黛敏郎が作った、日本最高のチェロ曲を聴け!

putchees2005-03-10


今回のCD

「和」チェロ〜近代日本・チェロ名曲選
(日本・ミッテンヴァルトMITTENWALD/MTWD99010)

ミュージシャン

山下泰資(チェロcello)

曲目

黛敏郎文楽
三枝成彰:チェロ'88
間宮芳生無伴奏チェロ・ソナタ
木幡由美子:モノローグI 独奏チェロのための

チェロ一本でこんなに気持いい!


チェロの音って、いいものです。
低音域の弦の響きが、五臓六腑にしみわたります。


テレビCMでヨーヨー・マ馬友友の弾くチェロを見て、
ときめいてしまった女性も多いかと思います。


数は少ないのですが、いっさいの伴奏なしの、
チェロ独奏の曲というのもあります。


その最高傑作は、まちがいなくバッハJ.S.Bachによる
無伴奏チェロ組曲(BWV1007〜1012)でしょう。


人類が地球上に生存したことを示す唯一の証しとして残してもよいほどの名曲です。


19世紀はあまり作られませんでしたが、
20世紀になると、チェロ独奏曲が増えてきます。


そのうちの大傑作が、コダーイKodaly Zoltan*1による独奏チェロソナタ(1915)です。


あるいはカサドGaspar Cassadoの無伴奏チェロ組曲(1926)も有名です*2


このふたつの作品の共通点は、民族色が強いということです。
コダーイハンガリーの、カサドはカタルーニャ*3の熱い血を感じさせます。

日本のチェロ独奏曲ナンバーワン!


さて、日本に目を向けてみましょう。


このちっぽけな島国にも、そんな名曲があります。
マニア以外にはほとんど知られていないので、ご紹介します。


黛敏郎(まゆずみ・としろう1929〜1997)の「BUNRAKU」(1960)です。


ブンラクというのは、もちろん人形芝居の文楽人形浄瑠璃)のことです。
人形を操る人間が丸見えなのに、まったく違和感を感じさせない、
不思議な魅力を持った日本の伝統芸能です。


黛敏郎は、チェロをまるで三味線や義太夫節のように響かせて、
このモチーフを見事に昇華させてみせます。


三味線のところは、ピチカート(指弾き)で表現して、
義太夫のところは、アルコ(弓弾き/ボウイング)でギコギコ響かせます。


日本音階を使った、純日本風のチェロ独奏曲。
切れば血の出そうな、生命力に満ちた音楽です。


こんなにピチカートを多用するチェロ曲というのも、珍しいのではないでしょうか。


しかも、弦がフィンガーボード(指板)にバシバシとぶつかる力強さです。


これは三味線のさわり(簡単にいえばビビリのこと)を再現したものでしょう。
モダンジャズのベース(コントラバス)ソロを思わせます。


もちろん弓弾きのほうも迫力満点です。
ときにおごそかに、ときに荒々しく迫ります。


ピチカートとアルコが目まぐるしく交替します。
おそらく、相当高い技術が要求される曲なのではないでしょうか。


張りつめた緊張感が、たいへん心地よいです。


ただ、この曲の魅力は、シリアス一辺倒じゃなくて、ユーモアを感じさせるところです。


中盤、高音のピチカートが、緊張感の中にも、
ちょっととぼけた味を出しています。


このへんが黛敏郎のセンスのいいところです。
野暮と無縁な、都会的洗練を感じさせます*4


ビンビンビビン、ギーギーギギギとやるうちに、
曲は次第に熱を帯び、ドラマチックに展開していきます。


最後は、弓弾きでギコギコ、怒濤のクライマックスになだれ込みます。


全体で8分半ほどの曲ですが、
最初から最後まで鳥肌立ちっぱなしの、大傑作。


ぼくは黛敏郎の(これまでに聴いたことのある)作品の中で、
この「BUNRAKU」がいちばん好きです。

黛敏郎という人物


黛敏郎の名前を知っている人は多いでしょう。
いまは羽田健太郎がやっていますが、
長年「題名のない音楽会」(テレビ朝日系)の司会を務めていました*5


政治的には復古主義で、改憲派の論客として知られました。
右翼のコワい人、という誤ったイメージを持っている人も多いかと思います。
しかし、数多くのすぐれた作品を残した作曲家だったのです。


黛敏郎は、1929年生まれで、
敗戦の年に上野の東京音楽学校(いまの東京芸術大学)に入学し、
橋本國彦、伊福部昭ほかに師事しました。


学生のころはジャズ*6に凝り、アヤシイ異国ふうの曲を作っていました。
卒業後、フランスの国費留学生としてパリに留学(1951〜52)、
コンセルヴァトワールConservatoire national superieur de musique*7に通います。


ところが、古くさい作曲法を教える授業に嫌気がさし、
「西洋に学ぶものなし」として、1年で帰国してしまいます。


帰国後は、新進気鋭の作曲家として、
前衛的手法の作品で話題を呼びます。


ところが29歳のとき、お寺の鐘の音をモチーフにした、
東洋的な「涅槃交響曲Nirvana Symphony」(1958)を発表します。


ある日「鐘の音に心臓をキュッと締めつけられるように感動」*8してしまったのだそうです。


いきなり日本の伝統的な美観に目覚めてしまったのです。
以後の黛敏郎は、日本的、東洋的な美観に土台を据えた傑作をつぎつぎと生み出します。


ドイツ語で書かれた三島由紀夫原作のオペラ「金閣寺」(1976)などは、
ご存じの人も多いかも知れません。

ヨーロッパの伝統なんて学んでもしょうがない!?


なぜ作品の路線が急転換したのでしょう。


彼は、パリでの生活に絶望したことについて、このように記しています。


「(フランスの)伝統とは、何も仰々しい面構えをして神棚に
祀られていたわけではなく、下水道に吹き寄せられるマロニエ
の落ち葉ほどに、どこにでもウンザリするほどころがっていた
のである。」(「伝統とアカデミズム」(1957))


あまりに豊饒で、日本人の美観と異質なヨーロッパ文化に直に触れた黛敏郎は、
同時に、その伝統というのが、フランス人の日々の生活の中にこそ
存在しているのだということに気が付きます。
もしそうだとすれば、そんなものは学校などで学べるはずもないのです。


以後は推測ですが、
こうしてヨーロッパの伝統を学ぶことに絶望した黛は、
その伝統と切り離された無国籍の前衛音楽を作曲することで、
自分の道を切りひらこうとしたのですが、根無し草の前衛に限界を感じたとき、
日本の伝統に立ち返ることに気が付いたのではないでしょうか。


西洋の楽器を使って、日本の伝統的な美観で作曲することに、無限の可能性を感じたのでしょう。


そのようにして「BUNRAKU」は生まれました。
1960年、黛敏郎31歳の時です。


日本が世界に誇っていい、チェロ独奏曲の傑作です。
ぜひみなさんも、いちど聴いてみてください。


このCDをぼくに貸してくれたのは、畏友くぽ氏でした。
日本人作曲家によるチェロ独奏曲集です。
三枝成彰間宮芳生といった作曲家の作品も入っているのですが、
1曲目があまりにすばらしいので、かすんでしまいます。


「BUNRAKU」だけを聴くなら、
堤剛や岩崎洸といったチェリストも録音していますから、
併録曲で選ぶのもいいかと思います。


いちど、実演を聴いてみたいものです*9


しかし、こんな曲を聴いていても、女の子にはぜったいにもてません。

新譜、黛敏郎作品集、もうすぐ発売!!


以前も書きましたが、
ナクソスNAXOSレーベルの「日本作曲家選輯」の新譜は、
黛敏郎作品集です。発売まで秒読みです。
みなさん買いましょう。なにしろ1,000円以下ですから!
詳細はこちらのURLに。
http://www.naxos.co.jp/8.557693J.html

*1:ハンガリー民族音楽を研究した作曲家。コダーイが姓でゾルタンが名前。マジャール人の名前はアジア風に、姓-名の順。

*2:ほかにはブリテンBenjamin Brittenの無伴奏チェロ組曲とか。

*3:バルセロナを首都とするイベリア半島の一地方。現在のスペイン王国の一部。カタルーニャ人のチェリストは、パブロ・カザルスが有名。

*4:ちなみに黛敏郎は横浜生まれ。

*5:ちなみに現在この番組のアレンジを多く手がけている和田薫も、伊福部昭の弟子。

*6:モダンジャズではないです。

*7:風と木の詩」のセルジュが憧れていた、フランス随一の音楽学校。

*8:「涅槃交響曲」初演時の文章より

*9:2002年11月にチェリストジャン・ギアン・ケラスJean-Guihen QueyrasがすみだトリフォニーホールでBUNRAKUを演奏しています。行けばよかった…。