日本作曲界の巨星・早坂文雄の悲痛なピアノ協奏曲を聴け!(その3)

putchees2005-12-22


その2よりつづき


昭和のはじめに活躍したクラシック系の
作曲家・早坂文雄(はやさか・ふみお1914〜1955)
のCDを紹介しています。
今回の写真は彼のポートレートです。


彼の名前を知らなくても、
黒澤明の「七人の侍」や溝口健二の「雨月物語
の音楽を担当した人といえば、
多くの人に納得してもらえるかもしれません。


彼のたいへんすばらしい作品集が、
ナクソスというレーベルからわずか1000円
発売されています。


そのCDのご紹介です。


その1ではCDに収録されたピアノ協奏曲について、
その2では早坂文雄の作曲家としての歩みを
書いてきました。


今回はその3回目です。


興味のわいた方は、その1とその2をお読みください。
その1id:putchees:20051214
その2id:putchees:20051217

今回紹介しているCD


【タイトル】


日本作曲家選輯Japanese Classics
早坂文雄Hayasaka Humiwo


(香港・ナクソスNaxos 2005)


【曲目】


1.ピアノ協奏曲(1948)
2.左方の舞と右方の舞(1941)
3.序曲ニ調(1939)


【ミュージシャン】


ピアノ独奏:岡田博美(おかだ・ひろみ)
指揮:ドミトリ・ヤブロンスキーDmitry Yablonsky
管弦楽:ロシア・フィルハーモニー管弦楽団
Russian Philharmonic Orchestra

「序曲ニ調」(1939)


東宝に入社した(1939)早坂文雄は、
映画音楽の仕事をしながら、
自分のための作曲にも意欲的に取り組みます。


そのようにして生まれたのが、このCDに収められている
「序曲ニ調」(1939)と「左方の舞と右方の舞」(1941)です。


序曲二調(1939)は、
1940年に控えた皇紀2600年*1奉祝式典のために
書かれた作品です*2


伝説の天皇紀元にことよせて、
大日本帝国国威発揚を企図したファシズムの祝典でした。
早坂文雄は、その国家イベントのために作曲したのです*3


CDで聴いてみましょう。
速いテンポで、勇ましく胸躍る曲です。
昔の日本映画を思わせるようなメロディです。
日本男児の心意気ここにありという感じでしょうか。


いかにも国威発揚の行事にふさわしいような曲ですが、
もちろん、現代のぼくたちは、そんなこととは無関係に、
純粋に痛快な曲として楽しんでいいのです。


同じリズムでがんがん盛り上がって、ジャン!
たいへんいさぎよく終わります。


親友・伊福部昭が書くような、
元気よく盛り上がる音楽に似ているようですが、
早坂文雄の書く音楽は、伊福部昭と違って、
どこか典雅で、古風で、抑制的な印象です。


北海道の田舎で育ち、原野の風景と土の匂いを知る伊福部と、
同じ北海道でも舗装された道の多い、都会の札幌で育った早坂とは、
やはりどこか感性が違うようです。


早坂文雄の音楽の典雅な面がさらに強調されているのが、
「左方の舞と右方の舞」です。

「左方の舞と右方の舞」(1941)


「左方の舞と右方の舞」は、1941年に作曲され、
日本が第二次世界大戦大東亜戦争)に突入した直後の
1942年に東京で初演されたオーケストラ曲です。


このときに同じ演奏会で取り上げられたのは、
伊福部昭のきわめて野心的なピアノ協奏曲
ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲」(1941)でした*4


早坂、伊福部という親友同士の曲が、
同じコンサートで(しかも東京で)演奏されたのです。
なんとも晴れがましいことではありませんか。


このオーケストラ曲「左方の舞と右方の舞」は、
雅楽舞楽)をモチーフにしています。


タイトルにある「左方の舞」「右方の舞」というのは、
雅楽の舞のことです。前者は中国風の舞のことで、
後者は朝鮮風の舞のことです。両者を合わせて
番舞(つがいまい)と呼んでいます。


伝統的な雅楽では、このふたつの舞がセットになっているのです*5
このオーケストラ曲は、そのふたつの舞をイメージしています。


早坂文雄は、日本の伝統音楽の中で、雅楽にとりわけ
愛着があったようです。


伊福部昭が民謡や祭り囃子に惹かれていったのとは好対照です。


雅楽宮廷音楽、祭囃子は庶民の音楽です。
ふたりの嗜好の違いが端的にわかります*6


「左方の舞と右方の舞」は、古代宮廷の舞を
イメージした、空想の舞曲と言えます。


聴いてみると、たいへん優雅でゆったりとした音楽です。
みやびというのはこういうものかという気がします。
西洋と全く違った洗練のかたちが、この音楽にはあります。


そして、たいへん堂々としています。
貧乏くささやせせこましさと無縁、
おおらかで気宇壮大な音楽です。


西洋オーケストラで表現された日本の美として、
高い完成度を誇るのではないでしょうか。

帝冠様式と近代音楽


これらふたつの曲を聴いて連想するのは、
ちょうど同時期に日本で流行した建築様式、
帝冠様式」のことです。


東京・九段下の九段会館(1934年完成。旧軍人会館)や、
東京・上野の国立博物館本館(1937年完成。旧帝室博物館)が、
帝冠様式の代表的な建築です。


西洋風の建物に、日本(帝国)風の屋根が乗っているから、
「帝冠」なのだそうです。


こちらに詳しい紹介がされていますので、
いちどご覧ください。
http://www.teikan.net/
九段会館
東京国立博物館本館)

西洋的な要素と日本的(東洋的)な要素を折衷した様式は、
シンプルで力強い、つまり簡勁な美に満ちています。


堂々とした男性的な建築です。


西洋の建築を消化吸収したのちに現れた、
日本独自の近代建築のカタチだったといえます。


早坂文雄のオーケストラ曲にある堂々とした雰囲気は、
この「帝冠様式」と似通っているように感じます。


西洋の管弦楽法によって組み立てられた音楽に、
日本風のメロディが乗っかるわけですから、
まさに帝冠様式と同じ図式です。


西洋的な要素と日本的な要素がちぐはぐで、
木に竹を接いだようなものになっては仕方ありませんが、
その点、早坂文雄の音楽は、西洋音楽の語法を借りて、
見事に日本独自の美に達していると言えます。

同じ時代の空気


「右方の舞と左方の舞」と、帝冠様式の建築は、
全く異なる分野ながら、似通った思考によって作られた
美のカタチだったのではないでしょうか。


そのいずれにも、1930〜40年代という時代の気分
濃厚に反映しています。
音楽と建築というまったく異なる分野に、
時代の空気が同じように作用したといっていいでしょう。


個々の出来事や作品というのは、
ひとつながりの歴史の中から生まれてくるもので、
決して、互いに孤立しているのではないということを
思い知らされます。

敗戦と日本人の転向


第二次世界大戦に敗北した後、日本の建築は、
無国籍ですっかり味気ないものになってしまったように思います。


音楽の分野でも、日本的なものを感じさせるような音響は
敗戦後、すっかり敬遠されるようになります。
代わりに現れたのは、無国籍で色気のない前衛音楽でした。


早坂文雄の作品を聴くとわかりますが、
日本的な美観をベースにして、
これだけ芳醇な音楽が生まれていたのに、
日本人はすっかりその路線を捨て去ってしまうのです。


せっかく日本独自の音楽や建築の作り方が
わかってきたところなのに、いかにも惜しいことです。


もちろん、ぼくたちは敗戦後、日本人であることを
恥じながら生きることを運命づけられたわけですから、
日本風の美を捨て去るのはやむを得ないことでした。


かくて、日本的な美を前面に押し出すことは、
反動だとか時代遅れといわれるだけになってしまったのです。


自業自得とはいえ、
第二次世界大戦という災禍がこの国の文化に及ぼした
影響の大きさについて考えさせられます。

芸術における日本民族主義の敗北


「左方の舞と右方の舞」は、日本の良さを押し出そうという、
当時の日本社会に瀰漫していた気分によく合ったでしょう。
とてもポジティブアッパーな音楽です。


同時に初演された伊福部昭
「ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲」も、
モダンでアッパーな音楽でした。


ちょうどそのころ(1942年のはじめごろ)は
日本軍が各地で威勢よく進撃して、
国全体が浮かれた気分になっていたころでした。


ところが、そんな昂揚感は長続きしませんでした。


日本の指導層には、戦争の先行きに
なんの方針もありませんでしたから*7
合衆国軍の明快な方針に則った戦略の前に、
戦況はたちまち不利になっていきました。


やがて日本に訪れたのは、この上なくみじめな敗北でした。


早坂文雄伊福部昭も、
心身ともに打ちのめされてしまいました。


日本は敗れた。
「日本」がよきものであるという幻想は打ち砕かれた。


もはや、日本的な美を
雄々しい音楽で表現することは不可能なのではないか?


この命題*8を抱えたところから、
ふたりの新たな創作が始まるのです。

もう一回だけつづきます


この話、もう少し長くなりそうなので、
もう一回だけつづきます
次回で完結ですので、お許しください。


(以後、その4へつづく→id:putchees:20051225)

*1:いわゆる「紀元2600年」。

*2:紀元2600年の式典については、過去のレビューで少し触れています。→id:putchess:20050607

*3:念のため申し上げておきますが、早坂文雄ファシストでもなんでもありません。委嘱に応えて作品を作っただけです。この式典には、リヒャルト・シュトラウスRichard StraussイベールJacques Ibert、ブリテンBenjamin Brittenといった作曲家たちも、作品を寄せています。

*4:伊福部昭のこの作品は、プロコフィエフSergey Prokofievの「交響曲第二番」(1925)やショスタコーヴィチDmitrii Shostakovichの「ボルトThe Bolt Suite」(1931)、モソロフAlexander Mosolovの「鉄工所Iron Foundry」(1926)などと並ぶ未来派futurismの管弦楽曲でした。

*5:なお、雅楽については、過去のレビューの解説をごらんください→id:putchees:20051011

*6:伊福部昭は以前、たしか「音楽の友」のインタビューで、早坂文雄とはことごとく好みが違ったから、かえって気が合ったのだと答えていました。

*7:信じがたいことですが、どうやって戦争を有利に終わらせるのか、指導層の誰ひとりとして具体的なイメージを抱いていなかったようです。

*8:「命題proposition」というのは、論理学で、真か偽かを問うことのできる文のことです。「課題」と同じ意味で使うのは明らかに誤用です。エライ人がよく使う「至上命題」って言葉、いったいなんのことやらわかりません。