カッコイイ!諸井三郎のシンフォニー2番を聴く
CD紹介です
【今回のCD】
「戦前日本の管弦楽」
(Tower Records Victor Heritage)
カタログ番号:NCS-608
【曲目】
1) 尾高尚忠:日本組曲(1936/1938)
2) 平尾喜四男:交響詩曲「砧」(1938)
3) 深井史郎:パロディ的な四楽章(1933/1936)
4) 伊福部昭:土俗的三連画(1937)
5) 早坂文雄:左方の舞と右方の舞(1942)
1) 山田耕筰:音詩「曼荼羅の華」(1913)
2) 清瀬保二:日本祭礼舞曲(1940/1942)
3) 諸井三郎:交響曲第2番(1937〜38)
4) 大木正夫:夜の思想(1937)
【演奏】
山岡重信:指揮
読売日本交響楽団
(1971-72年録音)
やるじゃんタワレコ
タワーレコードが出している、
クラシック音楽の復刻シリーズからのご紹介。
この「ヘリテージ・コレクション」シリーズは、
日本の作曲家たちの貴重な録音を安く提供している。
以前も松村禎三作品集をご紹介しました。
マイナー音楽好き(の貧乏人)の強い味方だね。
さて、今回ご紹介するのは、
2008年3月にリリースされたもの。
山岡重信指揮、読響演奏による、
1945年までの日本産オーケストラ作品集。。
諸井三郎にしびれる
さて、このCDの中でぼくが面白いと思ったのは、
諸井三郎(1903-1977)の「交響曲二番」。
1937年作曲、1938年初演というから、
昭和12〜13年の作品。
戦前日本の経済的なピークは1937年だったので、
第二次世界大戦前の日本、
つまり大日本帝国が文明国としての頂点を迎えていた時期の曲ってことだ。
当時すでに、トヨタや日産は純日本製の自動車を作るようになっていたし、
中島や三菱は、(いまでは考えられないが)純日本製の航空機をガンガン作っていたし、
呉と長崎では、西欧の日本駐在武官がその情報を信じないような、
史上最大の戦艦を作り始めていた。
そんな機械文明国・日本は、一方で文化の面でも、西欧に追いつこうとしていた。
靉光や北脇昇はキリコやダリばりのシュルレアリスム絵画をものしていたし、
平井輝七や小石清は、目を見張るような前衛写真を撮影していたし、
文学における瀧口修造のアヴァンギャルドや稲垣足穂のモダニズムは、
西欧の潮流とほぼコンテンポラリーになっていた。*1
となれば、音楽の分野でも1930年代西欧の最先端、
シェーンベルクやヒンデミット、ストラヴィンスキーと
コンテンポラリーになっていてもおかしくない。
諸井三郎のこの「交響曲2番」は、
まさにそのような音楽の代表だ。
聴いてびっくり。
後期ロマン派の模倣みたいな音楽だと思ったら大間違い。
3楽章で40分ほどの堂々としたシンフォニー。
ブルックナーとヒンデミットを掛け合わせたような、
モダンでハードボイルドな音楽なのだ。
大都会にたったひとり立つ人間の音楽という気がする。
諸井三郎は、この曲を東京で書いて初演を聴いている。
当時の東京は、これほどの曲を書かせるだけの
近代的不安を抱えた大都会だったってことだ。
彼の「交響曲1番」(1934)は、
ベルリン留学時代に書かれたもので、
一度聴いて、さして面白い曲だと思わなかったけど、
この2番はすごい。
この曲を書いた上で、諸井三郎は
第二次大戦中の「交響曲3番」へ向かって行ったというわけだ。*2
片山杜秀は、この曲を
「暗く重く激しく…。危機と不安の時代に生き、
大戦争の影におびえるインテリ日本人の感情がなみなみと盛られたこの雄編」
と評している。
なんと的確な表現。
これを読んだら、もう「大戦争の影におびえるインテリ日本人」の音楽としか
聞こえなくなっちゃうよ。
この曲は、ふだん「フツーのクラシック」を聴いている人にこそ
聴いてもらいたいね。
戦前の日本で、これほど孤独な創作をしていた
大作曲家がいたってことをぜひ知ってもらいたい。
ただもちろん、こんな音楽を聴いていても、
女の子にはぜったいにもてないね。
*1:同時期、日本画や伝統邦楽の分野でも、西欧の影響を受けて、独自の「近代化」が模索されていた。
*2:諸井三郎の「交響曲3番」についてはこちらを→id:putchees:20051004