「邦楽ブーム」のいまこそ長沢勝俊を聴こう!

putchees2005-03-18


今回のCD

「大津絵幻想OTSU-E FANTASY」
日本音楽集団Pro Musica Nipponia
(日本/ナミ・レコード2000/ASIN:B00005HR7H

曲目

1.大津絵幻想(長沢勝俊/1981)
2.文様1・2(三木稔/1974)
3.春の一日(長沢勝俊/1997)
4.新千鳥の曲(秋岸寛久編/尾崎太一手付/1994)

邦楽ブームってナンナノヨ?


世間じゃ邦楽ブームなんだそうです。


邦楽といっても、コンビニでかかってる歌謡曲のことじゃないです。
三味線や琴を使う、伝統邦楽のことです。
特に津軽三味線には、若いイキのいい奏者が続々登場してるらしいですね。


日本人が日本人らしい音楽を聴いたり演奏したりするのは、
本来あるべき姿で、とても喜ばしいことです。


しかし、近所の商店街を昼過ぎに通りかかると、BGMとして、
東儀秀樹とかいう人の、いかにもインチキな邦楽ふうポップス(?)が流れていて、
心底情けなくなります。


あれは、イージーリスニングの伴奏に、
篳篥(ひちりき)でテーマを取らせただけのシロモノではないでしょうか。


最初聴いたとき、なにかの冗談かと思いました。


素朴なギモンですが、あんな西洋音階を吹くなら、
オーボエクラリネットでも使ったほうがいいんじゃないでしょうか。


わざわざ、音程が不安定で、音域も狭い、
篳篥を使う理由がわかりません。


篳篥には、もっと別の活躍の場があるはずです。
あれじゃ楽器がかわいそうです。


邦楽器は、日本らしい音階やメロディを奏でるときに、
もっとも輝くのです。当たり前ではありませんか。


楽器には、それぞれの伝統があり、
それぞれの領分というのがあるのです。


あんなものを聴いて、邦楽ブームだなどと、
浮かれていてはいけません。


もっとすぐれた曲を聴こうではありませんか。


というわけできょうは、日本の楽器を使って、
日本らしい曲を書く名匠をご紹介します。

長沢勝俊という作曲家


長沢勝俊と聞いてぴんと来る人はほとんどいないでしょう。
作曲家です。1923年、東京生まれです。


少年期に作曲を志し、第二次大戦に従軍した後、オランダ軍の捕虜体験を経て帰国*1
本格的に作曲を学びつつ、邦楽器のための作品を作り始めました。


1964年、作曲家の三木稔や打楽器奏者・指揮者の田村拓男、
そして筝奏者の野坂恵子らと、邦楽器によるアンサンブル、
日本音楽集団を結成しました。


そして、長沢勝俊は、この日本音楽集団のために、
数多くのレパートリーを提供してきました。


現在は、同集団の名誉代表となっています。

邦楽器の合奏は、まだ発展途上なのだ


日本音楽集団は、筝、尺八、篠笛、龍笛
三味線、胡弓、琵琶、太鼓、鼓といった、
日本の伝統楽器を糾合して合奏し、
新しい日本の音楽を作ろうという目的を持って設立されました。


ことわっておきますが、
邦楽器によるアンサンブルというのは、
実はたいへん歴史が浅いのです。
雅楽という例外を除けば、
本格的に始められたのは、日本音楽集団ができてからのことです。


つまり、レパートリーが決定的に足りないのです。
従って、作曲家が、日本音楽集団が演奏するべき曲を
書かなければならなかったのです。


といっても、体系的な管弦楽法*2が確立された西洋オーケストラと違って、
できたばかりの邦楽器アンサンブルには、なんのノウハウもありません。


楽器同士の音色の組み合わせや、音量のバランスなど、
邦楽器の合奏曲を作るために、超えなければならないハードルは
数え切れないほどでした。


日本音楽集団の団員たちは、音楽に対する真摯な熱意で、
手探りでその作業を進めていったのです。
その努力は、おそらくぼくたち第三者の想像を超えた労苦だったことでしょう。


イオニアの業績というのは、常に尊いものです。

だれにでもわかる、美しい曲を!


三木稔と長沢勝俊は、そういった難しい問題を克服しながら、
団員として、数多くの作品を作ってきました。


ふたりの作風は対照的です。
三木稔が、「芸術」に近い高踏的な作品を提供したとすれば、
長沢勝俊は、だれにでもわかる、親しみやすい曲を提供してきました。


ところが、そういった種類の曲は、シリアスな音楽ファンには好まれません。
彼らは、重苦しくて、もったいぶった「芸術臭い」曲を好むからです。


しかし、長沢勝俊の書くメロディやリズムは、喜びに満ち溢れた、
すばらしいものです。


しちめんどくさいことを言いたがる自称「通」のための音楽ではなくて、
一般の人に向けられた音楽なのです。


彼の音楽を評して、
ある人は「日本のリロイ・アンダーソンLeroy Anderson*3」だといい、
ある人は、「常民の歌」を作る人だといいます。


ぼくは、「常民」という民俗学の用語じゃなくて、
「里」という、もうすこしわかりやすい言葉を使いたいと思います。


「里の音楽」


長沢勝俊の音楽は、まさにそれです。


宮廷の音楽でも、都会のスノッブの音楽でもない、
素朴な日本のふるさとの音楽なのです。

ノスタルジーを喚起するメロディ


このCDに収められた、「春の一日」を聴いてください。
なんとなつかしい気分になる音楽でしょうか。


春の陽射しの中、土手やあぜ道を歩いた記憶が、
あるいは満開の桜の下を歩いた記憶が、
そんな遠い、子供のころの記憶がよみがえるような気持ちにさせてくれます。


胸を締め付けるノスタルジーです。
こんな気分にさせてくれる音楽は、そうそうあるものではありません。


安手の癒し系の音楽などではないのです。
そのようなものより、はるかに深いところまで、
ぼくたちを連れて行ってくれる音楽なのです。


ひとことでいえば、美しい。
同じ日本人として、共通の感性で聴くことができるのが幸福に感じられる音楽です。

「わかりやすい」のは悪くない


口さがない人は、「通俗的」だとか「安易」だとか、
ちょんけちょんにけなすでしょう。
しかし、なにがいけないというのでしょうか。


邦楽器アンサンブルには、まだまだ絶対的に曲が足りません。
そのための曲が、現代音楽のような、難解なものばかりでいいのでしょうか?
あるいは取り澄ました、ゲージュツ的なものばかりでよいのでしょうか?


誰が聴いてもわかるような、平易なメロディの曲を書くことが、
新しい邦楽器アンサンブルというジャンルの普及に、
なにより役立つのではないでしょうか。


名曲を、邦楽器アンサンブルが求めているのです。
長沢勝俊の作品は、それにふさわしいものばかりです。


音楽を奏でることの喜びを、日本人の素直な感性で
屈託なくあらわした音楽なのです。

傑作「大津絵幻想」


このCDの冒頭に収められた表題作「大津絵幻想」を聴いてみてください。
ときに優しく、ときに雄々しく、邦楽器による美しいメロディがどこまでも続きます。


ぼくは、2003年の日本音楽集団の定期演奏会でこの「大津絵幻想」を聴いて、
涙がこぼれそうになりました。


どうしてこんなにすばらしい曲が、
ごくわずかの人にしか聴かれていないのでしょう。


老若男女問わず、すべての日本人にいちどは聴いてもらいたい名曲なのです。

日本音楽集団について


なお、近年の長沢勝俊は、
市川猿之助スーパー歌舞伎ヤマトタケル」(1986)ほかの音楽を担当しています*4


ちなみに、日本音楽集団のサイトはこちら↓
http://www.promusica.or.jp/index_j.html


興味のある方はぜひ訪れてみてください。
年に4回の定期演奏会(東京)は、毎回特色あふれるプログラムで、
新しい日本の音楽をさがそうという人には、きっと楽しんでもらえるはずです。


来る5月19日の定期演奏会勝鬨トリトンスクエアの第一生命ホール)では、
伊福部昭の「交響譚詩」(1943)の邦楽合奏版(秋岸寛久編曲)が初演される予定です。
さらに伊福部の邦楽合奏のための唯一の作品にして大傑作、
郢曲 鬢多々良(えいきょく・びんたたら)」(1973)も演奏される予定です。

日本人の感性は西洋化されたのか?


邦楽ブームだなどと言われつつも、
その内実については、はなはだ心もとない気持です。


若い邦楽器の奏者たちが、
自分たちのサウンド西洋音楽の中に溶け込ませることを
目標にしてはいないだろうかという不安からです。


ぼくは、彼らが、日本人の感性で、
日本らしい音楽を作ることに喜びを見いだすことを、願ってやみません。


時代遅れの愛国主義などと思わないでください。
ぼくは、すぐれた音楽を聴きたいだけなのです。


すぐれた音楽は、自分の感性を生かすときにこそ
生まれると考えるからです。


いくら西洋音楽に親しんでいようと、
感性は、100年やそこらでは変わるものではありません。
ぼくたちの音楽に関する感性の根っこにあるのは、
日本の伝統的な音階であり、リズムです。


泉健による1995年の調査によれば、
和歌山県に伝わるわらべ歌の実に85%が、
江戸時代以前の音階にもとづくものであったそうです*5


西洋音階にもとづく歌は、ごくごくわずか。


この調査結果ひとつをとってみても、
日本人の感性の西洋化がすすんでいるなどというのが、
まったく根拠のないものであることがわかります。
ましてや、身体に直結したリズムに関しては、日本古来の意識が、
音階よりはるかに根強く残っているはずです。


そういったことを知らないふりをして、
「ぼくたちにとっては西洋音楽のほうが自然なんだ」
などといって、まるで西洋人になったように音楽を奏でるのは、
まったく誠実ではありません。


音楽を聴く、あるいは奏でるというのは、
「お前は何者なのだ」という質問を、
否応なく問いかけられるということなのです。


そんなときに、このCDなどを聴いて、
自分の感性の根っこを振り返るのは、
きっと有意義なことでしょう。

とにかく一度聴いてみて!


ぼくは、このCDのレビューを書くことに、
長沢勝俊のファンとして、ある種の責務を感じてきました。
それをようやく果たした心持ちです。


みなさんもぜひ日本音楽集団と長沢勝俊の曲を、いちど聴いてみてください。
忘れかけていたものが思い出せるはずです。


しかし、こんなCDを聴いていても、決して女の子にもてるわけではありません。

*1:彼は大戦中、南方の戦場に、ベートーヴェンの第三交響曲エロイカ」の総譜を持っていったそうです。

*2:オーケストレーション、つまり、「管弦楽における個々の楽器の用法や組合せの方法」(広辞苑第五版)のこと。

*3:「タイプライターTypewriter」や、「シンコペイテッド・クロックThe Syncopated Clock」などを作曲したアメリカの作曲家(1908〜1975)。日本人ならだれでも、この2つの曲はぜったいに聴いたことがあるはずです。

*4:ただし、2005年4月の新橋演舞場での再演版の音楽はサディスティック・ミカ・バンド加藤和彦が担当。

*5:西洋音楽の歴史」(東京書籍1996)