鮮烈!下野&読響の「涅槃交響曲」で昇天!
今回はコンサート報告です
【今回のコンサート】
読売日本交響楽団 第481回定期演奏会
2009年4月7日(火)19:00〜
会場:東京・サントリーホール
【ミュージシャン】
指揮:下野竜也(しものたつや)
男声合唱:東京混声合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団
【曲目】
◆芥川也寸志(没後20年)「エローラ交響曲」
◆藤倉大:読響委嘱作品「アトム」【世界初演】
◆黛敏郎(生誕80年)「涅槃交響曲」
あっぱれ!下野竜也!
すごいぞ!下野竜也!
すごいぞ!読響!
このオケとこの指揮者が、これほど輝いて見えたことはない。
あっぱれな名演でした。
曲は黛敏郎の「涅槃交響曲」(1958)。
英語にするとNirvana Symphony。
男声合唱と6管編成の巨大オーケストラによる
荘厳な音楽だ。
この日の演奏は、これまでCDや演奏会で聴いたものを
はるかに超える圧倒的なもの。
そうか、この曲はこんなにすごい曲だったんだ!
思わず涙があふれたよ。
終演後、鳴りやまない拍手とブラヴォーの声。
日本人作曲家の作品が演奏されて、
これだけの大喝采が起こったのを、
伊福部昭を除けば、ぼくは初めて見たよ。
まさかこれほどの演奏が聴けると思わなかったから、
大満足でした。
芥川だってエライ
最初に演奏された芥川也寸志の「エローラ交響曲」(1958)も
よかったなあ。
何度も爆発を繰り返す破格の交響曲。
アジアのバイタリティここにありって感じ。
下野竜也と読響は、この曲の要求によく応えたよ。
以前*1聴いた、東京シティフィル&本名徹次の演奏*2よりまちがいなくよかった。
エライ!
特に管打楽器がエラかった。
それは涅槃交響曲でも同じで、全体に弦楽器はやや弱かったかな?
ときおり、弦の音が管打楽器にマスクされて聞こえなかったよ。
しかし、それでも仕方ない。
心をふるわせる演奏というのは、しばしば
バランスより勢いのほうが大切なのだ。
日本が産んだ真のクラシック
さて、それにしても「涅槃」だ。
ぼくはこれまで、黛と芥川なら、芥川のほうが好きだったんだけど、
きょうの演奏を聴いて、作曲家としてのスケールは、
黛のほうがはるかに巨大だと思い直したね。
なにがすごいかって、黛作品に含まれる、
知性で割り切れない部分の魅力だ。
いわゆる「デモーニッシュ」な要素だな。
なにしろ「涅槃交響曲」では、男声合唱が「お経」を歌い上げる。
それを「デモーニッシュ」なんて言うとばちが当たりそうだけど、
つまりは明晰でない、ドロドロとした混沌が音楽に含まれているってことだ。
なにしろこの曲、仏教がテーマなのだ。
知性では割り切れないよ。
男臭いコーラスが、
「もーこーほーじゃーほーろーみー」
とか、お経の一節を音程なしで歌う。
この迫力にはかなわない。
日本人でさえ圧倒されるのだから、
西洋人なんてイチコロだろう。
マユズミはやっぱり偉かった。
オーケストラだってすごいぞ。
常識を越えた6管編成の巨大オーケストラが、
舞台と客席後方の左右、さらに(確か)会場の外にまで配置される。
ぼくはこの日の演奏で初めて、
「カンパノロジー」の部分が、お寺の鐘の「ゴーン」という音に聞こえたよ*3。
会場全体が、オーケストラの響きで飽和する。
五感がふるえる。
まさに音楽は全身体験なのだと痛感する。
これをCDで聴いても、しょうがない*4。
最後は「おーおーおおー」と、ヴォカリーズのユニゾンで
雄渾なメロディが歌われる。
それに合わせてオーケストラが高潮していき、
最後は「ジャーン、ジャーン、ジャーーーーン!」と、
3回盛り上がって、静寂が訪れる。
下野竜也の腕が数秒間ぶるぶるとふるえて、
音楽の終わりを待つ。
終演。
大喝采。
ネイティブ(自分の国の作品)としてこの曲を聴ける喜び!
日本人が、日本人の曲を堂々と演奏してる。
チャイコフスキーを聴くロシア人や、
ドヴォルザークを聴くチェコ人の気持ちがわかるような気がしたよ*5。
この曲は、世界のどこに出しても恥ずかしくない。
まさに古典だね。
日本人が初めてオーケストラ曲を作ってからわずか50年で
これだけの作品が生まれた驚き。
すばらしい曲、すばらしい演奏でした。
ありがとう、下野竜也。
ありがとう、読響。
もしもあなたがこの曲を知らないなら、
それはあまりにもったいない。
とりあえずCDでもいいから、
「涅槃交響曲」を聴いてください。
そして、黛敏郎という作曲者の偉大さを知ってください。
ただ、こんな男臭い曲聴いていても、
女の子にはぜったいにもてないんだなあ。