コントラバスでツィゴイネルワイゼンは無理でしょ!(後編)

putchees2006-01-24


(前編よりつづき)


東京・初台のオペラシティで行なわれた
コントラバス奏者・山崎実のリサイタルについて書いています。


クラシックの世界では縁の下の力持ち、
あるいは裏方というイメージが強い、
コントラバスという楽器で独奏するという、
たいへん野心的(無謀?)な試みです。


興味のある方は、前編からお読み下さい。
id:putchees:20060117

今回もコンサート報告です。


【今回のコンサート】


B→C ビートゥーシー
(バッハからコンテンポラリーへ)
山崎実(やまざき・みのる)コントラバス


【日時】


●2005年12月13日(火)19:00〜21:00
●東京・東京オペラシティリサイタルホール(初台)


【ミュージシャン】


山崎実(コントラバスcontrabass)
加藤昌則(ピアノpiano)
小松亮太バンドネオンbandoneon)


【曲目】


J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・パルティー
 第2番ニ短調 BWV1004 から「シャコンヌ
●J.-F.ツビンデン:J.S.バッハへのオマージュ op.44
サラサーテツィゴイネルワイゼン op.20
●山崎実:B→C バンドネオンからコントラバス
ピアソラ:キーチョ
●加藤昌則:5つのバガデル から
 分断されたプレリュード/牧歌と踊り/トッカータ
●フランク:ヴァイオリンソナタ イ長調
●(アンコール)J.S.バッハG線上のアリア

コントラバス演奏の3つの方向性


前回の最後で、コントラバス独奏の3つの可能性を提案しました。
当日のリサイタルの曲目に即して、以下に
それら3つの可能性を探っていきたいと思います。

(A)あくまで独奏にこだわる


リサイタルの2曲目に演奏された作品は、
ツビンデンJ.F.Zbindenというスイスの作曲家による
コントラバス独奏のための曲でした。


コントラバス独奏曲としては、
それなりに名の知れた曲のようです。


最初からコントラバスのために書かれた曲なら、
この楽器の美質が遺憾なく発揮できるに違いありません。


たしかに、コントラバスらしい曲ではありました。


しかし残念なことに、あまり名曲という感じではありませんでした。
こうして、聴いてしばらく経つと、
ほとんど何の印象も残っていません。


コントラバスに必要なのは、
誰が聴いても文句なしに名曲と呼べるような、
専用の独奏曲ではないでしょうか。


前衛でも通俗でもない、そしてコントラバスでしか
表現できないような美しい曲です。


チェロにおけるバッハJ.S.Bachの無伴奏組曲や、
コダーイKodaly Zoltanの独奏チェロソナタのような曲が
あればいいのです。


もちろん、そんなものを作るのは困難でしょう。
しかし、コントラバスが楽器として一本立ちするためには、
どうしてもそうした「必殺技」が必要なのではないでしょうか。


世界中の作曲家にがんばって取り組んでもらいたい分野です。

(B)ほかの楽器との協同をはかる


4曲目に演奏された「B→C バンドネオンからコントラバスへ」は、
出演者・山崎実自身による曲でした。
バンドネオンコントラバスのデュオです。


そして5曲目の「キーチョKicho」は、
アストル・ピアソラAstor PiazzolLaの作品で、
今回はピアノとコントラバスのデュオで演奏されました。


6曲目の「5つのバガデル からfrom 5 Bagattells」は、
加藤昌則(かとう・まさのり)という若手の作曲家による、
ピアノとコントラバスのデュオ曲でした。


これら3つの曲で、ほかの楽器とコントラバスとの
協同という可能性が探られていました。


どれも悪くない曲だったと思います。
ことにピアソラの作品は、彼らしい、
熱い血を感じさせる音楽でした。


しかし、コントラバスならではのよさが最大限
引き出されていたかというと疑問符がつきます。


バンドネオンとならともかく、
ピアノとコントラバスという組み合わせは、
どうしてもピアノがで、コントラバスという
印象になりがちです。


その音質から、コントラバスの音は、
他の楽器にマスクされやすいのです。
ですから、他の楽器とコントラバス
組み合わせるときには、かなり繊細な配慮が必要です。


その点で、これらの曲は、
コントラバスが主役の音楽としては、
いささか物足りない印象でした。


この分野でも、意欲的な作曲家が、
コントラバスと別の楽器のための文句なしの名曲
書いてもらいたいものです*1

(C)ほかの楽器のための曲を弾く


コンサートの最後に演奏されたのは、
ベルギー生まれでフランスで活躍した作曲家、
セザール・フランクCesar Franck(1822-1890)の
ヴァイオリンソナタ イ長調Violin Sonata in A majorでした。


おそらく、フランクの作品中、
もっとも有名な曲です。


ヴァイオリンのための曲をコントラバスで弾くという点では、
前半の「ツィゴイネルワイゼン」などと同じ試みですが、
このフランクのソナタは、ゆったりとした音楽なので、
コントラバスで弾いてもさほど無理がありません。


この曲が、今回のコンサートの中で、
もっとも安心して聴ける曲でした。


なんだ、やればできるじゃないか
ぼくはそう思いました。


つまりは、選曲次第ということです。


コントラバスで弾いても無理のない曲を選べばいいのです。


アンコールで演奏された、
バッハの通称「G線上のアリア」を聴いて、
さらにその思いを強くしました。
これもなかなかの演奏でした。


当たり前のことですが、
ヴァイオリンで弾いても難しいような曲を、
鈍重なコントラバスで弾くのはばかげています


大相撲だって、小兵と大兵とでは、
戦い方がおのずから違うものです。


小柄な力士が押し相撲をしたら負けるに決まっていますし、
大柄な力士にはちょこまかとした技は不向きです。


おのおのの特性を活かすことが、もっとも大切なのです。
コントラバスという大兵には、
それに合った技(音楽)があるはずです。


楽器の特性をもっともよく知る奏者(と作曲家)がいれば、
コントラバスの独奏というフロンティアは、
有意義に開拓されていくのではないでしょうか。

出でよ、コントラバスの革命児!


今回の奏者である山崎実の演奏は、
前編で書いたように、つっこみどころ満載でしたが、
彼自身に高い演奏能力があるのは、
おそらく間違いないでしょう。


今回の演奏はいまひとつのところもありましたが、
意欲は買いたいと思います。
こういう客気のある奏者がいるのは、
コントラバスという楽器にとって、いいことではないでしょうか。


まだ若いのですから、彼がいっそうの研鑽を積んで、
すぐれた奏者に育ってくれることを願います。


山崎実という奏者の名前は、
今後も心にとめておきたいと思います。


楽器の進歩と革新は、すぐれた奏者の登場がもたらすものです。


トロンボーンにおけるクリスティアン・リンドベルイChristian Lindberg
オルガンにおけるカレヴィ・キヴィニエミKalevi Kiviniemiのような存在が、
この日本から現れたら、面白いではありませんか。


ソロのコントラバス奏者というと、
ゲイリー・カーGary Karrがつとに有名ですが、
彼をはるかに超えるようなコントラバス革命児が登場するのを
楽しみに待ちましょう。

時代はコントラバスの名曲を求めている!


モダンジャズの世界では、
ベースはピアノやサックスなどと並ぶ、
立派な独奏楽器です。


ジャズのリスナーは、ベースの音を聞き分けるのに
慣れていると言えます。


ぼくはもともとジャズのリスナーなので、
クラシックにコントラバスの独奏曲があると聞くと、
つい反応してしまいます。


ところが、あまりいい曲がないので、
これまでのところ、クラシック(現代音楽)の
コントラバス独奏曲には満足したことがありません。


唯一の例外は、
フランスのコントラバス奏者によって結成された
オルケストラ・ド・コントラバスl'Orchestra de Contrabasses
ですが、彼らの音楽はクラシックよりむしろジャズに近いようです。


クラシックの世界では、20世紀以降
数々のコントラバス独奏曲が作られてきました。
また、セルゲイ・クーセヴィツキーSerge Koussevitzkyや
ラロ・シフリンLalo Schifrin、
大澤壽人(おおざわ・ひさと)などによる
コントラバスのための協奏曲も生まれています*2


ところが、どれもこれも極めてマイナーなところをみると、
まだまだ、コントラバスのための「必殺技」は、
誕生していないようです。


同じくマイナー弦楽器でも、ヴィオラは、
すでに独奏楽器として、一定の地位を確立した感があります。


コントラバスも、いつまでも、チェロやヴァイオリンのための曲を
弾いて喜んでいる場合ではありません。
そろそろ、独奏楽器として一本立ちしてもいい時期なのです。


重ねて書きますが、コントラバス演奏の真の革命児
クラシックの世界に登場することを願ってやみません。


そうすれば、それに呼応して、
コントラバス独奏のための真の名曲(つまり必殺技)が
生まれ出るに違いありません。


アストル・ピアソラというひとりの天才が、
バンドネオンという楽器の地位を決定的に変えてしまったことを
思い出してください。


卓越した奏者の登場は、その楽器の運命を変えてしまうのです。


それは、音楽全体の可能性を押し広げることでもあります。


すでにヴァイオリンやチェロ演奏の可能性は探求し尽くされ、
20世紀には、ヴィオラ演奏の可能性さえ探求が進みました。
つぎに探求されるべきは、コントラバスです。


「音楽」それ自体が、いま、コントラバスのすぐれた独奏曲を
求めているのではないでしょうか?


今回は、そんなコントラバス演奏の将来を感じさせるような
いいリサイタルでした。


ジャズのリスナーはそうでもないと思うのですが、
クラシックのリスナーは、コントラバスという楽器に対して、
ネガティブな印象を抱いているように思います。


たまには、先入観を取り去って
コントラバスの独奏曲なんて聴いてみるのも、
悪くないかもしれませんよ。


もっとも、まだ「超名曲」は存在しませんし、
ゴリゴリと耳障りな重低音が響くだけだったりしますから、
そんな音楽を聴いていても、
女の子にはぜったいにもてないと思いますけど。


(この稿完結)


(次回からは新宿ピットイン40周年コンサートのご報告をします)

*1:ドイツの作曲家、パウルヒンデミットPaul Hindemithがコントラバスとピアノのためのソナタを書いていますが、あまりいい曲ではありません。また、19世紀イタリアの作曲家・ジョバンニ・ボッテジーGiovanni Bottesiniはコントラバスとピアノのための曲を多数残していますが、これも、コントラバスならではの(現代人に強く訴える)スリリングさに欠けるように思われます。

*2:大澤壽人については、過去の記事をお読み下さい→id:putchees:20050221