セシル・テイラー来日公演に行ってきた!(後編)

putchees2007-02-24


前編からつづき


ピアニスト、セシル・テイラーCecil Taylor
来日公演、山下洋輔とのデュオコンサートの
レポートを書いております。


よかったら前編からお読みください→
id:putchees:20070222

なんのこっちゃ


でもって、コンサートを聴いてきました。


不安が的中しました。


感想を一言でいうと、なんのこっちゃ


なんのための共演だか、さっぱりわかりません。


共演というのは、少なくとも1+1が2以上にならないと、
意味がないはずです。


今回のコンサートは、
明らかに1+1が2以下でした。


つまり共演することで、
面白さが相殺されてしまっていたのです。


これはいただけません。


どういうことか、順を追ってお話ししましょう。

第1部はふたりのソロ演奏


コンサートは2部構成になっていて、
第1部がお互いのソロ演奏
第2部がデュオによる演奏でした。


第1部で最初に登場したのは山下洋輔でした。


短い曲を2曲演奏しました。


いつも通りでしたが、
2曲目は力の入った演奏でした。


尊敬するミュージシャンとの共演ということで、
さすがに気合いが違うのでしょう。


(オペラシティコンサートホール)


続いてセシル・テイラーです。


彼は自作の詩(?)を朗読し、
踊りながら登場しました


うわさ通り、ヘンテコなおじいちゃんです。
77歳とは思えない、軽々とした身のこなしです。


ピアノの前に腰掛けて、
ピン、と鍵盤に触れます。


その瞬間から、もうセシル・テイラーの音です。
タッチが違います。


なんて強く鋭い音でしょう。
カミソリの刃みたいです。


レコードやCDでおなじみの、
特徴的なフレーズや和音が聞こえてきます。


おお、これこそセシル・テイラーのピアノ。


なんて美しいのでしょう。


パワーと気品に満ちあふれた即興演奏。
こんな音を作り出すことができるのは、
地上でこのおじいちゃんだけです。
これを生で聴けるシアワセ。


予測できない音の流れに手に汗握ります。
これほどエキサイティングな時間はありません。


20分ほどだったでしょうか。
ガタンと音が途切れて、ハイおしまいです。


喝采


しかし、彼の音楽を初めて聴いた人たちは、
なにがなんだかわからなかったかもしれません。


彼の音楽は確かに風変わりです。
でも慣れてしまうと、これほど美しいものはありません。
それが万人に伝わらないのがくやしい


ぼくは、これだけでも来てよかったと思いました。

デュオが始まる


さて、問題の第2部です。


ピアノ2台が向かい合わせに置かれて、
ふたりのピアニストが座ります。


セシル・テイラーから演奏開始。


始まったときから、いやな感じがしました。


なぜなら、セシル・テイラーの音は、
それだけで満ち足りています


共演者の音なんて不要なのです。


しかし、じっとしていても仕方がないので
山下洋輔が音を出します。


とたんにふたりのピアノがぐちゃぐちゃに混ざって、
なにがなにやらわからなくなります。


これは困ったぞと思いました。
違う楽器同士の共演ならともかく、
同じ楽器同士ですから、ふたりの音が区別できません。


しかも、決まったリズムもコードもありませんから、
世間によくある2台ピアノの共演とは違って、
ふたつの音がばらばらのままです。


どう聴くべきなのか、
しばらくまごまごしてしまいました。


セシル・テイラー山下洋輔も、
興に乗って肘打ちをがんがんかまします。


ホールの空間が2台のピアノの音で飽和しそうです。


ああ、こういう音の大きさを楽しめばいいのかな?


ごちゃごちゃになった音のかたまりそれ自体を楽しめばいいのかな?


……と思ってみたものの、どうも釈然としません


あまりの雑音ぶりに堪えかねたのか、
始まって15分ほどで、何人かのお客さんが
ホールから出て行きました。

ふたつの音がバラバラ


山下洋輔は、相手の出方を常に気にしている様子です。


意外にもセシル・テイラーのほうでも
山下洋輔の様子をしばしばうかがっています。


だからといって、なにかインタープレイぽいことが
行われるかというと、そんな感じでもありません。


お互い関係のない音が、別々に鳴っている感じです。


ふたりとも何やっとんねん、と、
思わずツッコミたくなります。


(山下洋輔セシル・テイラー)


多少静かになると、
ふたりの音が区別できるようになってきました。


ゴンゴンと、主に低音で、強いタッチで響いてくるのが
セシル・テイラーの音。


そして、主に高音で、
なんとなく普通の音楽っぽい音が響いてくるのが
山下洋輔の音。


こうやって区別できるようになると、
さらに違和感がつのります。


ふたつの音がまったくの別物だからです。


山下洋輔のピアノの音は、
セシル・テイラーの強靱な音に跳ね返されて、
むなしく宙に消えていくような気がします。


いっぽう、セシル・テイラーのほうでも、
ソロのようなのびのびとした感じがありません。


お互い、足を引っ張っているような気がしてなりません。

予定時間通り(?)終了


終盤は、ふたりのソロ(?)の交換っぽくなりました。


ひとりずつ弾いていると、そりゃ美しい。


特に、セシル・テイラーのピアノは、
涙がこぼれそうなほど美しい。


しかし、ふたり一緒に弾くと、
またごちゃごちゃになってしまいます。


あーあ。


一緒にやらないで、別々にやってくれよ。


そう思わずにはいられません。


セシル・テイラーの音がだしぬけに止まって、
ほぼ同時に山下洋輔も演奏をやめます。


ハイおしまい。


喝采


演奏時間にして、約40分。
終了時間は9時ちょうどでした*1


結局、最後まで、
どう聴けば(どう楽しめば)いいのかわかりませんでした。


ぼくが拍手したのは、
あの偉大なセシル・テイラー
ステージにいるという事実に対してであって、
決して音楽の中身に対してではありませんでした。

納得できない


ぼくは
首をかしげながら初台の駅に向かいました。


みんなあれでよかったと思っているのかな?
そこらの人をつかまえて、感想を聞きたい気分でした。


ふたりは、いったいなにをしようとしたのでしょうか?


もちろん、ミュージシャンの意図が聴衆にわからなくたって
かまわないのですが、せめて気持ちよくさせてくれなくちゃ、
高いお金を払った意味がありません。


予想通りといえば予想通りなのですが、
さすがにあきれました

徹底的にやってほしかった


あんなふうになったのは、
もちろん山下洋輔だけの責任じゃないでしょう。
結果が見えていながら共演に応じた
セシル・テイラーも情けない。


ふたりのスタイルの違いについては、
いまさら言うまい。


だって、そんなことは
はじめからわかり切っているのです。*2


山下洋輔は、それでもなにか新しい美を生み出せると信じて
共演を申し込んだのに違いありません。


しかし、ふたりの音は、幾何でいうところの
ねじれの位置にあるふたつの直線みたいなものです。
永遠に交わらないのです。


ようするに、関係を結ぶことができないのです。


そんなふたりが共演するなら、
よほどのことをしないと、
美しいものは作れないのではないでしょうか?


あんな中途半端なことをして、
お客さんを納得させられるわけがありません。


いっそ、セシル・テイラーは自分の好きなように弾いていてほしかった。
山下洋輔なんて無視して、もちろん終了時間なんて気にしないで、
スタミナの続く限り、がんがん弾きまくってほしかった。


そして山下洋輔は、強大なセシル・テイラーのピアノに挑む
ドン・キホーテになってほしかった。


双方力の尽きるまで、ピアノを鳴らしまくってほしかった。
そこまでやって初めて、
共演と呼べるものになったのではないでしょうか?


なまじ相手に気を遣って、
ついでに終了時間にまで気を配って、
まともな音楽ができるわけがないのです。*3

「共演」ではなかった


共演するというのは、1+1を少なくとも
2以上にするということであるはずです。


演奏を聴きながら、
セシル・テイラーのファンは、
山下洋輔の音が邪魔だと思ったはずですし、
山下洋輔のファンは、
セシル・テイラーの音が邪魔だと思ったのではないでしょうか?


お互いが、お互いの音を相殺していた印象です。
これでは、1+1が2以下になってしまいます。


S席8000円のチケットが、5000円とか4000円分の
価値しかなかったような気分です。


ひとりずつ、ソロで聴いたほうがよほどましでした。


これで、ぼくのセシル・テイラー生体験が
最初で最後かと思うと、心底情けない気がしました。


彼が元気なうちに、
ニューヨークへ聴きに行こうかな?


もちろんそのときは、余計な共演者のいない
ソロ・パフォーマンスを聴くつもりです。

感想は人それぞれですが


…と、当夜のコンサートは
ぼくにとってはたいへん残念な体験でした。


ただ、ほかのお客さんは楽しく聴いたのかもしれません。


このレビューを読んで気を悪くしたら、ごめんなさい


しかし、ふたりの音をよく知る人なら、
同じような感想を持った方は多いのではないでしょうか。


ふたりの音楽を知らない人は、
ぜひいちど、CDで確かめてみてください。


ひとりひとりは、すごいミュージシャンなのです。
そのふたりの演奏が、この程度で終わってしまったというのは、
いかにも残念なことでした。


最後に申し上げますが、こんな音楽を聴いていても、
女の子にはぜったいにもてません


(この稿完結)

*1:ひょっとして、ステージの制限時間通り?

*2:山下洋輔は、セシル・テイラーが自分の演奏スタイルに合わせてくれるなどとは毫も考えていなかったでしょう。

*3:仮定の話ですが、若い時期の山下洋輔なら、ひょっとすると現在のセシル・テイラーと渡り合えたかもしれません。