もてないクラシックの代表格、バルトークの名曲に酔う!

putchees2005-05-30


今回もコンサート報告です

東京交響楽団 第525回 定期演奏会
マジャール音楽の原点」

日時

5月28日(土)18:10〜20:20
東京赤坂・サントリーホールSUNTORY HALL

ミュージシャン

管弦楽:東京交響楽団The Tokyo Symphony
指揮:秋山和慶Akiyama Kazuyoshi
ヴァイオリン&ヴィオラシュロモ・ミンツShlomo Mintz

曲目

バルトーク/ヴァイオリン協奏曲 第2番Violin Concerto NO.2
バルトーク/ヴィオラ協奏曲Viola Concerto
バルトーク/管弦楽のための協奏曲Concerto for Orchestra

女性に不人気の作曲家


ハンガリーに生まれ、合衆国で死んだ作曲家、
バルトークBartok Bela(1881〜1945)は、
ごつごつとした作風で、女性には人気がありません。


「クラシックが好きなんです」という女性に
バルトークの「中国の不思議な役人*1」の話をしても、
まずまったく、盛り上がることはありません。


彼の音楽はハンガリーの民族的な美観をベースにしており、
決して前衛ではないのですが、
男性的で、理性的で、硬質な響きなので、
敬遠されがちなのです。


ぼくはこれまでにただいちどだけ、
バルトークが好きだという女性に会ったことがあるのですが、
よく話を聞くと、彼女はバルトークのピアノ独奏曲が
好きだということでした。


たしかに、バルトークピアノ曲には、
やさしくてこまやかな佳品が数多くあります。
その女性は音楽大学のピアノ科を卒業した人でしたから、
自分で弾いて楽しんでいたのでしょう。


しかし、その女性も、ピアノ独奏曲「ピアノソナタSz.80」や、
アレグロ・バルバロAllegro Barbaro Sz.49」を聴けば、
裸足で逃げ出すに違いありません。


フリージャズの巨匠、セシル・テイラーCecil Taylorもびっくりの、
ギャンギャンと鍵盤を叩きまくる、壮絶なピアノ曲なのです*2


ことほどさように、バルトークといえば、
ハードボイルド(?)で苦み走った、
女にもてないクラシックの代表格だと思われています。


しかし裏を返せば、彼の曲は、
たいへんエネルギッシュで情熱的、野心的。
つまりは内実のあるすばらしい音楽だということです。


ジャズやロックなどが好きな人が聴けば、
そのカッコよさに、とりこになってしまうかもしれません。


今回は、そんなバルトークのオーケストラ曲だけの
コンサートに出かけてきました。

ガンバレ東京交響楽団


曲目は、バルトークの最晩年の作品3つです。
オーケストラと独奏弦楽器のための協奏曲がふたつと、
オーケストラ単独の曲がひとつです。


場所は赤坂・サントリーホール
客席は、6〜7割の入りという感じでした。


休日(土曜日)の夕方に、バルトークを聴きに行こうという人が、
東京だけでこれだけいるのかと思うと、ちょっと驚きです。


こんな地味なプログラムを組んだ
東京交響楽団の心意気に声援を送りたくなります。


今回の公演の目玉は、ヴァイオリン独奏のシュロモ・ミンツでしょう*3
ぼくはクラシックの演奏家のことにはまったくうといのですが、
演奏を聴いて、たちまち超一流のミュージシャンであることが
わかりましたから。

協奏曲は初心者にもオススメ


さて、1曲目はヴァイオリン協奏曲2番(1938)です。
ゆったりとして情感に満ちたテーマが、
次第に解体されながら、熱をはらんで昂揚していきます。


ムードが目まぐるしく変わって、一定の情緒に流されることのない、
バルトークらしいたいへん理性的な曲です。


この曲は、とにかくヴァイオリンの独奏がすべてです。
とても人間には弾けそうにない複雑を極めたメロディを、
超絶技巧を駆使して弾きまくるのです。


さてぼくは、協奏曲というジャンルは、クラシックに慣れない人にも
聴きやすいのではないかと思っています。


その理由のひとつは、独奏楽器VSオーケストラという図式が
はっきりしているため、聴き所がつかみやすいからです。


つまりは主役とわき役という役割が、一目瞭然だからです。


もうひとつの理由は、協奏曲のソロ楽器は、
名人芸を披露することが前提になっているので、
いいか悪いか、素人にもわかりやすいからです。


ソリストがむつかしいフレーズをバシッと決めれば、
素人の聴衆だって、拍手を送りたくなるというものです。


そのふたつの要素を、
きょうのこのヴァイオリン協奏曲の演奏にあてはめてみましょう。


まず、ソロ楽器VSオーケストラということについてですが、
完全にヴァイオリンの圧勝でした。
ぼくの耳には、オーケストラの音は、まるで聞こえないか、
いっそ邪魔であるとさえ思われました。


もうひとつ、名人芸ということについてですが、
シュロモ・ミンツのヴァイオリンは、完璧で、
ほとんど人間わざを超えていると思われました。


それほど、シュロモ・ミンツのヴァイオリンは圧倒的でした。
ことに、第1楽章のカデンツ*4では、
微分音まで駆使した技巧的なフレーズを、ものの見事に弾き去りました。


この迫力は、おそらくCDでは伝わらないでしょう。
シュロモ・ミンツは、足で舞台をドンドン踏み鳴らしながら、
目にも留まらぬスピードで指と弓を回していました。
見ているこっちが、手に汗を握ります。
あるいは、口をぽかんと開けて茫然とするばかりです。


そんなものを目にしたら、人は、好き嫌いに関わりなく、
拍手を送るしかないのです。


クラシックという音楽は、完璧な技術を身につけて初めて
ようやく演奏者に表現の余地が生まれる、
たいへん厳しいジャンルであることがわかります。


40分近くの巨大な曲が終わって、堂内は盛大な拍手に包まれます。
いつまでも鳴りやまない拍手に応えて、ソリストが、
アンコール曲を演奏します。パガニーニNiccolo Paganiniの曲です。
さらに度を超した超絶技巧曲で、またも大喝采です。


とにかくすばらしいです。
こういう曲は、実演を見るべきだと痛感します。

未完の傑作・ヴィオラ協奏曲


休憩をはさんで、「ヴィオラ協奏曲」(1945)です。
シュロモ・ミンツが、ヴィオラに持ち替えての演奏です*5


さて、ヴィオラというのは、オーケストラの中でも地味な楽器です。
ソロを取ることはごくまれなので、
ヴィオラの音色が即座に思い浮かぶ人は少ないでしょう。


ちなみに日本の皇太子、徳仁親王殿下がこの楽器を
演奏するのはご存じでしょうか?


この地味な楽器を表舞台に引き出したのが、
ヒンデミットPaul HindemithやウォルトンWilliam Walton
といった、20世紀の作曲家たちです。
ふたりはヴィオラとオーケストラのために協奏曲を書きました。


ヴァイオリンやチェロといった楽器の可能性は
開拓されつくしてしまったので、ヴィオラが、
20世紀音楽の新たなフロンティアだったというわけです。


バルトークも、ヴィオラ協奏曲に挑戦しましたが、
なんと、作曲の途上で亡くなってしまいます。
1945年9月26日のことです。
大日本帝国の無条件降伏で第二次世界大戦終結して約40日後、
2歳違いの作曲家、ウェーベルンAnton Webernが、
ザルツブルク郊外で米軍兵士に誤って射殺されてから11日後のことでした。


残された楽譜を、関係者がどうにかこうにか
演奏できる形にして1949年に初演されたのですが*6
当然ながら他人の筆が入ったもので、
それに満足しない別の関係者が、近年(1993年)になって、
新しく補作しなおした版が出たそうです。


きょうの演奏は、その新しいエディションにもとづくものでした。


ぼくは、古い版も含め、この曲を聴くのは初めてだったのですが、
ヴァイオリン協奏曲のような派手さのない、
渋く、落ち着いた曲であると感じられました。


ヴィオラの美点を活かした、佳品といえるのではないでしょうか。
CDで、改めて聴き直してみたいと思いました。

最後はオケが大爆発!


さて、コンサートの最後は「管弦楽のための協奏曲」(1943)です。
「鬢多々良」の稿で書いた通り*7
オーケストラの各楽器がそれぞれ見せ場(ソロ)を与えられて活躍する、
たいへん派手で楽しい曲です。


バルトークには珍しい、大向こうに受けるオーケストラ曲と言えましょう。


この曲では、それまでの2曲でソリストのわき役に甘んじてきた
オーケストラが、うっぷんを晴らすように大活躍でした。


全5楽章で、40分以上にわたる大曲ですが、
主役が次々に交替して徐々に盛り上がり、
聴衆を飽きさせません。


最終楽章の盛り上がりは、まったくもって感動的でした。
金管パートの輝かしい響きがクライマックスの到来を告げ、
弦や木管パートの響きと混じり合い、打楽器も加わって、
オケ全体がガンガン盛り上がっていきます。
最後は、これでどうだとばかりの大音量で、
文句なしのエンディングに達します。


もちろん大喝采とブラヴォーの嵐です*8


秋山和慶の指揮は、これまでに何度も見ていますが、
きょうほど生き生きとして見えたことはありません。


東京交響楽団も、これほど晴れがましく見えたことは
そう多くありません。


こういう派手な曲が最後にあって美しくキマると、
コンサート全体の印象がぐんとよくなります。


ソリスト中心の曲で始まり、最後はオケにスポットライトが当たる。
最初から最後まで、たいへんニクイ趣向が凝らされた
いいコンサートであったと感じました。


ホールをぞろぞろと出ていくお客さんは、
みんな満足そうな笑顔でした。

隠れた名曲を探しに行こう


モーツァルトとかベートーヴェンとか
チャイコフスキーといった、誰でも知ってる名曲がなくても、
これだけいいコンサートができるのです。


むしろ、知っている人が少ない曲だからこそ、
新たな名曲に出会う喜びがあるのです。


そして東京のオーケストラは、N響だけじゃないのです。
ぜひみなさんも、東響*9都響、日本フィルなどを聴きに行ってみてください。


そしてもしよかったら、バルトーク
プロコフィエフウォルトンといった、
男性的でかっちょよいオーケストラ曲を聴いてみてください。


おそらくは、クラシックが好きじゃないという人ほど、
そういった20世紀の作曲家の作品を楽しめるはずですから。


ただ肝心なことですが、
そういった曲のコンサートは、デートにはまったく使えませんし*10
こんな曲を聴いていても、女の子にはぜったいにもてませんけど。

*1:Miraculous Mandarin(1919)

*2:そういえばセシル・テイラーのピアノ奏法はバルトークの影響を受けているようです。

*3:名前を聞いただけでそれとわかる、イスラエル人ヴァイオリニストです

*4:ソロパートのこと。

*5:逆にヴィオラ奏者が、ヴァイオリンに持ち替えることはあまりなさそうです。

*6:同じようにして作曲家の死後補作された傑作に、モーツァルトW.A.Mozartの「レクイエムRequiem」があります。

*7:id:putchees:20050513

*8:演奏終了直後に鳴り出したので、いささかフライング気味でしたが。

*9:東京交響楽団のサイトはこちら→ http://www.tokyosymphony.com/

*10:現に、ぼくも当然ながらひとりで出かけました。そして両側の座席は、クラシック一徹という感じの、堅い雰囲気の男性客でした。とほほ。