね。
べたべたのロマンチックな物語です。


いまどきこれはないだろう、と、
思わずツッコミたくなります。


しかし、マンガや映画以上に虚構性の強いのが、舞台という分野です。
ましてや、すべてのセリフが歌というオペラですから、
これくらい都合のいい筋書きでも許されるというものです。


いや、つらい現実を忘れるために人びとが訪れる、劇場という空間では、
現実離れしたフィクションほど喜ばれるのではないでしょうか。


セリフは平易な日本語ですし、
アクセントに沿ったメロディで、聞き取りやすくなっています。
しかも、親切な字幕付き!
これなら誰だって内容がわかります。


音楽もわかりやすいものでした。
五音音階を使って、アジアらしさを強調していました。


三木稔は、かつて無調の先鋭的なオーケストラ曲を
書いていたこともあるのですが、
ここでは、あえてわかりやすい音楽を書いています。


このオペラを、上質の娯楽にするためでしょう。

中国琵琶の独奏がすばらしい


全体としてみると、音楽の密度はさして高くない印象でした。。
初めて見るということも原因でしょうが、劇中のアリアを含め、
印象的なメロディはほとんどありませんでした。
ちょっと音楽が薄いかな、と感じました*3


しかし、後半に現れた、楊静Yang Jingの琵琶独奏には目を見張りました。


彼女の演奏するのは、日本の薩摩琵琶、筑前琵琶ではありません。
もともとは同じものですが、1000年以上前に分化し、
中国で発達した琵琶pipaという楽器です。


形はよく似ていますが、バチではなく指で弦を弾き*4
フレットの数はまるでギター並みです。


音色も、日本の琵琶よりはるかにやわらかで女性的です。
ギターやバロックリュートに近い音色でした。


(楊静)


楊静は、驚くべき繊細なテクニックで、
劇中大きな役割を果たす琵琶曲を演奏しました。


この美しいメロディこそ三木稔の本領です。


アジアの民族楽器を扱うことに関して、
三木稔の右に出るものはいません。


琵琶ひとつの音だけが、大ホールに響き渡ります。


いつも、人のまばらな小ホールで聴いているような種類の
彼の器楽作品が、満員の大ホールで演奏されているのです。


これには驚きました
なるほど、三木稔がオペラにこだわるのは、
このためかと思ったのです。


自分の作品を、より多くの聴衆に聴いてもらうためには
どうすればよいか。
そこで、作曲者はオペラという解答を
見つけたのではないでしょうか。


オペラは、作曲家だけのものではありません。
台本を書いた作家のものであり、
出演するオペラ歌手たちのものでもあります。
また、演出家や指揮者、オーケストラのものでもあります。


あるお客さんは台本作家が好きで、またある人は
特定のオペラ歌手が好きで、劇場に足を運ぶでしょう。
そこで聞こえてくるのは、三木稔の音楽なのです。


新しいファンを獲得するのに、
これほどいいきっかけはありません。


いちど聴いてさえくれれば、三木稔のメロディは、
人を魅了する力があります。


きょうも、この琵琶を聴いて、
彼の音楽のとりこになった人がいるに違いありません。


2000人近い観客が耳をそばだてて、
三木稔伝統楽器のための独奏曲を聴いているという光景に、
ぼくは身を震わせました。
その多くは、三木稔という作曲家のことさえ、
ほとんど知らなかったはずなのです。


ちなみに、琵琶独奏は劇中、2度ありましたが、
ぼくは、劇中曲「愛怨」よりも、最初の琵琶独奏のほうが好みでした。


楊静が、三木稔「琵琶協奏曲」を演奏したCDが
カメラータトウキョウから出ていますが、
ぼくは、そちらより、今回のオペラ中の曲のほうが、
美しかったのではないかと思います。


(琵琶協奏曲/三木稔選集VII CMCD-28036)


3時間近い、このオペラの白眉でした。


(以下、後編へつづく→id:putchees:20060306)

*1:山田耕筰については、過去の記事をお読み下さい→id:putchees:20051016

*2:新国立劇場は、日本で初めての本格的なオペラハウスです。

*3:もっとも、全編に渡って濃厚な音楽ばかりだと、メリハリがつかなくなってしまいますからムツカシイところです。

*4:それぞれの指に義甲(プレクトラム)を付けて演奏していました。