日本作曲界の巨星・早坂文雄の悲痛なピアノ協奏曲を聴け!(その4)

putchees2005-12-25


その3よりつづき


50年前に41歳で亡くなった
作曲家・早坂文雄
(はやさか・ふみお1914〜1955)
のオーケストラ作品集をご紹介しています。


早坂文雄は、黒澤明の映画音楽で有名ですが、
実はクラシック系の日本人作曲家として、
明治以降でもっとも重要なひとりでした。


早坂文雄は、かの有名な武満徹
もっとも尊敬する作曲家だったのです。


その早坂文雄のすばらしいオーケストラ曲について、
そして彼の生涯について、ごく簡単に紹介しています。


今回はその完結編です。


興味のわいた方は、その1〜その3をお読みください。
その1id:putchees:20051214
その2id:putchees:20051217
その3id:putchees:20051222

今回紹介しているCD


【タイトル】


日本作曲家選輯Japanese Classics
早坂文雄Hayasaka Humiwo


(香港・ナクソスNaxos 2005)


【曲目】


1.ピアノ協奏曲(1948)
2.左方の舞と右方の舞(1941)
3.序曲ニ調(1939)


【ミュージシャン】


ピアノ独奏:岡田博美(おかだ・ひろみ)
指揮:ドミトリ・ヤブロンスキーDmitry Yablonsky
管弦楽:ロシア・フィルハーモニー管弦楽団
Russian Philharmonic Orchestra

敗戦からの出発


早坂文雄は、1945年の敗戦を鎌倉で迎えます。
彼は戦争中、たびたび結核のために病臥していました。
しかし戦後、体力を取り戻すと、前にも増して
意欲的に創作に取り組んでいきます。
ことに映画音楽の分野では、やがて
並ぶもののない名声を得ることになります。


いっぽう早坂文雄のライバル・伊福部昭は、
日本の敗戦の直後に上京し、
楽家として生きる決意を固めます。


彼は東京藝術大学の作曲科講師という職を得ますが、
とても食べていける給料ではありませんでした。


そのため、彼はやがて早坂文雄のつてで
映画音楽に手を染めるようになります。


伊福部昭が最初に手がけた映画音楽は、
黒澤明が脚本を手がけた東宝映画「銀嶺の果て」(1947)
(監督は谷口千吉)でした。


そしてその後、伊福部昭は映画音楽の巨匠として、
早坂文雄と同じように、
押しも押されもしない存在になっていきます。


こうして、早坂・伊福部ふたりの歩みは
ふたたびみたび重なるのです。


このふたりの歩みは、どこまでもドラマチックです。

「ピアノ協奏曲」の初演


1948年には、この稿の最初に紹介した
早坂文雄の「ピアノ協奏曲」が、
伊福部昭の最初のヴァイオリン協奏曲
「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」(1948)と
同じ会場で初演されます。


この稿の冒頭に掲げた画像は、そのときの写真です。
左端が早坂文雄、その隣が伊福部昭です。


ふたりの作風は、戦争中にくらべてずいぶん変わっていました。


早坂文雄ロマンチックで内省的になり、
伊福部昭角張った響きを捨てていました。


ふたりはともに34歳。このときが、
ふたりの作曲家としてのキャリアが、
もっとも晴れがましく重なり合ったときだったかもしれません。

生命の最後の炎を燃やして


その後の早坂文雄は、迫り来る病魔と闘いながら、
残された時間で、なおも創作の炎を燃え立たせていきました。


早坂文雄は、十二音技法dodekaphonieなどの影響を受けながら、
新しい日本の音、アジアの音を探求していくのです。


そして結実したのが、1955年(昭和30年)に完成した
早坂文雄・畢生の大作
交響的組曲 ユーカラSymphonic Suite Yukara」でした。


この作品で聞こえてくる音響は、
その3の末尾に記した、
もはや、日本的な美を雄々しい音楽で表現することは不可能ではないか?
という命題に対する真偽の回答でした。

前回の命題に対する答え


その命題について、早坂文雄伊福部昭は、
どのような回答をしたのでしょう?


それは、ともに「偽である」という回答でした。


つまり、日本が敗れてもなお、
日本的な美を雄々しい音楽で表現することは可能だ、と、
ふたりは考えたのです。


しかし、それは戦前と同じやり方ではありませんでした。
戦後のふたりの作品を聴くと、
ふたりの回答がどのようなものであったか、
おのずと理解できます。


その内容については、後日ふたりの作品について
レビューを書くときに改めて記したいと思います。


とくに早坂文雄の「ユーカラ」については、
来年、改めてご紹介することをお約束します。

早坂文雄の影響力


さて、戦後の早坂文雄は、若手作曲家の声望を一身に集め、
周囲には早坂シンパのサークルが形成されていました。


早坂文雄は、若き後輩たちを陰に陽に支えていました。


その中には武満徹佐藤慶次郎(さとう・けいじろう1926〜)、
佐藤勝(さとう・まさる1928〜1999)
などがいました。


早坂文雄は、音楽教師として、
直接後進の指導に当たったことはあまりありません。
しかし、彼が後の世代の作曲家に及ぼした影響力は絶大でした。


武満徹は生前、自身がもっとも感化された作曲家として、
早坂文雄の名を挙げています。


武満徹の作品に見られる曖昧模糊とした音響は、
明らかに早坂文雄の路線を継承したものだと見なされています。


武満徹は「交響的組曲 ユーカラ」の初演を聴いた後、
私淑する作曲家の死が近いのを確信して、
泣き崩れたと伝えられます。


早坂文雄の影響は、佐藤慶次郎や
湯浅譲二(ゆあさ・じょうじ1929〜)といった
武満徹の同志はもちろん、
芥川也寸志(あくたがわ・やすし1925〜1989)、
黛敏郎(まゆずみ・としろう1929〜1997)など、
伊福部門下の作曲家の作品にまで広く及んでいます。

日本の戦後の作曲を変えた


たとえば
黛敏郎の大傑作「涅槃交響曲Nirvana Symphony」(1958)や、
芥川也寸志の同じく大傑作「エローラ交響曲Ellora Symphony」
(1957〜1958)は、ともに早坂文雄に捧げられています。


ついでに武満徹ストラヴィンスキーIgor Stravinskyから賞賛を受け、
世に出るきっかけとなった
弦楽のためのレクイエムRequiem for Strings」(1957)も、
早坂文雄に捧げられた曲です。


これら3つの作品は、どれも日本の戦後作曲史上に
屹立する金字塔であり*1
その後の日本人の作曲の針路を変える力を持っていました。


これらの作品が、早坂文雄の死後、
つぎつぎと現れたのはもちろん偶然ではありません。
早坂文雄の後輩たちへの影響が、彼の死をきっかけに
急激に顕在化したと見るべきでしょう。


こうして早坂文雄は、41年の生涯で残した作品によって、
その後の日本人の作る音楽を決定的に変えてしまったのです。

「早坂楽派」と「伊福部楽派」


一方、戦後の伊福部昭は、
東京藝術大学東京音楽大学で教鞭を執り、
数多くの才能を育てます。


そして彼は早坂文雄と同じように、
圧倒的な影響力を持った音楽家でした。


戦後の日本の作曲界の二大潮流は、
伊福部昭早坂文雄を源に発するといっても、
あながち間違いではありません。


それほど、このふたりの才能と影響力は突出していたのです。


片山杜秀(かたやま・もりひで)の分類によれば、
前者は「伊福部的バイタリティ爆発路線
後者は「早坂的わびさび路線」ということになります。


伊福部昭に発する流れは黛敏郎松村禎三などを経て
吉松隆あたりにまで脈々とつながっていますし、
早坂文雄に発する流れは武満徹を経て、
細川俊夫(ほそかわ・としお1955-)などにつながります。

ふたりが出会った運命の不思議


大正のはじめに、辺境の北海道で生を受けたふたりの
親友同士が、さまざまな試練を経て
おのおの偉大な作曲家になっていったのです。


そしてふたりのそれぞれを淵源とする作曲の傾向が、
ふたつの大河のように、いまも日本の音楽界に
脈々と流れているのです*2


もしふたりが札幌で出会わなければ?
ふたりは作曲家になっていなかったかもしれません。


ふたりを巡る偶然のパズルの1ピースが欠けただけで、
日本の近現代音楽はまったく違ったものに
なっていたかもしれないのです。


運命と歴史の不思議さについて考えさせられます。

ロシアのオーケストラが力演


最後に、このCDの演奏について記しておきましょう。


ぼくはクラシックの演奏家のことを
かましく批評するだけの耳を持っていませんが、
岡田博美のピアノとヤブロンスキーの指揮は、
これらの曲をしっかりと表現できているのではないでしょうか。


少なくとも、芥川也寸志(あくたがわ・やすし)が指揮した
「左方の舞と右方の舞」の新交響楽団によるライブ盤より、
音の明瞭度ははるかに上です。


21世紀に早坂文雄の偉業を残していく仕事として、
ナクソスとロシアフィルは、いい仕事をしたのではないでしょうか。

おわりに


早坂文雄という作曲家のイメージを言葉にするなら、
静かに燃える炎というのがぴったりです。


彼は決して長いとはいえない生涯で、
病魔と闘いながら、創作の炎を燃やし続けたのです。


彼の残した作品は(映画音楽をのぞけば)多くはありませんが、
その影響力は、上に書いたように絶大でした。


彼の作品が、それだけの力を持っているということです。
そんな音楽を、いちど聴いてみたいと思いませんか?


このナクソスのCDは、彼の創作の真髄に触れる
最初の一歩として最適です。
値段はわずか1000円ですから、
ぜひCDショップに行ったついでに購入してください。


内容は保証します


たまには、日本人の「クラシック」を聴いてみるのも、
悪くないと思いますよ*3


あ、でももちろん、
こんな音楽を聴いていても女の子にはぜったいにもてないですけどね。


(この稿完結です)


(次回は、2005年のまとめとして、
これまでのレビューをインデックスにします)

*1:余談ですが、金字塔って、Pyramidの訳語なんですよね。「金」の字がピラミッドのシルエットに見えるから「金字塔」。漢字ってすばらしい。

*2:もちろん伊福部昭いまも健在で、後進に多大な影響を与え続けています。

*3:早坂文雄の作品こそ、真の意味でのクラシックにふさわしいと思います。