マル・ウォルドロンのピアノはかくも深い
ユニークなジャズピアニスト
Youtubeで見つけた動画でブログを書いてみます。
過去に何度も書いたけど、マル・ウォルドロンMal Waldronは大好きなピアニストです。
彼のピアノは音数が少ない。
その代わり和音が分厚い。
打鍵が強い。
ヘタなのかもしれない。
しかし、ユニークなスタイル。
ジャズの中で、ほかに似た人がいない。*1
「もてないジャズピアノ」の代表と言えましょう。
「ジャズが聴きたいわ」という女の子にはビル・エヴァンスを聴かせて、ぼくはひとりでマル・ウォルドロンを聴くのです。
Youtubeで見つけたこれをごらんください。
1971年のアルバム。ゲイリー・ピーコックGary Peacockと村上寛のトリオ。
録音は東京。ピーコックは当時日本に住んでたんだよね。
すごい。深い。
聴いていると、黒い底なしの淵の中にずぶずぶと沈んでいくようです。
マル・ウォルドロンの美質がピーコックによってさらに深化されているという気がします。
同じアルバムからこのトラックも。
こちらもすごい。
70年代のマル・ウォルドロンは、かくも烈しい。
で、たまたま見つけたのがこれ。同時期(71年)の録音。
珍しくマルがエレピを弾いてる。
すげえ。エレピでもかっこいいこと!
こんなどろっとしたジャズロック、ほかに聴いたことない。
この人の音楽性の底知れない深さに戦慄さえ覚えます。
最後はこれ。81年、パリでの録音。
盟友スティーヴ・レイシーSteve Lacyとの至高のデュオ。
…言葉を失います。
これこそが音楽、これこそがジャズとしか言えません。
みなさんもぜひこれを入り口にマル・ウォルドロンの深い深い音楽におぼれてください。
ただもちろん、こんなのを聴いてても、女の子にはぜったいにもてません。
これは都会に生きる孤独な男の音楽なんだよ!*2
*1:いるとすればデューク・エリントン。
*2:むなしい…。
ラビ・アブ・カリルを聴いてレバノンに恋い焦がれる
今回のアルバム
ラビ・アブ・カリルRabih Abou-Khalil「ODD TIMES」
(ドイツ、Enja ENJ-9330)
(ナクソスミュージックライブラリー)
http://ml.naxos.jp/album/ENJ-9330
レバノンに平和を!
7月にレバノン旅行を計画していたのですが、キャンセルしました。
隣国シリアの騒擾が次第にレバノンまで浸透してきています。
ここ数ヶ月、レバノン情勢を注意深く見ていましたが、月曜日にとうとうベイルートで騒乱が起きたのを見て、ぼくも旅行をあきらめました。*1
まことに無念です。
5000年以上前から人間が文明を築いて住み続けているレヴァント地方。
コスモポリタンな首都ベイルート、地中海沿岸の古代遺跡、レバノン山脈の美しい山並みをこの目で見たかった。
レバノンに平和を。
レバノンとシリアを平和に旅することができる日が一日も早く戻ってくることを祈っています。
自分でも、どうして自分がこんなにアラブ世界に惹かれるのか、不思議でなりません。
昨年旅行したヨルダンでの体験が転機でした。
最大の理由は人でしょう。
どうしてアラブの人たちは、ぼくたちにこれほど優しいのか。
そして食べ物。ホンモスとホブス、ファラーフェル、それにシャーイを口にするためだけに旅をする価値があるだろうと思っています。
もうひとつ欠かせないのが音楽でしょう。
アラブ音楽の精妙な響き。歴史に支えられた豊かな伝統。
街角で聞こえてくる音楽に、つい聴き惚れてしまいます。
で、今回はラビ・アブ・カリルのアルバムを聴いてみます。
以前も紹介しましたが、彼はレバノン生まれのウード奏者。
内戦を避けて欧州に渡り、そこでアラブ音楽とジャズを融合したユニークな音楽を作っています。
このアルバムはライブ。
ウード、ハーモニカ、チューバ、ドラムス、パーカッションという不思議な編成で、魔術的に美しいジャズを聴かせてくれます。
エスノジャズ(民族音楽ジャズ)の最高峰といえます。
どうしてこれほど自然に、アラブ音楽とジャズが融合しているのか。
まことに天才的です。
ぼくは、やはりレバノンという国の特質があらわれているように感じます。
内戦前のレバノンは、ムスリム、クリスチャン、ユダヤ教徒などが2000年も平和に共存してきた地域でした。
「ブラック・スワン」でナシーム・タレブNassim Nicholas Taleb(レバノン出身)が書いていましたが、彼は少年時代、なにより寛容であれと教えられたそうです。
それがかの国の美徳だったのです。
タレブは、内戦でそれがすっかり損なわれたと嘆いていました。
アブ・カリルの音楽にも、寛容の心が満ちています。
アラブ音楽の伝統と西洋音楽、ジャズの伝統が矛盾なく共存している。
そして高度に洗練され、ユニークな音楽となって実現している。
技術だけではこういうものは生まれない。
哲学あってこそです。
このようなミュージシャンを生んだレバノンという国に畏敬の念を抱かずにはいられません。
レバノンに平和を。
レバノンの動揺が続く間、ぼくはラビ・アブ・カリルを聴いて、かの国のことを忘れないようにするつもりです。
そして一日も早く、訪れたいと思っています。
みなさんもぜひいちど、彼の音楽を聞いてみてください。
確実にびっくりします。
ただもちろん、これは「もてる音楽」ではありませんが。
*1:いろいろな理由があるのですが、総合的に判断しました。
ズヴェーデン&ダラス響のベートーヴェン7番
今回のアルバム
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」, 第7番(ダラス響/ズヴェーデン)
BEETHOVEN, L. van: Symphonies Nos. 5 and 7 (Dallas Symphony, van Zweden)
(合衆国・DSO Live 001)
(ナクソスミュージックライブラリー)
http://ml.naxos.jp/album/DSOLive001
理想的なベートーヴェン
ヤープ・ファン・ズヴェーデンJaap van Zwedenは、いまテキサス州ダラスのダラス交響楽団の音楽監督なんですね。
で、このベートーヴェン。
ダラス響の自主レーベルなんだな。ライブ録音。
最近増えてるよね。いいことです。レコード会社に頼らず、自分たちの録音を流通させる。
ぼくは、この指揮者もオケも、聴くのは初めて。
で、聴いておどろいた。
これはスゴイ。
さいしょは「ん?どうかな」と思ったけど、5番も7番も、終楽章が圧倒的。
怒濤のテンションでたたみかける。
サウンドはもちろんシャープ。まさに合衆国のオーケストラって感じ。
これこれ、ぼくが聴きたいのは、こういうベートーヴェンですよ。
思わず膝を打つ演奏。
うーん、すごいな。ほかの演奏も聴いてみなくちゃ。
合衆国には、NYフィルやLA響、SF響とかのほかにも、こういう実力のあるオケがほかにもたくさんありそうだよね。
NMLのおかげで、こういう演奏に触れることが出来るのは、まことにうれしいことです。
重厚で巨匠風のベートーヴェンが好きな人にはおすすめできないけど、即物的でひたすら現代的なベートーヴェンがお好きな人にはかなりおすすめです。
ただもちろん、女の子にもてる音楽ではないよねぇ。
(でも、最近ベートーヴェンの7番はもてるんですか?よく知らないんですが)
フランスの即興ピアニスト、ヴィエネルを聴く
今回のアルバム
ウィエネ:ピアノ・インプロヴィゼーション(ウィエネ)(1950-1964)
WIENER, J.: Piano Music (Improvisations au piano) (Wiener) (1950-1964)
(仏・INA Memoire Vive IMV030)
(ナクソスミュージックライブラリー)
http://ml.naxos.jp/album/IMV030
ジャズとクラシックのあわい
こんなピアニストがいたんだ。
ジャン・ヴィエネルJean Wiener(1896-1982)(ジャン・ウィエネ)。
20世紀初頭のパリ・コンセルヴァトワールで、ミヨーと一緒に勉強してたらしい。それで、サティや六人組Lex Sixとも関わりがあったそうだ。
シェーンベルクなどの曲をフランスでさかんに演奏したりもしたらしい。
キャリアの途中でジャズに傾倒して、クラブや映画音楽とかで活躍したらしい。
欧州の初期ジャズピアニストってことか。
こんな演奏スタイルだったらしい(1927年録音。盟友Doucetとのデュオ)。
で、このアルバム。
1950〜60年ごろの録音。すべて即興演奏。
これはジャズなのか?
クラシックなのか?
バッハのような対位法が顕著。
左手でコード、右手でメロディ、という感じではない。
ジャズにしては古くさい。
エロール・ガーナーとか、似てるかも。
しかし、不思議な魅力。
アカデミックな欧州の作曲法を勉強した人が即興したらこんなふうになります、という感じ。
合衆国のミュージシャンなら、ぜったいに、こうはならない。
聴いたことない種類の即興演奏。
面白いなあ。
あえていうなら「クラシックとジャズのあわい」の音楽という感じ。
音楽の発展の歴史を考える好材料。
ぼくは何も知らないで、たまたまNMLの新譜の中から見つけたのですが、いちど聴く価値はありますよ。
ただもちろん、こんなのを聴いてても、女の子にはちっとももてないけどね。
合衆国のちゃらんぽらんなピアノ曲を聴く
今回のアルバム
「ジュフスキー:不屈の民」
RZEWSKI: The People United will never be Defeated
(香港、ナクソス8.559360)
ラルフ・ファン・ラートRalph van Raat(ピアノ)
(ナクソスミュージックライブラリー)
http://ml.naxos.jp/album/8.559360
「若い国」の音楽
フレデリック・ジェフスキーFrederic Rzewski(1938-)という作曲家のことはまったく知りませんでした。
合衆国の作曲家なんですね。
ピアニスト、ファン・ラートは、ナクソスで現代音楽のいい演奏をしているので、とりあえず聴いてみました。
「不屈の民」は60分にわたる変奏曲。それなりに有名な曲らしいです。
けっこう面白い。
でも、あまりに多様でちゃらんぽらん。
帯の解説には「無調、ミニマル、ジャズ、超絶技巧とありとあらゆる語法を駆使」とあるけど、まさにそんな感じ。
ひとつのまとまった印象を受けることはムツカシイ。
シュニトケだとかミヨーも多様でちゃらんぽらんと言われることがあるけど、それとは質が違う。
合衆国っぽい「ちゃらんぽらん」ぶりだなと思った。
つまり洗練されていなくて、粗野な音楽。
作り込まれる前に、投げ出されたような。
言い換えるなら「若い」「青い」という印象。
作曲家自身がこの作品を書いたとき若かったかどうかという問題ではないですよ。
地政学者のジョージ・フリードマンは「合衆国の本質は若さだ。だから合衆国の行動は青年のように粗野で洗練されないのだ」みたいなことを書いてた。
彼が書いてたのは政治についてだけど、文化についてもそれは言えるよな、と思う。
フィリップ・グラスのミニマル音楽とか、アメリカのクラシックは、たいがい、決して洗練されてないよね。
若い、青いと感じるんです。
この曲も、ぜんぜん洗練されていなくて、若いなあと感じる。
作曲家が意図したかどうかはともかく、合衆国っぽい。
それゆえの面白さというのはもちろんあるので、聴くのは楽しいんですよ。
やっぱり国ごとの個性というのはあるんだろうなと思います。
あと数百年たったら、合衆国のクラシックも、ヨーロッパのようにもったいぶった雰囲気を持つようになるのでしょうか。
それはよくわからないなあ。
はっきりしてるのは、こんな音楽を聴いてても、もてないってことだね。
アルゼンチンの哀しいギターを聴く
今回のアルバム
ユパンキ/セロ/ディアス:ギター作品集(マルティネス)
Guitar Recital: Martinez, Carlos - YUPANQUI, A. / CERRO, P. del / DIAZ, B. (Atahualpa Yupanqui: Obra completa para guitarra versiones Carlos Martinez)
(アルゼンチン・Acqua AQ182)
(ナクソスミュージックライブラリー)
http://ml.naxos.jp/album/AQ182
アタウアルパ・ユパンキ
どうもこういうブログをやってると、書いている内容をぜんぶ本気で取られるので困ります。
ブログを読んでいただいている方とじっさいにお会いしたとき「えっ、彼女がいるんですか!」と驚かれたことも一度や二度ではありません。
文章というのは一種の虚構なので、額面通りに取られると困るわけです。
プロフィールにも付け足しましたけど、それはそれ、これはこれでお願いします。
「モテる自慢」は疑われるのに、「モテない自慢」は疑われもしない!
…そらそうか。
ま、いま彼女がいないのはホントですけど。
それはともかく本題です。
アルゼンチンのすばらしいレーベル、アクアが出してる、ユパンキのギター作品集です。
アタワルパ・ユパンキ(1908-1992)はアルゼンチンの作曲家、ギタリスト、シンガーです。
ジャンルはフォルクローレっていうことになってるのかな。
でも、ボリビアのフォルクローレとはぜんぜんちがう。
彼のは、ギターの弾き語りです。
たぶんユパンキをご存じない方が大多数だと思うので、動画を貼ります。
ぼくが大好きな「El Arriero」です。牛追い、って意味かな。
この曲、昔ガトー・バルビエリも取り上げてた。
こっちも動画を貼ります。*1
なんとも哀切なメロディとギターです。
ユパンキの代表曲のひとつです。*2
で、今回のこのアルバム、ユパンキのギター曲全集ってことになってます。
ただ、ほかの作曲家の作品もたくさん入ってますね。
ポンセとかソルとか。
日本の「中国地方の子守歌」が入ってたりしてちょっと驚く。
ギターは、アルゼンチンの名手(らしい)カルロス・マルティネス。
ユパンキの曲を、現代のギターのクリアな音で味わい深く弾いてくれます。
CD三枚組。すごいボリュームです。
渋い、渋すぎるのかもしれないけど、ほんとうに心にしみます。
クラシックギター好きが聴いても楽しめると思いますね。
ちょっと地味すぎるかもしれないけど、ぜひいちどためしてみていただきたいものです。
ただ、こんなのを聴いてても、女の子にはぜったいにもてません。
ジョン・ケージはマジメな(?)作曲家
今回のアルバム
ケージ:プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード集(ぺシャ)
CAGE, J.: Sonatas and Interludes for Prepared Piano (Pescia)
(仏・aeon AECD1227)
(ナクソスミュージックライブラリー)
http://ml.naxos.jp/album/AECD1227
モテるかモテないか
きのうのブログを読んだ友だちが「モテなくても、本当に好きな人とつきあえたらいいじゃないですか」と言ってくれました。
なるほど。
…でも待てよ、それって、不特定多数にモテるよりムツカシイんじゃないでしょうか?
少なくともわたしは、そんな幸福な体験は、ついぞ記憶にないですよ。
あと、女性と男性は違うのかも。
男はモテたいんですよ。いくつになっても。存在証明みたいなものなんです。
ええバカですとも。That's because I'm a man.
閑話休題。
ケージの不幸
彼はすばらしい作曲家だと思うのですが、例の「4分33秒」のせいで、まともな作曲家だと思われていないフシがあります。
それは不幸なことです。
つまらん曲も多いけど、いい曲もたくさん書いてます。
以前も紹介したけど、プリペアドピアノのための作品集は、ぼく、大好きなんです。
ピアノという楽器が、彼の創意によって新しい楽器に生まれ変わったのです。
弦に異物をはさむという作業(プリパレーション)によって、音色がぜんぜん変わるわけです。
ピアノというのは、いかほどか押しつけがましい楽器であると思ってます。
音はでかいし、同時にたくさんの音を鳴らせるし、つまりは存在感がありすぎる。
それが、プリパレーションによって、おとなしくなる。
不自由にすることによって、新たな魅力が生まれるって訳です。
これはじっさい聴いてもらわないとわからないのですが、ノイズというか、非整数倍音が加わることで、豊かで味わいのある音色になるんですよ。
非整数倍音を愛するわれら日本人にとっては、とりわけ印象深いのかもしれない。
もちろん、プリパレーションの具合によって、ぜんぜん音色が変わってしまう。
そこがピアニストの腕の見せどころでもあるようです。
このアルバムのピアニスト、ペシャの腕前はすごくいい。
なんとも微妙かつ精妙な音色であります。
名曲がいっそうひきたちます。
神秘的にして哀切。
「ピアノの弦に消しゴムとかをはさむんだよ」と説明すると「そんなの音楽じゃない!」なんて言う方がいるかもしれません。
でも、それはぜんぜん違う。
純粋に音楽的な技法なんです。
もしも、非音楽的な前衛だと思われているなら、それはひどい誤解だ。
これ聴かないのはホントもったいない。
誤解された大作曲家、ケージの傑作、ぜひいちどお試しください。
ただもちろん、こんなもの聴いてたらモテないよ。