イケメン三味線奏者の独奏リサイタルを聴く!

putchees2005-06-24


今回はライブ報告です


「野澤徹也オールソロライブ 」


6月20日(月)19:00〜21:15
東京日暮里・邦楽ジャーナル倶楽部 和音

ミュージシャン


野澤徹也(三味線)
西耕一(司会・プロデュース)

曲目


杵屋正邦:常妙
三木稔:お綱ラプソディー
三枝成彰:La・La-La-La-・La
木山光:Tatahgata Vhailorcyana
玉木宏樹:ジャワリ
三木稔:奔手

気鋭のイケメン三味線奏者!


1974年生まれの三味線(三絃)奏者、
野澤徹也のライブに出かけてきました。


長唄や清元、義太夫などといった、
江戸時代からの三味線音楽ではなくて、
現代曲を中心に活躍している、
いま売り出し中の三味線奏者だそうです。


彼は、三木稔作品集など、
すでに3枚のCDをリリースしています。


彼の端正な顔立ちは、
女性の心をとらえそうです*1


腕前もたいへん見事ですから、
そのうち大ブレイク*2するかもしれません。
ファンになるならいまのうちですよ。


三味線というと、いまは津軽三味線が大流行りですが、
細棹*3にも、こんな端倪すべからざる奏者がいるのです。

半分打楽器?


当日、会場に訪れていた作曲家の三木稔は、
三味線のことを「弦のついた太鼓」と表現していました。
バチで、弦と同時に皮をバシバシ打ちつけるわけですから、
半分打楽器、半分弦楽器というわけです。


きょうは、その「弦打楽器」の特性を活かした、
激しくパーカッシヴな曲が目白押しでした。
津軽三味線に負けない迫力です。


しかも演奏されるのは、
すべて五線紙に書かれた現代曲です。


ちょっと、面白そうでしょ?

邦楽器専門のライブハウス!


場所は、日暮里駅前にある、
邦楽器専門のライブハウス「和音」です。
もちろん、このようなお店は日本でただひとつです。


ぼくは店の名前だけ知っていて、
これまで訪れる機会がなかったのですが、
こぢんまりとした、なかなかいい空間でした。


お酒を飲みながら、現代邦楽を聴くのは、
ちょっと不思議な体験でした。


たいへんいいスペースだと思ったのですが、
残念なことに、今月いっぱいで閉店だそうです。
この店のこころざしを引き継いでくれるお店が
現れることを願ってやみません。

三味線1本でなんと2時間!


さてきょうは、三味線一本による、独奏リサイタルでした。
これは、異例のことです。
なぜならふつう、三味線は独奏ではなくて、
歌(唄)の伴奏や筝、尺八などとの合奏*4を行うからです。


そういう楽器だけで2時間のリサイタルを組むのは、
なみたいていのことではありません。


たとえばヴァイオリンであれば、
ヨーロッパのすぐれた作曲家たちによって
数百年間蓄積されてきた
独奏曲の傑作が無数にあります。


チェロやピアノ、ギターもしかりです。


ところが和楽器の多くには、
そういった独奏曲のレパートリーがありません*5


太鼓や筝、笙、篠笛といった楽器の奏者たちは、
自分で作曲したり、現代の作曲家の力を借りて、
おのおのの楽器の表現領域を広げていこうと努力しているのです。


それには、もちろんたいへんな苦労が伴いますが、
和楽器独奏というのは、未開拓なだけ、
大きな可能性の広がるフロンティアでもあるのです。


三味線も同様に、独奏曲のレパートリーは無にひとしい状態です。
野澤徹也は、作品を委嘱したりして、
自分でレパートリーを拡充しているのです。


そういう努力は、西洋音楽をやっている人にとっては、
想像もできないことでしょう。


果たして、三味線ひとつで、
満ち足りた音楽を作ることができるのでしょうか?
2時間のリサイタルをもたせることができるのでしょうか?
ゆっくり確かめていこうではありませんか。

杵屋正邦「常妙」


さて、最初は杵屋正邦の曲。
長唄をバックボーンに持つ現代の作曲家です。


ちなみに杵屋というのは、長唄の始祖、
杵屋六左衛門に始まる屋号です*6


長唄出身の人が作った曲らしく、
三味線の美点を活かしていました。


江戸のイキを感じさせるメロディが、
三味線らしくてここちよかったです。


ただ、いかにも近世邦楽*7という感じの音楽なので、
三味線の音が途切れると、その休符に、
たとえば「牡丹のォ〜花ァに〜♪」*8といったような、
ボーカルが入ってくるような気がしてしまいます。


三味線は長年伴奏楽器であったので、
ぼくたち聴衆が、独奏曲を聴くことに慣れていません。
そのため、なまじ従来の三味線音楽のイメージを残した曲だと、、
どこか物足りない気がするのでしょう。


ということはつまり、三味線の独奏曲には、
近世邦楽を超えた要素が必要だということになります。
この曲には、それがやや不足気味だったということでしょうか。

三木稔「お綱ラプソディー」


2曲目は三木稔の作品です。


三木稔については、以下の過去のレビューも読んでみてください。
id:putchees:20041208
id:putchees:20050116
id:putchees:20050326


筝、尺八、琵琶、笙、篳篥など、
伝統的な日本の楽器を使った作品を書くことにかけては
この人に及ぶ作曲家はいません。


彼は三味線独奏のための曲もいくつかものしており、
野澤徹也は、三木稔作品だけで、CDを作っているほどです。


さて、今回のこの曲、もともとはNHKテレビの
連続ドラマ「鳴門秘帖」(1977)のための音楽だそうです。


近世邦楽ふうでありながら、現代的な旋律を持った、
ゆるやかで、気品に満ちた曲でした。


この曲では、奏者が演奏中に、
何度も調弦(弦のチューニング)を変えながら
演奏していました。


ビョンビョンビョンと、弦を弾きながら、
少しずつ音高を変えるのです*9


三木稔の「日本楽器法」(音楽之友社、1996年)には、
こう書かれています。


「三味線の古典曲では、1曲中でも調弦を変えることがある。
(中略)もちろん、弦のピッチを変えるには、音程を確かめながら
左手で糸巻を締めたり緩めたりするので、その間数秒演奏を休んで
共演者に任せるか、音程が変わっていくさまを演奏に取り込むか
しなければならない。」*10


今夜は独奏リサイタルですから、
共演者に任せることはできません。
したがって、文中の後者の方法を採っているわけです。


ただ、ギターやヴァイオリンで、
途中でチューニングを変えることはあり得ませんから、
西洋音楽に慣れた耳だと、たいへん違和感があります。
まるで、小休止して、チューニングしているように聞こえます。


しかしこの部分が、音楽としてたいへん面白いのです。


三味線ならではの、ユニークな奏法といえるでしょう。
邦楽器を知り尽くした三木稔らしい作品です。


これなどは、伝統的な三味線の表現と奏法を、
逸脱しない程度にまで拡大して
作られた音楽といえるでしょう。


決定的に印象的な曲というわけではありませんでしたが、
現代に生きる三味線独奏曲の、
ひとつの方向性を示しているのではないでしょうか。

三枝成彰「La・La-La-La-・La」


さて、前半最後は三枝成彰の曲です。


三枝成彰は、20世紀の末ごろ、
11PM」(読売テレビ)などの番組で
テレビタレントとして活躍していたため、
顔だけは多くの人が知っているでしょう。


しかし、作品を知っている人は、
ほとんどいないのではないでしょうか。


わたしも同様です。


さて、この曲ですが、
およそ三味線らしからぬフレーズが
猛スピードで疾走する、たいへん勢いのある曲です。


野澤徹也の指が、弦の上をまるでマシンのように
目まぐるしく動き回ります。


まさにヴァイオリンにおけるパガニーニPaganiniのような、
超絶技巧曲です。


ただ惜しむらくは、単調であることと、
「音楽」がとぼしいことでした。


ただ速いだけで、あまり音楽としての
内実があるとは感じられなかったのです。


もちろん、日本的なメロディを書くことが、
三味線曲としての不可欠な要素ではないのでしょうが、
この曲は、それこそ工業生産品のように、
味気ないものに思われました。


演奏者のテクニックが完璧なだけに、
その努力が報われない思いがするのは悲しいことです。


その楽器が持つ伝統的な要素を思い切って捨てることで
表現領域が広がることもあるのですが、
この曲は、仏つくって魂入れずという印象でした。


多くの音で時間と空間を埋め尽くすのは、
たしかに独奏曲としてはひとつの手法ですが、
そこに「音楽」が欠けていてはいけないということです。

木山光「Tatahgata Vhailorcyana」


休憩を挟んで後半最初の曲は、
サンスクリット語を標題にした曲です。


聞けば、まだ21歳の作曲家ということです。
この日のライブが、この曲の世界初演なのだそうです。
どんなイキのいい音楽を聴かせてくれるか、
楽しみではありませんか。


インドの古代語を標題に持つ曲だけあって、
日本風というより、インド亜大陸西アジアの雰囲気です。
そういった地域の旋法を取り入れているのかもしれません。
無国籍のエスニックミュージックという印象です。


たいへん高度な技巧が凝らされた曲です。
若者らしい客気が感じられます。


ただ、残念なことに、ぼくにとっては
あまり印象的な音楽ではありませんでした。


三味線の音色は、あまりに日本的であるため、
外国風の旋律を弾くと、たいへん違和感があるのです。


もちろん、三味線ももとはといえば大陸起源ですから、
インドやほかのアジア地域の気分を表現するという
アイディア自体はいいと思います。
ただ、今回はいささかちぐはぐな印象だったのです。


もっとも、そういうのは単なる慣れの問題ですから、
音楽自体に力があれば、違和感は解消されることでしょう。


作曲者は、若くして多くの作曲賞に入賞している
期待の才能ということですから、
これから注目していきたいと思います。


作曲者は和楽器に造詣が深いようです。
ぜひ、今後も三味線独奏の、
新しい表現を探究していってほしいものです。

玉木宏樹「ジャワリ」


続いては、1943年生まれの作曲家、玉木宏樹の作品です。


古いテレビドラマのファンなら、
大江戸捜査網」(テレビ東京)や、
怪奇大作戦」(TBS/円谷プロ)の作曲家として
知っているかもしれません。


彼は、なんとこのはてなダイアリー
ブログを書いています→id:tamakihiroki


タイトルの「ジャワリ」というのは、
「さわり」のもじりのようです。


「さわり」というのは、三味線の音色の特色である、
ビョン、というビビリ(?)のことです。


西洋のギターは、ビビリを排除した澄んだ音ですが、
三味線は、第一弦を支えるネック側の駒の部分に、
わざと細工をして、ビョンビョン鳴るようにしているのです*11


この「さわり」は、
単なる雑音(音楽用語では噪音といいます)ではなくて、
倍音をたくさん含んだ豊かな響きです。


玉木宏樹は、その「さわり」を活かした曲を
作ろうとしたようです。


劇伴以外でどんな音楽を作る人なのか、
まるきり知らなかったのですが、
実は、この日の演奏のうちで
もっとも印象的だったのが、この曲でした。


日本的な旋律でありながら、現代的に洗練された曲想は、
三味線の音色にマッチして、たいへん心地よく響きました。


緩急のメリハリもはっきりしており*12
最後は「ヤー!」という奏者のかけ声で終わります。
技巧的な見どころも多く、たいへん痛快でした。


これこそ、三味線一本で満ち足りた音楽を作るための、
ひとつの理想型という気がしました。


従来の三味線のイメージを損なわず、
現代的な感性で作られた音楽というわけです。


この作曲家の、ほかの作品も
聴いてみたいと思わせる内容でした。

三木稔「奔手」(ほんじゅ)


最後は、ふたたび三木稔の作品です。
1974年に作られた、作曲者最初の三味線独奏曲です。


三木稔が独奏の二十絃筝(新筝)のために書いた
同時期の作品「天如」「佐保の曲」「竜田の曲」などと同じく、
現代的で、高度に洗練された音楽です。


大雨のあとの急流をイメージして作られた作られた曲とあって、
たいへん激しくダイナミックな音楽でした。
タイトル通り、奔流を感じさせます。


凛とした厳しさを湛え、
燃えるような熱情がほとばしります。


曲想は日本的な感覚を徐々に逸脱して、
ときに前衛的に響きます。


邦楽器の演奏を普遍的な芸術に高めるためには、
こういった曲が必要なのだという、
当時の作曲者の気迫が感じられます。


三木稔は、三味線で実現可能と思われるすべての
音色と技巧を奏者に要求しています。


そして野澤徹也は、それらすべての要求に応えていきます。
作品と演奏者の壮絶なるせめぎ合いがたいへんスリリングです。
手に汗握る、すばらしい時間でした。


もちろんこの曲も、三味線独奏の
ひとつの到達点を示しているように思われます。
伝統的な三味線の表現を逸脱してしまうところまで
つきつめた作品なのです。


ライブのファイナルを飾るのにふさわしい
名曲名演だったといえるでしょう。

三味線の可能性を求めて


結論から申し上げると、
きょうのリサイタルは、2時間のプログラムとして、
十分楽しめるものでした。


三味線ひとつで、
満ち足りた音楽を作ることができたのです。


つまらないピアノのリサイタルなどより、
はるかに充実した内容だったといえます。


それには曲の力はもちろんですが、
演奏者の力量によるところが大でした。


演奏者の実力が十分だと信じることができたからこそ、
ぼくは上述のように、
曲の内容について語ることができたのです。


野澤徹也は、この日の演奏の中で、
バチで弦をひっかいたり*13
左手の技法でさまざまな音色を作ったりしていました*14
上に書いた、曲中でのチューニングの変更などと合わせ、
こんなにさまざまな技法があるのか、と驚くほどでした。


三味線演奏の可能性は、
探究しつくされたようにさえ感じられます。


しかし、会場にいた三木稔はこう述べていました。
今後はバチを使わない爪弾きによる
やわらかい音色の可能性も探られるべきではないか、と。


三味線の表現領域を広げるために、
まだまだ試すべきことがあるということのようです。


たしかに、きょうはベンベンと激しい曲ばかりで、
いささかやかましく、単調に思われたのも事実です*15


やわらかい音色による静かな曲が作られれば、
きょうのようなリサイタルは、一層豊かな内容に
なるはずです。

三味線界の革命児に!


すばらしい演奏者の登場は、しばしば、
楽器の使われ方を決定的に変えてしまいます。


ヴァイオリンの
ハイフェッツJascha HeifetzやメニューインYehudi Menuhin、
チェロのカザルスPau Casals、
ギターのセゴビアAndres Segovia
バンドネオンピアソラAstor Piazzolla、
筝の野坂恵子など、例は枚挙にいとまがありません。


野澤徹也は、三味線界の革命児になりうるかもしれません。


三木稔は、野澤徹也を高く評価しているようです。
彼や、そのほかの作曲家との共同作業で、
これからどんな曲が生まれてくるのか、
たいへん楽しみではありませんか。

和楽器をポピュラーにするために


日本の伝統楽器による音楽は、
ブームだとは言われつつも、まだまだ、
広く一般の人に聴かれているとは思えません。


そして、西洋楽器や西洋音楽との安易な融合など、
数多くのニセモノが生まれているのも事実です。


和楽器による音楽が、
限られた趣味人のためのものという、
小さなカテゴリーから飛躍するためには、
野澤徹也のような卓越した奏者の存在が、
大きな原動力となることでしょう。


ぜひみなさんもいちど、
彼のパワフルで正確無比な三味線を聴いてみてください。


ちなみに、彼の公式サイトはこちらです。
http://www016.upp.so-net.ne.jp/nozawa-kun/


最初は、イケメンに惹かれてで、いっこうに構いません。
ひとたび彼の演奏を聴けば、
音楽それ自体の魅力に引き込まれることでしょう。


そういう人が増えることを、祈ってやみません。


ただもちろん、もてるのは一方的に彼のほうで、
こういう音楽を聴いているぼくたちは、
女の子にはぜったいにもてませんね(とほほ)。

*1:写真、サイトから勝手にお借りしてます。スミマセン!!

*2:この表現はもうすぐ廃れそうですね。

*3:津軽三味線で使われるのは、ネックの太い「太棹」と呼ばれる三味線です。

*4:筝、三味線、尺八(あるいは胡弓)による合奏を「三曲合奏」と呼びます。

*5:歴史上、独奏楽器として発展してきた尺八などは別です。

*6:俳優の勝新太郎は、長唄の世界では杵屋勝丸の名を持っていました。

*7:平たくいうと江戸時代の音楽のことです。

*8:これは長唄の名曲と言われる「連獅子」の歌詞。

*9:古典曲だと、長二度、上げたり下げたりするようです。

*10:「日本楽器法」108ページより。

*11:このように音色の方向性がまったく異なっているのは、日本人とヨーロッパ人の感性の違いとしか言いようがありません。

*12:構成は2楽章でした。

*13:三味線界ではスリと呼ぶようです。

*14:ハジキ、カケハジキ、ウラハジキなどと呼ばれます。左手によるピチカートや、ハンマリングオン、プリングオフなどですね。

*15:ライブ会場がコンクリートの壁だったので、打撃音がじかに反響して、耳に痛く感じられたようです。木と紙の日本家屋であれば、もう少しやわらかく響くはずです。