ハイドンの「十字架」でアルミンクを見直す

コンサート報告です


【今回のコンサート】
新日本フィルハーモニー交響楽団489回定期演奏会
2012年2月20日(月)19:15-21:00
サントリーホール(赤坂)


【曲目】
W.A.モーツァルトMozart 交響曲第25番ト短調 K.183(173dB)
F.J.ハイドンHaydn 『十字架上のキリストの最後の七つの言葉』 (管弦楽版)


【ミュージシャン】
管弦楽新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮:クリスティアン・アルミンクChristian Arming

ひさびさです


しばらく更新してなくてスミマセン。
昨年秋に彼女にふられてしまって、
元気がありませんでした。


まあでも前向きにいきます。
ブログの内容に影響はないと思います。


さてひさびさに新日本フィル&アルミンクの演奏を
聴いてきました。


結論から言うと、アルミンクを見直しました

謎めいた曲


曲目は、モーツァルトの25番とハイドンの「十字架」
どっちも古典派の名曲。


オーケストラは少人数。ごまかしがきかない。


モーツァルトは、つまらなかった。
ただ演奏したというだけ。


しかし、後半のハイドンがすばらしかった。


この曲、ハイドンの作品中でもかなりヘンなやつ。
題名はキリスト教がらみ。
ちょっと謎めいている


曲の構成も謎めいている。
全9楽章。長い。1時間くらい。
緩徐楽章ばっかりで、最後に「地震」というごく短い、
速い楽章(プレスト)があって、だしぬけに終わる


まあ、キリストが十字架の上で死んだときに地震があったっていうのを
表現してるんだけどね。


管弦楽版のほかに、オラトリオ版、弦楽四重奏版などがある。


ぼくは弦楽四重奏版をよく聴いてます。


地味と言われるハイドンの作品中でも、
とりわけ地味な曲。大作なのに。


これを東京で日本のオケがやるなんて、めったにない機会。


ちょっと不安を覚えながら聴きに行ったんだけど、
大正解でした。

細部までくっきりと


冒頭の悲劇的な始まりから、すごくまとまった響き。
前半のモーツァルトとはぜんぜん違う。


新日本フィルとアルミンクは、
この曲に焦点をあてて準備してきたんだろう。
いいと思うよ。


緩徐楽章が続いて、寝てるお客さんもいたけど、
ミュージシャンたちはすばらしい集中力
ひとつのまとまった音を作っている。


ヴァイオリンやヴィオラもよかったけど、
ぼくはオーボエコントラバスがとりわけ印象的でした。


アルミンクの指揮もいつになく力がこもっている。
鼻息も荒く、まるで広上淳一のよう(ちょっとだけね)。


CDで聴いていると聞き流してしまう細部が、
鮮やかに描き出される。
これほど豊かな音楽に満たされていた作品だったとは。


ちょっとヘンな表現ですが、
緩徐楽章が、まるで力強いアレグロのように聞こえてくるんです。

アレグロ仕掛けのハイドン


ぼくは思うんですが、
ハイドンの音楽って、アレグロ仕掛け」ではないかと。


とくに交響曲では確実にそうだという気がするんです。
音楽全体が、アレグロ楽章の推進力で進んでいくという感じ。


それくらい、ハイドンの音楽にとって
アレグロは本質的な特徴ではないかと。


だって、ハイドンには耳につくようなメロディって、
ほとんどないでしょう。
その点がモーツァルトと決定的に違う。


ハイドンの音楽のおもしろさは、メロディじゃなくて、
アレグロ楽章のおもしろさに代表される、
「音楽が前に進んでいく感じ」ではないかと思うんです。
(古典派では、ベートーヴェンなんかもそういうところがあるでしょ?)


緩徐楽章だけでは、そのよさを出すのが難しいんですね。
じっさい、ハイドン自身も、この曲を作るとき、
緩徐楽章だけでお願いね、という注文を受けて悩んでいたそうな。


で、今回この演奏を聴いて、あっと思ったんです。
「十字架」の緩徐楽章には、
やっぱりハイドン流のアレグロ的エネルギー」
充填されているんだなと。


ゆっくりの音楽なんだけど、
内部には運動エネルギーが詰まってるんです。


気の抜けたアダージョやレントじゃないんですね。


だから、ときどき、適切にそのエネルギーを解放してあげなくちゃいけない。


つまりはメリハリってことになるんだろうけど、
アルミンクは、力を入れるところはめいっぱい「グイッ」と音を出して、
そうではないところは「スッ」と力を抜いていたよね。


ハイドンの特長である、ひんぱんなゲネラルパウゼも、
絶妙に、意味深く処理していたよ。


それによって、緩徐楽章がつづくこの曲が、
エネルギーに満ちた「前進する音楽」になっていたんです。


明晰な演奏。謎めいたところはいっさいなし。
まるでハイドン交響曲のように「十字架」を演奏してくれた。
「謎めいた曲」という先入観がさっぱりとなくなりました。
こういう演奏だっていいじゃないか。ありがとう。

まさに地震的エネルギー


最後の「地震」は、あまりのスピードに驚いた。
荒々しく、細かいところはこだわらず、
エネルギーを最大限放出する。まさに地震という感じ。


これこれ、これなんだよ。
だって「十字架」は、この「地震」を楽しみに、
じっと50分間聴いているようなところがあるんだから。


わっと盛り上がって、ストンと終わる。


おみごと!


まさかこれほどのものが聴けるとは思いませんでした。
思わずブラボーと叫んでしまった。


お客さんの入りはよくなかったけど、
受けてたと思う。少なくともおれは満足した。


アルミンクを見直しました。
上品でおぼっちゃんで微温的な指揮者、という
よくないイメージのほうはきょうでなくなりました。


こうなると、来年でいなくなっちゃうのがさびしいね。


きょうはよいほうに裏切られる演奏会でした。
やっぱりコンサートは面白いですね。


またぽつぽつ更新していこうと思います。


もちろん、ぼくが紹介する音楽は地味&非主流派なので女の子にはもてないですよ