ファジル・サイのピアノにたまげる!

putchees2010-07-11


今回はコンサート報告です


【今回のコンサート】
●日本フィルハーモニー交響楽団第622回定期演奏会
●2010年7月9日(金)19:00〜21:00
●東京/赤坂・サントリーホール


【ミュージシャン】
●指揮:広上淳一
●ピアノ:ファジル・サイFazil Say


【曲目】
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番
カデンツァ:ファジル・サイ版)
スクリャービン交響曲第2番

音楽で日土友好


トルコという国は、日本にとってなじみが薄い。
なにしろ、ユーラシア大陸の反対側だ。


しかし、お互い、なんとなく惹かれあっている。
たぶん、大した根拠はない。
過去の歴史がどうのこうのと言われるけど、
つまるところ、互いに、互いの国が好きだと知っているからなんだろう。


昨年、トルコ旅行に行って、かの国の
親日感情を目の当たりにした。


ジャポンヤ(日本人)だとわかると、
むやみと握手を求められたり、
チャイ(紅茶)をごちそうされたりする。


こちらも俄然、親トルコになりました。


トルコと日本は、アジア両端の国民どうし。
お互い、19世紀末から「近代化」(ヨーロッパ化)を
スタートして、欧米のプレッシャーを受け止めつつ、
どうにか生き抜いてきた。


少し前に話題になったジョージ・フリードマン
「100年予測」という本には、
今世紀半ば、日本とトルコが同盟を結んで、
合衆国に戦争を挑むという予測が描かれていた。


それ自体はありそうもないことと思われるけど、
100年以上にわたる日本とトルコの「両思い」が
結ばれるかもしれないという説には、なんとなく胸が高鳴る。


それはともかく、
トルコの人口は現在7000万で、経済成長も著しく、
近いうちに中東〜欧州の地域大国となるのは確実だそうだ。


軍事同盟はともかく、トルコと仲良くするのは、
実際上の利益も大きそうです。
(トルコの国内線に乗ったら「トルコへ投資を」というパンフが目立ったよ)

日本とトルコはどっちも「辺境」


トルコと日本では、
クラシック音楽の歴史にも共通点がある。


お互い、19世紀末からヨーロッパの音楽を勉強してきたってことだ。


20世紀の初め、日本には山田耕筰が現れ、
トルコにはアフメト・サイグンが現れた。


サイグンは、トルコにおける
クラシック音楽の父みたいな人だ。


トルコにはほかにもジェマル・レシット・レイ、
ウルヴィ・ジェマル・エルキンなど、
魅力的な作曲家がおおぜいいる。


超マイナーだけど、日本人なら聴いておいたほうがいい。
なぜなら、トルコも日本もクラシック音楽辺境だから。


辺境の国民が、ヨーロッパのクラシック音楽とどう向き合うべきか、
ハンガリーやトルコの音楽は示唆に富むだろう。


さてトルコは、音楽の豊かさで抜きんでている。
かの国では、伝統音楽がいまも人気があるんだ。


もちろん、西洋的なポップスも人気だけど、
テレビをつければ、伝統楽器のオケをバックにした歌手たちが
民族旋法を駆使して、すばらしい歌声を披露しているのが、いつでも見られる。


トルコ人は、自分たちの伝統音楽が大好きなんだな。
この辺は、日本人からするとうらやましい。
(日本人は自分たちの伝統音楽をほとんど知らない)


ああいう国では、自分たちの伝統に根ざした、
世界的なミュージシャンが生まれてくるに違いないと思ったよ。


クラシック音楽における、トルコが生んだ最大の才能は、
なんといってもファジル・サイ(ファズル・サイ)だろう。


彼はピアノがめっぽううまく、
西洋クラシックをカンペキにこなすだけでなく
自作や即興演奏では、トルコ的な美観に根ざした音楽を聞かせてみせる。


たとえば彼のヴァイオリン協奏曲(2007)は、
ちゃらんぽらんでシュニトケみたいな多様式主義にも見えるけど、
アジア的〜トルコ的な熱情に貫かれている。


CDだけじゃなく、実演を聞いてみたいと思って
今回のコンサートに出かけました。

圧倒的なピアノ!


ベートーヴェンのピアノ協奏曲三番は、
いうまでもなく名曲だ。


第一楽章のカデンツァは、もともと即興演奏が入る場所で、
作曲されたものとしては、ベートーヴェンのほかに、
ブラームス、アルカンやシュルホフなど、
いろんな作曲家のバージョンがある。
(アルカンとシュルホフのやつはかなりヘンだ)


今回は、ファジル・サイ自作のカデンツを演奏するらしい。


指揮は情熱の人・広上淳一


これはちょっと楽しみだ。


金曜日のサントリーホールは、
7割くらいの入り。


ぼくは舞台向かって左手の二階席に座った。
ピアニストの動きがよく見えるからね。


演奏スタート。


広上淳一はやっぱり情熱的な指揮者だ。
動きも大きいが、うなり声も大きい。大きすぎる。


まるでひとつの楽器のようだ。
ピアニッシモの箇所では、
オケ全体よりうなり声のほうが大きい


さあファジル・サイのピアノが鳴る。


冒頭のフレーズから、響きが違う。


すげえ。


うわさ通りのすごいやつ。


自分の知っている
ベートーヴェンのピアノ協奏曲三番とはまるで別の音楽だ。


うーん、オケが弱いな。


広上淳一が引き出そうとしている音に、
日フィルが応えられていない感じ。


要はバランスが悪い。
辛ラーメンのスープに、そうめんをつけて食べているみたいだ。
言うまでもなくそうめんは日フィルのことだ。


聞こえてくるのはピアノばかりだ。


ファジル・サイ、左手が空いているときは、
鍵盤の上に高く掲げて、ゆらゆらとリズムを取る。


まるで、いまにも自分で指揮を始めそうだ。


ベートーヴェンを弾きながら、
余裕がありすぎて指揮までやりたそうなのだ。
たしかにこの人なら、弾き振りだってたやすいだろう。


広上淳一の立つ瀬がないね。


さあカデンツァだ。


まるで電光のように素早いフレーズが走る。
おお、すごいすごい。


現代的だけど、やりすぎない。
ちゃんとこの曲の主題を踏まえているよ。


まるで即興のように自然だ。
というか、ひょっとすると半分即興だったのかもしれない。


途中でしんと静まりかえり、静謐な音を重ねていく。
(フレーズを切るとき、ピアノの残響の美しいこと!)


そしてオーケストラを呼び戻す。


第一楽章終了。
そこで拍手が起きそうだったよ。


にぎやかな第三楽章では、
ようやく、オーケストラがピアノの強さに
対抗できる音を出せるようになったかな?


けっこう長い曲だけど、目を丸くしているうちに終了。


圧倒的な拍手。ブラボー。


ファジル・サイワンマンショーだったね。


アンコールでは、自作の「ブラック・アースOp.8」を
やってくれました。


たぶんCDに入っているのより長かったよ。


内部奏法まで使って、いろんな音色を聞かせてくれる。
彼はピアノを完全にコントロールできる人なんだね。


そして、彼の音楽はトルコの血を感じさせてくれる。


そこがすばらしい。


日本のクラシック演奏家で、
これだけ民族の血を感じさせてくれる人がいるだろうか?


伊福部昭
「もっとも民族的なものがもっとも世界的だ」
と言い続けた。
(ナディア・ブーランジェも似たようなことを言い続けた)


ファジル・サイは、それを証明しているじゃないか。


日本人は自分たちの民族性を隠すことばかり考えている。
だから世界中どこでも通用しないんじゃないのか?
反省した方がいいよ。


それにしても彼のピアノはすばらしい。
ファジル・サイは、ぼくと同じ1970年生まれ。
その点でもなんとなく親近感を覚える。


写真で見るとイケメンだけど、
実物は猫背でアヤシイ感じがしたね。


でも、超一流のミュージシャンだ。
百聞は一見に如かず。
CDで聴くより10倍すごい。
キワモノだと思って避けている人、
それはあまりにもったいない。

スクリャービンもよかった!


後半は、アレクサンドル・スクリャービンのシンフォニー二番。


オーケストラは三管編成で、
さっきの倍くらいの人数だね。


この曲、聴くのは初めてだったけど、
マーラーのような、ラフマニノフのような、
なんとも形容しがたい曲だね。


和音が豊饒すぎる。
屈折した人のように、ストレートに「言いたいことが言えない」音楽。
いかにも後期ロマン派の
「言いたいことがありすぎて何が言いたいのかわからない」曲って感じ。


こういう曲はぼんやり聴き続けるのが
退屈しない秘訣だろう。


広上淳一、相変わらずうなり声がすごい。
でも、オケが大編成だから、さっきのように目立たない。


日フィル、この曲ではよくがんばったね。
広上淳一は、曲から、最大限のエネルギーを引き出そうとする。
オーケストラは、最後に近づくほどに、それによく応えたよ。
(単に人数が多かったから、よく鳴ったという印象を受けたのかも知れないけど)


和音が複雑で、音が(一方向に向かって行くんじゃなくて)
四方に拡散して行くような曲を、ありのままに表現してみせた、という印象。


まあ、初めて聴く曲だから、よくわからないんだけど。
でも、40分以上の曲を退屈しないで楽しめたよ。


後半は超絶技巧のコンチェルト、
後半は渋いシンフォニーという、
骨太のプログラムでした。


ファジル・サイすごい。
広上淳一えらい。
日フィルよくがんばった。


たいへん満足度の高いコンサートでした。
これまで聴いた日フィルのコンサートで、
まちがいなく、いちばんでした。


また、こんなプログラムをやってもらいたいものです。
でもまあ、このコンサートは、デートで行くには微妙だね。
少なくともスクリャービンなんて聴いてたら、
女の子にはもてそうにありません。