南洋趣味炸裂!深井史郎のオーケストラ曲を聴け!

putchees2005-06-07


今回のCD


日本作曲家選輯 深井史郎」


(香港・ナクソスNaxos 8.557688J)
http://www.naxos.co.jp/8.557688J.html

曲目


1.パロディ的な四楽章(1936)
 ファリャFalla
 ストラヴィンスキーStravinsky
 ラヴェルRavel
 ルーセルRoussel
2.バレエ音楽「創造」(1940)(世界初録音)
3.交響的映像「ジャワの唄声」(1942)

ミュージシャン


指揮:ドミトリ・ヤブロンスキーDmitry Yablonsky
管弦楽:ロシア・フィルハーモニー管弦楽団
(録音:2004年10月〜11月/モスクワ)

わずか1000円で日本の名作を聴く!


香港に拠点を置く、世界最大の廉価版専門クラシックレーベル
ナクソスNaxosの日本におけるシリーズ「日本作曲家選輯」の
最新盤が登場です*1


このシリーズについては、過去に本レビューで
伊福部昭、大澤壽人、黛敏郎の各作品集を紹介していますので、
よかったらそちらも読んでみてください*2


さて今回は、忘れられた作曲家、
深井史郎(1907〜1959)の作品集です。
これまでにも大栗裕*3や大澤壽人*4といった、
無名の作曲家を取り上げてきたシリーズの面目躍如といった感じです。


もっとも、日本の作曲家というのは、一般の人にとっては、
ほとんどが「知られざる作曲家」か「忘れられた作曲家」かの、
どちらかなのですけど。


しかし、その中でも、とりわけマイナーな作曲家を優先的に
リリースしてくるというのは、並たいていのことではありません。


このレーベルが出すのでなければ、
決してこんなラインナップにはならないはずです。


たとえば、文化庁あたりが音頭を取って、
国内の大手クラシックレーベル
こういった企画を作ったとしましょう


そうするとおそらくは、
武満徹三善晃池辺晋一郎や林光、三枝成彰といった、
社会的にそれなりの地位や評価を確立した
作曲家たちの作品集がまっさきにリリースされて、
伊福部昭黛敏郎矢代秋雄などの作品集は、
後回しにされたことでしょう*5


もちろん、大澤壽人のCDなんて、
リリースすらされなかったに違いありません。


ナクソスは伝統的に、有名作曲家や名曲にさほどこだわらず、
マイナーでもいい作曲家や作品がいれば、
積極的にリリースしています。


この「日本作曲家選輯」も、
まさにナクソスでしか作れない、
心意気を感じるすばらしいシリーズです。


こむずかしい前衛じゃなくて、
「聴く喜び」を感じることができる音楽を、
優先的にリリースしているのです。


なによりすごいのは、シリーズのラインナップに、
明確な意志が込められていることです。


「日本の豊かな近現代音楽の財産を、正当に世界に紹介していこう」


という意志です。


古くさい価値観や世間的なしがらみなどから離れて、
こんにちの視点で、日本の作曲史を見直し、その中ですぐれた
(つまりは聴いて楽しい)作品を世界に向けてリリースする
という態度です。


こういうことができるレーベルは、日本ではとくに貴重です。
実にあっぱれではありませんか。


ですから、各CDの収録曲の選定に関しても、
たいへん行き届いた配慮がなされています*6


しかも安くて、ライナーノーツも、非常識なくらい充実しています。
(値段は、発売直後なら、大型CDショップで900円以下です)


したがって、予備知識のない人でも
気軽に買って楽しむことができるのです。


日本の近現代音楽を知るには、
このシリーズを聴けば十分、そう思わせるだけの内容です。


すべての音楽ファンに、自信を持ってすすめられる
最良のCDシリーズなのです。

昭和初期にこんな作曲家がいたのか!


さて、今回の深井史郎作品集です。


片山杜秀の詳細な解説によれば、
明治末年に秋田で生まれ、大正の平和な御代に青春期を送り、
徹底的な個人主義者として自己を確立した人だそうです。


音楽に関しては、上野の東京音楽学校*7のアカデミズムと無縁で、
ラヴェルRavelストラヴィンスキーを敬愛し、
ドイツ的な厳格さより、フランス/ラテン的な鷹揚さを愛したようです。


都会的な洗練と洒脱を愛したモダニストで、
狭隘な愛国主義や泥臭い民族主義とは無縁だったそうです。


キャリアの初期から映画音楽を手がけ*8
生涯で150本以上の作品に関わったそうです。


このCDの収録曲は3つ。それぞれ昭和11年
昭和15年昭和17年の作品です。


帝国日本が中華民国、ついでソビエト、さらにアメリカと、
各国を敵に回して血みどろの戦争をやっていたとき、
このモダニストは、どのような音楽を作っていたのでしょうか。

ヨーロッパの有名作曲家を…「パロディ的な4楽章」


1曲めは、「パロディ的な4楽章」と題されています。
それぞれの楽章に、ファリャManuel de Falla、
ストラヴィンスキーIgor StravinskyラヴェルMaurice Ravel
そしてルーセルAlbert Roussel(もしくはバルトークBartok Bela)
という名前が付されています。


タイトルから想像できるように、
それぞれの作曲家のスタイルを模して作られた
オーケストラ曲なのです。


ちょうど、ラヴェル
ボロディン風にA la maniere de Borodine」や、
シャブリエ風にA la maniere de Emannuel Chabrier」*9
などを作ったのにならった感じでしょうか。


聴けばたしかに、それぞれの作曲家のスタイルを
彷彿とさせるオーケストラの響きです。
(あまり似てないのもありますが)
特段日本的ではありませんし、
ヨーロッパの20世紀初頭のだれかの作品と言われれば、
なるほどといって、聞き流してしまいそうな曲です。


しかし、1930年代の日本で、ここまで洗練された響きが
音楽学校などと無縁に生まれていたのは、驚くべきことです。
ましてや、深井史郎は留学経験もないのです。


なにしろ、モチーフにしている作曲家からして、
ストラヴィンスキーにしてもルーセルにしても、
当時の日本人とはほとんど縁のない人たちで、
むしろ、21世紀に生きるぼくたちにとって、
身近に感じられるような作曲家たちなのです*10


大澤壽人の曲などと合わせて聴くと、
戦前の日本の洋楽(クラシック音楽)に対する偏見や
先入観が消し飛ぶことは、まちがいありません。


ことに第三楽章のメロディの美しさは、
ラヴェルのパロディなどということとは無関係に、
記憶すべきものです。


1930年代の日本の文化は、文学や美術や写真の世界だけではなく、
音楽においても、同時代の欧米の作品群と互していけるだけの
洗練をそなえつつあったことがわかります*11

紀元は2600年!「バレエ音楽 創造」


次いで、荘重なバレエ曲です。


1940年、大日本帝国国威発揚のために企画された
紀元2600年式典」に合わせて作曲、初演された作品です*12


幻に終わった東京オリンピックや、万国博覧会も、
この紀元2600年に合わせて誘致されたものでした。


日本政府は、ナチスNazisの党大会や
ベルリンオリンピックを見て驚き、
規律の取れたファシズム的祭典で、
国民感情を高めようと思ったようです。


結局、オリンピックも万博もポシャってしまいますが、
奉祝会は盛大に執り行われ、国を挙げてのお祭り騒ぎでした。


それに合わせて、紀元2600年奉祝演奏会というのも行われます。
内外の有名作曲家に依頼された祝典の曲が演奏されたのです。


なんと、リヒャルト・シュトラウスRichard Strauss
イベールJacques Ibert、ブリテンBenjamin Brittenといった
当時のヨーロッパを代表する大作曲家たちが、
日本政府の委嘱で作品を寄せたのです*13
つまり日本初の、一大音楽イベントでもあったのです。


さて、深井史郎のこのバレエ曲は、9月30日に東京で初演されました。
紀元2600年奉祝芸能祭」のステージで、舞踏付きだったそうです。


内容のほうですが、おごそかな雰囲気で始まり、
バレエ音楽らしくリズミカルに、少しずつ盛り上がっていきます。


記紀神話の「国産み」がモチーフになっているようです。
ガンガンと激しいリズムになっても、
あくまで格調高く、品を失わないません。


ラヴェルのようにも、ストラヴィンスキー
初期バレエ曲のようにも聞こえます。


クライマックスで登場する美しい旋律は、
日本的な情緒をたたえており、たいへん感動的です。


祝典にふさわしい、佳曲と呼べるのではないでしょうか。

モンドなエキゾチズム…「ジャワの唄声」


CDの最後に収録されているのは、
第二次大戦の太平洋戦線が始まってから作られた曲です。


ジャワ島の民謡をモチーフにした曲です。
ちょうどラヴェルの「ボレロBolero」のように、
ひとつのテーマを延々と繰り返しながら盛り上がっていきます。


もっとも、こちらはボレロよりもずっと
泥臭くて、日本と南洋の音楽を折衷したような印象です。


勘違いされた南洋のエキゾチズムとでも言いましょうか。


いってみれば、一種のモンドミュージックです。


昔の日本映画のBGMで聞こえてきそうな、
ちょっとインチキな味わいのある音楽なのです。


この曲が、こんにちの聴衆であるぼくたちにとっては、
もっとも魅力的かもしれません。


さて、太平洋の覇権を巡って、日本がアメリカ、
イギリス、オランダ、オーストラリアと戦端を開いたのは
1941年末のことですが、ちょうどこの時期、
日本人の間では、アジアブームというか、
南洋ブームが起きていました。


日本人の南洋に対する憧れは、
第一次大戦でドイツ第二帝国から奪い取った南洋諸島
(赤道以北のミクロネシア)の統治の経験から
涵養されたところが大きいようです。


昭和に入ると日本政府や帝国海軍が、
日本は南方に進出していくべきだと喧伝したものですから、
日本人の南洋・南方に対する憧れはいや増しに増すばかりでした。


色の黒い「土人」が住んでいて、
気候が温順で、働かなくても食べていける夢の楽園、
という無責任なイメージが日本人の脳内に
形成されていきました*14


パラオ諸島には「南洋庁」が置かれ、
またトラック諸島には帝国海軍の巨大な泊地が築かれ、
第二次大戦初期には実に3万5000人の日本人が住んでいました。
南洋諸島全体では8万人に上ったそうです)


国語教科書で有名な「山月記」の中島敦が、
南洋(パラオ)に取材した小説を書いたのもこのころです。


この南洋ブームは、日米開戦とともに頂点に達します。


作曲界では、紙恭輔の「ボルネオ」、伊藤昇の「昭南島」、
高木東六の「南方組曲」、山田和男の「印度」といった、
南洋趣味、エキゾチズムの曲が作られていました。


ほかにも、伊福部昭が政府の委嘱で
「フィリピン国民に贈る管弦楽序曲」を作ったり、
深井史郎も同様に「ビルマ祝典曲」を作ったりしています。


戦時下という特殊な状況下であり、
またごく一時的なものではありましたが、
日本の作曲家や文化人たちが、
はじめてアジアと向き合った瞬間だったのです。


そうした一連の時代の気分の中で、
この「ジャワの唄声」も作られました。


この曲は、西ジャワ島の民謡の旋律をもとにしているのですが、
そのメロディが日本の旋律の感覚に似ているところに、
深井は創作意欲をかき立てられたようです。


事実、この曲がたたえるムードは、
異国のものでありながら、どこか日本的です*15


チェレスタやピアノ、ヴィブラフォン
チロチロと効果音的にちりばめられ、
異国的な気分を盛り上げます。
ちょうど、夜空に輝く星のようです。


その上に、アルトサックスや分厚い弦楽が、
やぼったいメロディを塗りたくります。
それは、蒸し暑い、熱帯の夜の空気をイメージさせます。
(同時に、日本の田舎のような気分も喚起します)


ねっとりと濃厚な、アジアの夜曲(ノクチュルヌ)
といったイメージです。


同じテーマ(主題)が、執拗なオスティナートで、
ゆらぎながら反復されます。


途中から、沖縄音階を思わせる旋律が顔を出し、
最初の主題とからみながら昂揚していきます。


秘密の儀式や祝祭のような、
麻薬的な陶酔感に溢れています。


最後はかそけき音になって、消え入るように曲が終わります。
ちょうど、魔法の夜が明けて、薔薇色の朝がやってきたようです。


こんな曲は、西洋の作曲家には、
ぜったいに作ることができないでしょう。


ボレロ」のダサい真似といって退けるには、
あまりに魅力的な音楽です*16


時代の空気と、作曲家のオリジナリティが
交差して生まれた、不思議な魅力に満ちた作品です。


この1曲のためだけでも、
このCDを聴く価値は十分あります。


そして、このCDを聴いたとき、深井史郎や
日本の戦前の作曲家について、
きっと興味が湧くに違いありません。


ぜひみなさんも、このCDを聴いてみてください。
とにかく安いですから、ぜったいに損はないです。


しかし言うまでもなく、こんな音楽を聴いていても、
女の子にはぜったいにもてません。

*1:ほかにはスペインやアメリカのシリーズが作られています。とくに、デイヴ・ブルーベックDave Brubeckまでもカバーするアメリカンクラシックシリーズの充実ぶりには驚かされます。詳細は本家のサイトをご覧ください→http://www.naxos.com/mainsite/default.asp?pn=Series

*2:伊福部昭id:putchees:20041202 大澤壽人→id:putchees:20050221 黛敏郎id:putchees:20050313

*3:http://www.naxos.co.jp/8.555321J.htm

*4:http://www.naxos.co.jp/8.557416J.html 本レビューでの記事はこちら→id:putchees:20050221

*5:伊福部昭は「ゴジラ」の作曲家として一段低く見られているし、黛敏郎は「右翼」だと思われているので「リベラル」な作曲界ではどうも評判が悪く、矢代秋雄は早世したので忘れられかけています。

*6:たとえば、武満徹の作品集(http://www.naxos.co.jp/8.555859J.html)でも、こむずかしい曲をさけて、聴きやすいと思われる室内楽曲集をまずリリースしています。このセンスにはうならされます。

*7:第二次大戦の敗戦後、東京芸術大学音楽学部に改組。

*8:日本で音付きの映画、トーキーが普及しはじめるのは、1930年代前半。深井史郎のキャリアが始まるころとぴったり重なります。

*9:ともに1913年に作られたピアノ独奏曲

*10:作曲当初は、なんと「マリピエロ」と題された楽章まで加わっていました。イタリア近代音楽の巨匠、マリピエロGian Francesco Malipieroのことです。

*11:他の芸術ジャンルに比べて、音楽はいささか遅れていたのですが。

*12:2600年というのは、神話にもとづく神武天皇即位紀元、つまり皇紀のことです。

*13:もっとも、ブリテンシンフォニア・ダ・レクイエムSinfonia da Requiemは、結局演奏されませんでしたが。

*14:それを実際に現地へ出征して確かめることになってしまったのが、たとえば漫画家の水木しげるです。彼は大戦中、ニューギニアで地獄と天国を体験します。

*15:そこが、日本政府が唱える「大東亜共栄圏」の幻想によく合致したようです。

*16:早坂文雄黒澤明の「羅生門」で、「ボレロ」をそっくりそのまま真似してみせたのより、はるかにすばらしいのではないでしょうか。