ケニー・ドーハムの枯れたトランペットを聴け!(前編)

putchees2005-07-28


今回のCD


トランペット・トッカータTROMPETA TOCCATA
ケニー・ドーハムKenny Dorham


(BLUE NOTE 1964 BLP 4181)

ミュージシャン


ケニー・ドーハムKenny Dorham(トランペットtrumpet)
ジョー・ヘンダーソンJoe Henderson(テナーサックスtenor Sax)
トミー・フラナガンTommy Flanagan(ピアノpiano)
リチャード・デイヴィスRichard Davis(ベースbass)
アル・ヒースAl Heath(ドラムスdrums)

ジャズトランペットって聴いたことありますか?


モダンジャズのトランペッターというと、
誰のことを思い出しますか?


まずはジャズの「帝王」
マイルス・デイヴィスMiles Davisでしょう。
彼の音楽を知る人は決して多くありませんが、
名前だけはつとに有名です。


しかし、そのほかには?
と問われると、答えに窮する人が多いのではないでしょうか。


ジャズのことを多少でも知っている人なら、
ディジー・ガレスピーDizzy Gillespie
クリフォード・ブラウンClifford Brown
あるいはリー・モーガンLee Morganや、
フレディ・ハバードFreddie Hubbard
チェット・ベイカーChet Baker
ウィントン・マルサリスWynton Marsalisの名前が
挙がるかも知れません。


日本人なら、近藤等則(こんどう・としのり)、
日野皓正(ひの・てるまさ)の名前が挙がるかも知れません。


しかし、せいぜいその程度でしょう。
トランペットは、ジャズのセッションには欠かせない楽器ですが、
有名なジャズトランペッターというのは、
意外なことに、さして多くありません。

トランペットはマイナージャンル?


トランペットはジャズの花形では?
そう思っている方が多いかも知れませんね。


しかし、CDショップのジャズコーナーに行ってみてください。
ディスクユニオンのように、楽器別の配列になっているところだと、
ピアノやサックスに比して、トランペットのコーナーは、
2分の1から3分の1の規模です。


いったいなぜなのでしょう?


もっとも大きな要因と考えられるのは、
トランペットのプレイヤーが少ないということです。


試しに、自分の周囲で管楽器をやっている人を
思い出してみてください。


サックスなどに比して、トランペットなどの
金管楽器のプレイヤーは、明らかに少ないはずです。


ではなぜ、トランペットをやろうという人が少ないのでしょう?


まずは楽器としてのフェロモンの差でしょうか。
単純な構造で硬派な印象のトランペットより、
複雑な構造で軟派な印象のサックスのほうが、
やってみたいという気になるものです。


簡単に言うと、トランペットより
サックスやピアノのほうが、華やかで
すぐにもてそうですよね。


そしてもっと決定的なことに、
トランペットは楽器自体の演奏がたいへん難しく、
努力の割に報われることが少ないのです。

トランペットはムツカシいのだ


トランペットやトロンボーン
フレンチホルンといった金管楽器の演奏がいかに困難かは、
実際に試してみればすぐにおわかりになるでしょう。


もちろん、サックスやピアノも、
極めようと思えば、その道のりが険しいのは、
言うまでもありません。


しかし、金管楽器の入門者が初期にぶつかる困難は、
その入門者をくじけさせるのにじゅうぶんなのです。


さらに、うまくなった先にも、別の困難が待ち受けています。
それはトランペットという楽器自体の不自由さです。


ヴァイオリンやサックス(あるいはピアノ)などと
比べてみるとよくわかるのですが、
たくさんの音符で時間と空間を埋め尽くすということに関して、
トランペットをはじめとする金管楽器は、明らかに不利です。


また音色の多彩さや、
長時間演奏し続けるということに関しても、
金管楽器は同様のハンディを背負っています。


クラシックの世界では、
ヴァイオリン協奏曲は無数にあるのに、
トランペット協奏曲*1は数えるほどしかありません。


ジャズの世界では、
サックスのソロ演奏というのはわりと多いのですが*2
トランペットの完全な独奏というのは、
いまだ聴いたことがありません。


さらにピアノと比較してみるなら、
楽器としての機能性の差は歴然としています。


つまり、トランペットは不自由な楽器なので、
主役になる機会が、サックスやピアノに比べて
明らかに少ないということです。


演奏が難しくて、
さらに、音楽の主役になるのも難しいとくれば、
やろうという人が少ないのもうなずけます*3

ジャズトランペッターにリーダーが少ないのは…


しかし、トランペットの音色は
ほかでは得難い華やかさ、力強さを持っているため、
アンサンブルの要として珍重されます。


そのため、ジャズトランペッターたちは、
さまざまなセッションに呼ばれるのです。


実際、多くのジャズトランペッターは、
自分のバンドではなくて、
他人のセッションに参加して吹きまくるだけです。


それは、ジャズトランペッターに、
リーダーシップを取れる人が少ないからではなくて、
ジャズトランペッター自体が人材不足だということです。


ジャズトランペットをやろうという人が、
サックスやピアノにくらべて、圧倒的に少ないということなのです。


そんなわけで、ジャズトランペットは、
ジャズの中でもマイナーな分野として今日に至っています。
おそらく今後もそうでしょう。


裏を返せば、リーダーをつとめられるような
トランペッターは、よほどの逸材だということです。


トランペッターであると同時に、偉大なバンドリーダーであり
サウンドクリエイターであったマイルス・デイヴィスが、
いかに突出した才能だったか、おわかりいただけるでしょうか。

渋い通好みのトランペッター


さて、今回紹介するのは、
ケニー・ドーハムというジャズトランペッターです。


1924年合衆国テキサス州生まれ。
マイルス・デイヴィスのふたつ年上です*4


チャーリー・パーカーCharlie Parkerのコンボや
ジャズ・メッセンジャーズJazz Messengersに参加し、
モダンジャズ(バップBop)の王道を歩んできました。


50〜60年代には多くのリーダーアルバムを残し、
同時に多くのハードバップの名盤に名を連ねてきました。
歴代の共演者のリストには、
コールマン・ホーキンスColeman Hawkins、
ジョン・コルトレーンJohn Coltrane
ソニー・ロリンズSonny Rollinsエリック・ドルフィー
ハービー・マンHerbie Mann、秋吉敏子穐吉敏子)、
ロニー・リストン・スミスLonnie Liston Smith、
ニールス・ペデルセンNiels-Henning Orsted Pedersen
セシル・テイラーCecil Taylorなどが含まれています。


彼は1972年に死にました。


…と、こう書くと、たいへん偉大なトランペッターという感じです。


しかし実際は、ジャズ愛好者の中でも、
渋い通好みのトランペッターと見なされています。
本当かどうか知りませんが、本国アメリカより、
日本で人気があるそうです*5

くすんだ音色と豊かな歌心


トランペットは本来、明るく華やかな音色が魅力ですが、
彼のトランペットはくぐもった音が特徴です。


チェット・ベイカーのように
ハスキーで甘い音色*6ではなくて、
ひしゃげた、ちょっと暗い音色です。


……ヘタなんじゃないの?


その通りです。
彼は、決してうまいトランペッターではありません。


ハイノートを出すときはいかにも苦しそうだし、
創意にあふれるフレーズを連発することもありません。


同じ時期のバップのトランペッターと比べても、
ファッツ・ナヴァロFats Navarroやクリフォード・ブラウン
輝かしい音色、完璧なテクニックとは大きな隔たりがあります。


しかし、ケニー・ドーハムのアドリブソロは、
リリカルな歌心にあふれています。


複雑なスケールをめまぐるしく上下するような、
チャーリー・パーカー式のアドリブではなくて、
口笛で歌うような、ほとんど素朴と言っていいような
アドリブソロなのです。


陰のある彼の音色が、
そのアドリブソロにたいへん調和しています。


そして、彼の作る曲は、どれもたいへん美しい。
名曲と言われる「ブルー・ボサBlue Bossa」など*7
ほとんどクサイほどに情緒的なのですが、
それだけに一度聴いたら忘れられません。


通好みと言われる理由が、わかりますよね?
派手ではないけど、噛みしめるほどに味わいの増す音楽なのです。


今回取り上げるのは、
彼の最後のリーダーアルバムです。
ケニー・ドーハムのキャリアの中でも、
おそらくもっとも特異な作品をご紹介したいと思います。


(以下後編へつづく→id:putchees:20050928)

*1:あるいはトロンボーン協奏曲。

*2:エリック・ドルフィーEric Dolphy、アンソニー・ブラクストンAnthony Braxton、ソニー・ロリンズSonny Rollins阿部薫など。

*3:モダンジャズをやろうという人の数をくらべると、サックスとピアノが筆頭で、ベースがそれにつづき、トランペットとドラムスはもっとも不人気です。最初はそれなりの数のトランペット志望者がいても、すぐに脱落していきます。

*4:マイルスの自伝には、セッションのアドリブ合戦でケニー・ドーハムにやりこめられたマイルスが、別の日に見事やりかえすというエピソードが収められています。

*5:実際に確かめたわけではありませんが、ジャズの本には、昔からそう書いてあります。ジャッキー・マクリーンJackie Mcleanソニー・クラークSonny Clarkなども同様です。

*6:チェット・ベイカーのトランペットの音色は、彼のヴォーカルの音色とたいへんよく似ています。

*7:ジョー・ヘンダーソンのリーダーアルバム「ページ・ワンPage One」(1963)に収録。このアルバムはジャケットがたいへんかっこいいです。