女にもてない「クラシック」の最右翼、松村禎三を聴け!

putchees2005-01-22


今回のCD

阿知女(アチメ)/松村禎三 作品選集 IV
(日本・カメラータトウキョウCMCD-28031)

曲目

  • [1]「阿知女(アチメ)」〜ソプラノ、打楽器と11人の奏者のための(1957)
  • [2][3] ギリシャによせる二つの子守歌(1969)
  • [4][5] 軽太子(かるのみこ)のうたえる二つの歌(1973)
  • 歌曲集「貧しき信徒」(詩:八木重吉)(1996)
  • [6] 霧がふる/[7] ひびくたましい/[8] 風が鳴る
  • [9] 間奏曲/[10] 石/[11] きりすとをおもいたい
  • [12] 天というもの/[13] 秋のひかり
  • [14][15] 巡礼―ピアノのための―I,II(1999)

演奏者

クラシック?現代音楽?


本日のタイトルの「クラシック」というのは、実は現代音楽のことです。
現代音楽なんて言っても、世間ではうまく通じないんですよね。
要するに「純音楽」とか「芸術音楽」ってことです。
そんな注釈が必要なところに、このジャンルの悲哀が象徴的にあらわれています。

え?いまだに「交響曲」なんて作っているヒトがいるの??


さて、ぼくが現代音楽を聴くようになってまず驚いたのが、
いまだに「交響曲」とか「ピアノソナタ」とか、
「ヴァイオリン協奏曲」を作っているヒトがいるっていうことです。


モーツァルトとかベートーヴェンの時代ならいざ知らず、
そういう音楽は、現代になる前にとっくに滅んだと思っていたので*1
何も知らない田舎生まれの少年(当時)にとっては驚愕の事実だったわけです。


聴いてくれるヒトもろくにいないのに、
いまだにそういう曲を作っているヒトは、
それだけでエラい! なんて思ってしまいます。


さて、そんなほそぼそとした現代音楽の中で、
さらに群を抜いて不人気なのが、日本人作曲家の作品でしょう。


その中でも、ロマンチックな曲を書く吉松隆や、
「鳥は星形の庭に降りる」なんて思わせぶりなタイトルで
ゲージュツの薫り高い武満徹あたりならまだしも、
それ以外の作曲家・作品は、女子には見向きもされません。


とほほ。

ツムラテイゾウとはナニモノか?


松村禎三という作曲家がいます。
1929年(昭和4年)京都生まれで、
池内友次郎(いけのうちともじろう)と伊福部昭に師事しました。


遠藤周作の「沈黙」をオペラにしたりしてます。


このヒトの作品は、女にもてない「クラシック」の最右翼じゃないでしょうか。


決して、グジャグジャのわけわかんない「前衛」ではないのですが、
ひとことでいえば、暗い。
ひとことでいえば、深刻。
ひとことでいえば、憂鬱。


そんな曲ばかり作っています。
女の子が聴きたがるとは到底思えません。


しかし、日本男児たるもの、
一度は耳を傾けてもいいのではないでしょうか。


今回紹介するのは、「阿知女」(あちめ)という曲の収められたCDです。

圧倒的バイタリティ!


表題曲の「阿知女」、すごい曲です。
ソプラノ独唱と少人数の奏者による室内楽なのですが、
おとなしい曲を想像するととんでもない。


呪術的というが、原始的というか、古代的というか、
アヤシイ雰囲気がプンプン漂います。


高音のソプラノが、宮中の神事の祝詞(のりと)を歌うのですが、
その文句が意味不明。あまりに古い日本語だからです。


上古の神懸かりの巫女の叫びのようです。


ソプラノは藍川由美
日本の歌曲に情熱を傾ける彼女が、この曲でも入魂の熱唱。


そして、アンサンブルのほうも、甘いメロディや和音を徹底的に拒否。
デュオニュソスの祭典のような、熱狂的で恍惚としたサウンドを奏でます。
パーカッションがドカドカ、金管楽器ブカブカです。


音楽は次第に熱を帯び、舞踏を思わせるリズムでガンガン高潮していきます。


このバイタリティはすごい。
言葉を失うほど圧倒的です。


勝手な脳内イメージでいうと、生贄の牛の首を切って、
巫女が、滴る血をすすっているような図が頭に浮かびます。
まあ、それぐらいまがまがしい曲です。


終盤でソプラノが「一、二、三、四……」とカウントし、
「十」と数えるところで、曲全体のクライマックスに達します。


作曲者の解説によれば、もとの神事では、その祝詞
「十」と数えた瞬間に神が降ると考えられているそうです。


と、言われたところでなんだかわかりませんが、
いずれにしても、ある種のまがまがしさはビンビン感じます。


そのまがまがしさを、松村禎三は音楽の生命力に転化するのです。


現代日本人の、貧乏くさくて小さくまとまった感覚とは遠く離れた、
スケールの大きな簡勁そのもののサウンド


こんな曲を28歳で書いてしまう才能はただごとではありません。


同じ伊福部門下の黛敏郎は、29歳で「涅槃交響曲Nirvana Symphony」を書いたのですが、
若き松村禎三も、それに負けない才気煥発の作曲家であったことがわかります。


気宇の大きさからいえば、この「阿知女」は、
「涅槃交響曲」に決してひけをとりません。

伊福部昭との出会いが人生を変えた


松村禎三は、以前NHKテレビのドキュメンタリーで、こんなことを語っていました。


「ぼくは京都生まれで、早く東京に行って勉強したい、
東京に行ったら早くパリへ行きたいくらいに思ってたんです。
ところが、まったく変わりましたね、先生(伊福部昭)にお会いすることで。
いま日本に生を得てほんとうによかったと思いました。
文化というもののほんとうの意味と、それから、
歴史的なつながりというものに対して、目を開かせてもらったと思います」


ここには、若き松村禎三が、
アジアと日本の伝統的美観に目覚めた体験が語られています。
日本に生まれて、その文化的蓄積を自らの武器として創作していくことが、
自分の道だと確信したわけです。


伊福部昭との邂逅が、松村禎三に、
アジア的なバイタリティ溢れる作品を作らせる契機になったのです。
それは日本の音楽界にとって、たいへん幸福な出来事でした。

実は吉松隆の師匠です


さて、このCDには、もうひとつ、隠し球(?)の名曲が収められています。
ギリシャによせる二つの子守歌」がそれです。


ごくシンプルなピアノ独奏曲です。


この中の2曲目の美しさを味わってください。
なんとなつかしく、切ない旋律でしょうか。
シンプルなのに、涙なしには聴けない音楽です。
ホントです。


こんな美しく繊細な曲が書ける人でもあるのです。


実は松村禎三は、吉松隆の師匠でもあります。
まったく作風の違うふたりにどんな接点があったのだろうと、
長年疑問だったのですが、この曲を聴いて氷解した思いでした。


この繊細で微妙なメロディは、
まさに吉松の「プレイアデス舞曲集」につながるものです*2


この曲のためにCDを買っても損はしないほどの、珠玉の名品です。


こんなCDを聴いていても女の子にはぜったいにもてませんが、
松村禎三のパワフルな音楽をぜひ一度、聴いてみてください。

*1:つまり、音楽というのは、過去のクラシックと、現代の歌謡曲だけだと思ってたわけです

*2:もちろん、師からの影響というのは、そんな単純な類似からはわからないとは思うのですが